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大彦命と武渟川別命⑰まとめ

 これまでの記事で、「大彦命と武渟川別命」の一族について伝承を調べてきました。この「大彦」は「孝元天皇(8代)」の皇子とされています。


 この記事では 今までの情報をまとめていきたいと思います。

【なぜ「大彦命」一族を調べたのか?】 

【3世紀中頃】「銅鏡の文化」が北九州から大和にシフトしていき、そのころ纏向遺跡(奈良)にて古墳が作られ始め、古墳に銅鏡が埋葬されるようになります。この「纒向遺跡」の成立が『実質的な日本の建国』と考えており、この仮説をベースにいろいろと調べています。

 これらを理解するために、ここまで(1)孝霊天皇(7代)の皇子である「吉備津彦命」(2)開化天皇(9代)の皇子である「彦座王命」とその息子「丹波道主命」を調べてきました。
 彼らは記紀においては「崇神天皇(10代)」の御代の四道将軍であったことから、 残る四道将軍である『大彦命と武渟川別命』について調べていました。

 【日本書紀によると】

崇神天皇(10代)の御代に四道将軍を日本各地に派遣している。
 ・大彦命  :北陸に派遣
 ・武渟川別命:東海に派遣

 ・吉備津彦命:西道に派遣
 ・丹波道主命:丹波に派遣

なお、大彦は「阿倍臣、膳臣(かしわでのおみ)、阿閉臣(あへのおみ)、狭狭城山君、筑紫国造、越国造、伊賀臣ら7氏の始祖」となっている。

【各地の神社の伝承によると】

 日本書紀の派遣の伝承にある地域の神社などにはゆかりのある伝承が残っていました。

武渟川別命」に関しては岐阜県・静岡県・東京都・埼玉県・茨城県・福島県と 太平洋沿いに伝承が続いていました。 

 記事で紹介した神社
[津神社] 岐阜県 岐阜市
[飯綱神社]静岡県 富士市
[武蔵御嶽神社]東京都 青梅市
[岩根神社]埼玉県 秩父郡
[勝呂神社]埼玉県 坂戸市
[健田須賀神社]茨城県 結城市
[伊佐須美神社]福島県 大沼郡

 ※特に「勝呂神社」には「武渟川別命」が葬られている伝承がありました。

「大彦命」に関しては岐阜県・静岡県・東京都・埼玉県・茨城県・福島県と 太平洋沿いに伝承が続いていました。 

 記事で紹介した神社
[幣羅坂神社]京都府 木津川市
[祝園神社] 京都府 相楽郡精華町
[涌出宮]  京都府 木津川市
[敢國神社] 三重県 伊賀市
[沙沙貴神社]滋賀県 近江八幡市
[舟津神社] 福井県 鯖江市
[鵜坂神社] 富山県 富山市
[布勢神社] 富山県
[道神社]  富山県
[布制神社] 長野県 長野市
[彌彦神社] 新潟県
[三宅神社]新潟県 長岡市
[古四王神社]秋田県 鹿角市などなど

 ※特に「布制神社」には「大彦命」がこの地で亡くなったという伝承がありました。

また、各地の神社の伝承などを整理すると「大彦命」からは「多くの氏族」が誕生していました。


 特に、北陸地方を中心に 勢力を広げています。

北陸地方に残る伝承に「阿彦の乱」があり、そこに登場する大彦の関係者


【ここから、ちょっと考察です】

「大彦命と武渟川別命」の一族は、畿内から「北陸方面」や「関東方面」へ 拠点を拡大した一族でした。

【3世紀中頃】「銅鏡の文化」が北九州から大和にシフトしていき、そのころ纏向遺跡(奈良)にて古墳が作られ始め、古墳に銅鏡が埋葬されるようになりますが、「大彦の一族」はどのような関わりをしたのでしょうか?

方向性1:「大彦の一族」は「北九州から大和へシフトした勢力」と同じ勢力で、 大和へ勢力を伸ばした後、【更に勢力を北陸や関東へ伸ばしたもの】と推察する。

方向性2:「大彦の一族」は「北九州から大和へシフトした勢力」と敵対する勢力で、 大和の既存勢力であったが、【勢力争いに負け、北陸や関東へ敗走したもの】と推察する。


すべて推定で組み立てた 年代図

 これまでの記事から、大彦は「西暦200年頃」の人物と推察しています。 また「西暦200~250年」のあたりに、「北九州から大和に勢力が少しずつやってきている時期」と推察しています。

 そのころに、「畿内」だけでなく、さらに北陸や関東に勢力を広げるのは無理があるように感じています。 その後の「景行天皇や成務天皇の御代に 全国各地に勢力を伸ばしていった」と考えています。

 そのように考えると「大彦一族」の「北陸や関東」への遠征は、「方向性2」の「大和の既存勢力の敗走」が正しいように推察します。

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