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『孝元天皇が物部氏と連携』⑧近江の天孫降臨

大綜麻杵と伊香色雄の親子】より前の世代について、所縁のある神社や伝承を調べています。

<多くの嫁を輩出する一族について>

以前の記事で、古代の物部一族と婚姻関係が密にあった一族を紹介しました。

 ここでは、これらの関係者を祀る神社を引き続き調べていきます。

<天之御影を祀る神社>

【御上神社】
所在地:滋賀県 野洲市


御祭神:天之御影命・天照大神の御孫
御由緒:当社の起源は、第七第孝霊天皇の六年六月十八日に御祭神天之御影神が三上山に御降臨遊ばされ、それから約千年の間、御上祝(神主)等は三上山を清浄な神霊の鎮まる厳の磐境と斎定めて祀っており、『古事記』開化天皇の段に「近つ淡海の御上祝がもちいつく天之御影神」と記されている。


摂社の御鍵取神社: 天津彦根神・猿田彦神

<近江の天孫降臨>

この神社の御由緒には『「天之御影神」「三上山に降臨」した』とありますが、実は、この「天之御影神」は、「瓊瓊杵尊」(ににぎのみこと)と同様に、「天照大神」の御孫であり、天から降臨したということは、ここの降臨も『天孫降臨』ということになります。

記紀における「天照大神」から生まれた男神五柱

『天孫降臨』その①:
 天孫(天照大神の御孫)である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が高千穂峰へ降臨。 その後、ひ孫である《磐余彦》(イワレヒコ)が東征して、初代天皇(神武天皇)となる。

『天孫降臨』その②:
 天孫(天照大神の御孫)である天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(ニギハヤヒ)河内国の河上哮ケ峯へ降臨。
 ※神武東征より前に、降臨していた。

『天孫降臨』その③:
 天孫(天照大神の御孫)である天目一箇神(天之御影命・天津麻羅命)三上山へ降臨。

三つ目の天孫降臨神話と言えます。

<三上山の天孫降臨に関わった人物は?>

 この御上神社の伝承では孝霊天皇(7代)の御代に「天之御影命」が三上山へ降臨したことになっている。

 これ関連して気になる内容が以下の系図に書かれている。

「諸系譜」より抜粋 出典はこちら
→ https://dl.ndl.go.jp/pid/10301738/1/29

坂戸毘古(坂戸彦)の説明に、『「軽境原宮(軽堺原宮)」朝廷のときに、《三上神》を奉斎した』とある。

「軽境原宮(軽堺原宮)」(かるさかいはらみや)とは、孝元天皇(8代)の皇居である。

 つまり『孝元天皇(8代)の御代には、三上神(天目一箇神(天之御影命・天津麻羅命)を 坂戸毘古(坂戸彦)が祀っていた』ことが理解できる。

<ちょっと考察です>

ここまでの情報をまとめると以下のような関係図となります。

孝霊天皇(7代)の御代に、「天之御影命」の天孫降臨という伝承が残ることから、何らかの勢力が この野洲川流域にやってきたことが伺えます。


(つづく)


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