『孝元天皇が物部氏と連携』⑨まとめ
<これまでの記事の振り返り>【3世紀中頃】に「銅鏡の文化」が北九州から大和にシフトしていき、そのころ纏向遺跡(奈良)にて古墳が作られ始め、古墳に銅鏡が埋葬されるようになります。この「纒向遺跡」の成立が『実質的な日本の建国』と考えており、この仮説をベースにいろいろと調べてきました。
<記紀での孝元天皇(8代)>以前の記事でも紹介しましたが、孝元天皇(8代)はこれまでの天皇と傾向が変わり、「物部一族」から后妃を娶るようになります。
<出雲口伝での解釈>以前の記事でも紹介しまし