「出雲口伝」の中で「物部氏」に関連する内容を掻い摘んで紹介しています。 ※この記事は、「親魏和王の都」(勝 友彦:著、大元出版)を参考にしています。詳しくは、こ…
「出雲口伝」の中で「物部氏」に関連する内容を掻い摘んで紹介しています。 ※この記事は、「親魏和王の都」(勝 友彦:著、大元出版)を参考にしています。 詳しくは…
前回の記事で、出雲口伝に関連する書籍より、「第一次物部東征」において「物部勢力」に圧され「大彦軍」が北に退却した内容を紹介しました。 この記事では、「考古学…
「出雲口伝」の中で「物部氏」に関連する内容を簡単に紹介しています。 ※この記事は、「親魏和王の都」(勝 友彦:著、大元出版)を参考にしています。詳しくは、この書…
前回の記事で、「ヒボコ一族の播磨への侵攻」について紹介しました。 この記事では、「考古学的な視点」で2世紀末ごろの播磨について見ていきたいと思います。 「兵庫県…
「出雲口伝」の中で「物部氏」に関連する内容を掻い摘んで紹介しています。 <記紀におけるヒボコの記録> ヒボコは、「天日槍」「天日矛」「天日桙」(あめのひぼこ)な…
「出雲口伝」の中で「物部氏」に関連する内容を掻い摘んで紹介しています。 ※なお、「出雲大国とヤマト政権」(富士林雅樹:著、大元出版)を参考にしています。詳しく…
「出雲口伝」の中で「物部氏」に関連する内容を 簡単に紹介しています。 ※なお、「出雲大国とヤマト政権」(富士林雅樹:著、大元出版)を参考にしています。詳しく…
【3世紀中頃】に「銅鏡の文化」が北九州から大和にシフトしていき、そのころ纏向遺跡(奈良)にて古墳が作られ始め、古墳に銅鏡が埋葬されるようになります。この頃が『…
これまでの記事で、「大彦命と武渟川別命」の一族について伝承を調べてきました。この「大彦」は「孝元天皇(8代)」の皇子とされています。 この記事では 今までの…
「大彦命」と「武渟川別命」の親子について伝承を調べています。 大彦は 孝元天皇(8代)の皇子ですね。 新潟や東北地方には、「こしおう神社」(古四王神社や高志王…
「大彦命」と「武渟川別命」の親子について伝承を調べています。 大彦は 孝元天皇(8代)の皇子ですね。 新潟県にも「大彦」を祀る神社がありますので、ここで紹介し…
Yama JINJIN
2024年4月10日 21:42
「出雲口伝」の中で「物部氏」に関連する内容を掻い摘んで紹介しています。※この記事は、「親魏和王の都」(勝 友彦:著、大元出版)を参考にしています。詳しくは、この書籍を御覧ください。<磯城王朝の終わり> 丹波国では、大和の最後の勢力である「道主大王」の軍勢には、物部勢力から寝返った「武内宿祢」の勢力が合流していた。 そして彼らは抵抗を続けたが、最終的には豊国と物部の軍に取り囲まれた。
2024年4月5日 07:21
「出雲口伝」の中で「物部氏」に関連する内容を掻い摘んで紹介しています。※この記事は、「親魏和王の都」(勝 友彦:著、大元出版)を参考にしています。詳しくは、この書籍を御覧ください。<タジマモリの裏切り> イクメ王の協力者だった「タジマモリ(田道間守・但馬守)」は、イクメ王を襲撃し自分がヤマトの王になろうと陰謀を企んだ。 困ったイクメ王は、出雲を攻略した「物部十千根(秋上十千根)」に、
2024年3月30日 20:45
「出雲口伝」の中で「物部氏」に関連する内容を掻い摘んで紹介しています。※この記事は、「親魏和王の都」(勝 友彦:著、大元出版)を参考にしています。詳しくは、この書籍を御覧ください。<その頃のヤマトの情勢> ヤマトでは、オオヒビ大王(大日日・開化天皇:9代)が治めた後、その王子である「ヒコイマス王」(彦坐王・日子坐王)が大王になっていた。 ヒコイマスの拠点は、大和盆地の東北にある「和邇の地
2024年3月27日 21:26
「出雲口伝」の中で「物部氏」に関連する内容を掻い摘んで紹介しています。※この記事は、「親魏和王の都」(勝 友彦:著、大元出版)を参考にしています。 詳しくは、この書籍を御覧ください。<2回目の東征の動機>『三国志』「呉書」呉主伝には、黄竜2年(西暦230年)の出来事として次のように記されている。(呉王・孫権は)将軍の衛温と諸葛直とを派遣し、武装兵1万を率いて海を渡り、夷洲(沖縄)と亶
2024年3月24日 22:25
前回の記事で、出雲口伝に関連する書籍より、「第一次物部東征」において「物部勢力」に圧され「大彦軍」が北に退却した内容を紹介しました。 この記事では、「考古学的な視点」で2世紀末ごろの近江について見ていきたいと思います。<野洲川付近の主な弥生遺跡>【服部遺跡】弥生時代前期の広大な水田跡がある。野洲川が形成した三角州に営まれた集落。【下之郷遺跡】弥生時代中期の大環壕集落。【伊勢遺
2024年3月20日 20:48
「出雲口伝」の中で「物部氏」に関連する内容を簡単に紹介しています。※この記事は、「親魏和王の都」(勝 友彦:著、大元出版)を参考にしています。詳しくは、この書籍を御覧ください。<物部勢力の第一次東征:ヤマト争乱> フトニ大王が吉備に去った後に、ヤマト政権の大王となったのは、クニクル大王(孝元天皇・8代)であった。 このクニクル大王には、登美家のクニアレ姫を后(正室)に迎え、大彦とオオヒ
