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一枚の白黒フィルム写真を通して心が休まる体験を

 カメラってとても良い趣味だと思う。
色んなものごととの相性が良いし、カメラって比較的に荷物にならない。続けやすい趣味だと思う。極め続ければ、個展を開催したり、フリーのカメラマンとして仕事にすることもできる。もちろん、儲かるような仕事ではないけど、楽しいから良いじゃないかなと。

自分もそんな感覚でカメラを手にして3年くらい経て、やっと最近、自分の中で問うようになった質問。

”私にとって、カメラで「写真」をやるということは?”

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どんなカメラで撮ったどんな写真も写真であると語っていいと思うし、表現方法が多様になることは素晴らしいことなので、編集が良くないという主張をするつもりもない。

ここで伝えたいことは、「スタイル」の話かもしれない。
大学生でいうと専攻、何を最も得意として極めますかということ。

そして問に対する答えとして

私にとって、カメラで「写真」をやるということは、あの時代、20世紀の写真家たちのようにモノクロフィルムで写真を撮ることです。と言ってみることにした。色んな写真がある中で、自分の中ではあえてモノクロフィルム写真のみを写真と定義し、他はイメージ、もしくは現代写真といった位置づけにしておきたいのだ。

ここから、モノクロフィルム写真の魅力について書いてみようと思う。


カメラが道具ではなく、生きている自分の感覚の一部であるかのような錯覚を呼び起こすのがフィルムカメラ

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 私達の生活において一秒という時間は認識しているのか、どうかさえも怪しいほんの一瞬だ。時計の針が教えてくれなければ、一秒という瞬間を私たちは自覚せずに生きているだろう。しかし、写真を語る上で一秒とは、かなり長い時間だ。写真好きならばわかるだろうが、真っ昼間にシャッターを切る時間を一秒に設定すれば、真っ白な写真、もしくはぶれぶれの写真ができあがってしまう。

 カメラは0.001の瞬間を切り取って、自覚できない領域の光景を静止画として記録してくれる。フィルム写真の良さの一つはここにある。

端的にデジタルカメラだと、 「カメラは0.001の瞬間を切り取って、自覚できない領域の光景を静止画として記録してくれる。」という感覚を体験し難いのだ。体験がし難いからこそ、デジタルカメラは人の感覚からは独立した道具として、フィルムでは表現し難いイメージを創れる気がするのだ。

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一方でフィルムカメラは上で書いたカメラの特徴を満たしている。
 フィルムカメラでは0.001の瞬間を切り取っても我々はどんな光景を切り取ったのか、自覚できないのだ。デジタルならば、すぐに確認をすることで、どの瞬間を記録したか、認識することができる。ただし、フィルムカメラはそれができない。

そして36枚のフィルムを使い切り、現像し終えた辺りではじめて記録されている静止画を目にすることができるのだ。静止画の記録を通して、私たちはやっと記憶することができる。どんな一瞬の光景が、かつてそこにあったか。

撮影した写真をいつ目にすることができるか、という点が異なるだけでも感覚的には完全に別物なのだ。


愛着により鮮明な記憶に

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人って本当に非合理的で、錯覚に陥りやすい生き物だなと思うのですが
デジタルカメラで撮影した写真も、フィルム写真で撮影した写真も
主観による「記録」と「記憶」の媒体であるという本質は変わらないはずなのに、なぜか「フィルムで撮影した」という認識でいるだけで愛着が湧く。愛着が湧くから、現像した後に一枚一枚の写真を見返すときによみがえる記憶の濃さがデジタルで撮影した写真とは比較できない。

これはとても今日的な体験だ。フィルムカメラしかなかった時代の人々は、デジタルカメラを使用した経験がないために比較対象がない。そもそも初期のカメラ(もちろんフィルム使用)が複製技術として捉えられていたという文献もあるし、この「フィルムで撮影した」という認識だけでも、写真に愛着が湧くのはなぜだろうか。

モノクロの世界が持つアウラ

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モノクロ写真は色彩を消すことで劇的な表現ができる。色彩にメッセージがなかったり、伝えたいメッセージの邪魔になる場合はモノクロにしてみると良いと思う。目を引かなかった写真の雰囲気が一変し、魅力的な写真になる。亡くなっていた写真の中の芸術性が復活するのだ。

ただ、これができるのはカラー写真を編集する場合に限る。
そもそもがモノクロしか取れないフィルムを使用する写真表現者・記録者は最初のうちは大きなリスクを負うと思う。それは色彩を失うことだ。リスクというか、色彩を失っても作品を撮れるという覚悟かもしれない。覚悟を決めて、モノクロフィルムを選ぶほどモノクロの世界が創り出す一枚の写真は困惑的で、魅力的で、幻想的なのだ。

それだけ白黒は独歩的な表現方法なのだ。

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そして独歩的な表現が生み出す一枚の写真だから
言葉より強い力を持つ。
一枚のモノクロフィルム写真は、どこか寂しく、心地よく、見る側に必ずなにかのメッセージを問いかける気がして、本当に好きだ。



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