2024年3月18日 22:33
「出雲口伝」の中で「物部氏」に関連する内容を簡単に紹介しています。※この記事は、「親魏和王の都」(勝 友彦:著、大元出版)を参考にしています。詳しくは、この書籍を御覧ください。<熊野への上陸>イツセを亡くした「物部勢力」は、態勢を整えるため、船に戻り、南の潮岬を周り、熊野新宮付近に上陸した。<和歌山県 新宮市にある徐福伝説>※出雲口伝関連の書籍では、新宮市の徐福伝承は、この際の出来事
2024年3月16日 05:57
「出雲口伝」の中で「物部氏」に関連する内容を簡単に紹介しています。※この記事は、「親魏和王の都」(勝 友彦:著、大元出版)を参考にしています。詳しくは、この書籍を御覧ください。 九州の筑後川流域を中心に徐福の後裔は住んでいた。※出雲口伝ではこの勢力を物部政権や物部勢力と表現しています。<物部勢力の第一次東征:出発> その当時(2世紀末頃)、【九州勢力】の指導者は、ナギサタケ王の御子の
2024年3月12日 06:59
前回の記事で、「ヒボコ一族の播磨への侵攻」について紹介しました。この記事では、「考古学的な視点」で2世紀末ごろの播磨について見ていきたいと思います。 「兵庫県加古郡播磨町」に【大中遺跡】(弥生時代後期)があり、そこには「兵庫県立考古博物館」と「播磨町郷土資料館」が建てられています。 今回の内容は、そこで得た「播磨地域の歴史」の情報をベースにしています。<弥生時代中期の集落>稲作に適した
2024年3月9日 07:58
「出雲口伝」の中で「物部氏」に関連する内容を掻い摘んで紹介しています。<記紀におけるヒボコの記録>ヒボコは、「天日槍」「天日矛」「天日桙」(あめのひぼこ)などで記載される人物です。『日本書紀』では、「垂仁天皇(11代)の御代に、新羅の王子である天日槍が渡来した」と書かれています。 天日槍は初め播磨国の宍粟邑にいた。その後、菟道河(宇治川)を経て、近江国の吾名邑に移動した。それから若狭国を
2024年3月6日 19:49
「出雲口伝」の中で「物部氏」に関連する内容を掻い摘んで紹介しています。 ※なお、「出雲大国とヤマト政権」(富士林雅樹:著、大元出版)を参考にしています。詳しくは、この書籍を御覧ください。<天村雲の誕生> 丹波の「香語山(かごやま)」は筑紫の「穂屋姫」を后に迎えることとした。言い換えると、徐福の異母兄妹が結婚したことになる。 そして生まれた長男が「村雲」であった。 村雲は「丹波」にいた
2024年3月3日 10:58
「出雲口伝」の中で「物部氏」に関連する内容を 簡単に紹介しています。 ※なお、「出雲大国とヤマト政権」(富士林雅樹:著、大元出版)を参考にしています。詳しくは、この書籍を御覧ください。<筑紫での徐福> 出雲口伝では、徐福の二回目の来日の地は 北九州の佐賀平野でした。 徐福は、筑紫では「饒速日(にぎはやひ)」と名乗った。 故郷の地名「饒安(じょうあん)」から「饒」の地を使ったものと考
2024年3月2日 07:55
【3世紀中頃】に「銅鏡の文化」が北九州から大和にシフトしていき、そのころ纏向遺跡(奈良)にて古墳が作られ始め、古墳に銅鏡が埋葬されるようになります。この頃が『実質的な日本の建国』と考えており、この仮説をベースにいろいろと調べてきました。 この後は「物部氏」について調べていく予定ですが、ここで避けて通れないのが「物部氏」に関する多くの伝承がある「出雲口伝」です。「出雲口伝」関連の書籍につい
2024年2月28日 18:00
これまでの記事で、「大彦命と武渟川別命」の一族について伝承を調べてきました。この「大彦」は「孝元天皇(8代)」の皇子とされています。 この記事では 今までの情報をまとめていきたいと思います。【なぜ「大彦命」一族を調べたのか?】 【3世紀中頃】に「銅鏡の文化」が北九州から大和にシフトしていき、そのころ纏向遺跡(奈良)にて古墳が作られ始め、古墳に銅鏡が埋葬されるようになります。この「纒向遺跡
2024年2月25日 00:51
「大彦命」と「武渟川別命」の親子について伝承を調べています。 大彦は 孝元天皇(8代)の皇子ですね。 新潟や東北地方には、「こしおう神社」(古四王神社や高志王神社、胡四王神社など)という名で、主に「大毘古命(大彦命)」を祀る神社が多く存在します。「大毘古命(大彦命)」は「記紀」によると崇神天皇(10代)の御代に、四道将軍の1人として、北陸に進軍した人物です。 諸説ありますが、この「大
2024年2月20日 07:35
「大彦命」と「武渟川別命」の親子について伝承を調べています。 大彦は 孝元天皇(8代)の皇子ですね。 新潟県にも「大彦」を祀る神社がありますので、ここで紹介したいと思います。 (※三宅神社は前回の記事で紹介しています)<彌彦神社>御祭神:伊夜日子大神(いやひこのおおかみ) 御名:天香山命(あめのかごやま)所在地:新潟県 西蒲原郡 弥彦村弥彦御由緒: 神武天皇(初代)4年、天香山