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大彦命と武渟川別命⑫越中エリア

「大彦命」と「武渟川別命」の親子について伝承を調べています。
 大彦は 孝元天皇(8代)の皇子ですね。

 富山県にも「大彦」を祀る神社がありますので、ここで紹介したいと思います。 (※大津神社だけ岐阜県です)


<鵜坂神社>(うさかじんじゃ)

所在地: 富山県 富山市 婦中町鵜坂

御祭神:面足尊(兄)、惶根尊(妹)
 相殿:鵜坂姉姫 ・ 鵜坂妻姫 ・ 大彦命

社伝によれば、崇神天皇(10代)の御代、北陸道将軍の大彦命の勧請により創建され、652年(白雉2年)に堂宇再建と伝わる。


http://usaka.jp/usakajinjya/webfile/t2_2b3fbf4cfdb236a9021869dbc216ae88.pdf


<布勢神社>(ふせじんじゃ)

   ※延喜式内の古社。
所在地:
 富山県 氷見市布施 (布勢の円山)
御祭神: 大彦命

 創建当時の周辺は「布勢の水海」と呼ばれるで、境内地である円山(標高:約20m、周囲約300m)はその「布勢の水海」に浮かぶ孤島だったとされます。

 祭神の大彦命は孝元天皇(8代)の皇子で北陸道鎮撫将軍として四道将軍の異名があり、その後裔とされる「阿部氏」から分立した「布施臣」の一族が当地を領し祖神を祀ったと伝えられています。

<布勢神社>(ふせじんじゃ)

所在地: 富山県 魚津市布施爪
御祭神:
 五十猛命
 五十日足彦命
(いかたらしひこ)※垂仁天皇(11代)の皇子

 ※社名より、布勢氏の祖神である「大彦」を祀っていたという説もある。周辺には「阿古屋野古墳」がある。(※円墳や方墳など6基の古墳)

<道神社>(みちじんじゃ)

所在地: 富山県 高岡市五十里
御祭神: 大彦命

 大彦命が北陸遠征に来た際、この地で足を止めたことから「道重」という地名の由来になったとされ、その後、住民が開発者への感謝の念から大彦命の分霊をこの地に勧請したのが始まり。

<道神社>(みちじんじゃ)

所在地: 富山県 射水市作道
御祭神:大彦命、彦屋主田心命。
合祀神: 気長足姫命、誉田別命、比咩大神、天照皇大神。

※彦屋主田心命:大彦命の子である「彦背立大稲輿命」の子。
  つまり「大彦命」の孫。
  伊賀臣、阿閉間人臣、道公(道君)などの祖。
  ちなみに、道公(道君)「加賀国造」の後裔とも。
本殿が鎮座している高台には古墳があり「道君一族の墳墓」とされている。

<大津神社>(おおつじんじゃ)

所在地: 岐阜県 飛騨市神岡町船津  (←富山県でなく岐阜県)
御祭神:大彦命(おおつびこのみこと)
摂末社祭神:
 武渟河別命(たけぬなかわわけのみとこ) ・・大彦命の子
 建南方富命(たけみなかたとみのみこと)

御由緒:当大津神社の創始年月については不詳である。

 大津神社は南北朝時代の建武年間(1334~1338年)、当時の領主江馬氏(居城:江馬氏館(下館))が諏訪大社(長野県諏訪市・下諏訪町)を信仰していた為、その分霊を勧請合祀し、社号を諏訪大明神と改称しました。その後、文化元年(1804)、地元の有識者(稲田元浩・大森旭亭・吉村友閑斎)などから意見が出され旧社号である大津神社に復した。

※残念ながら、当神社に「大彦命」と「武渟川別命」の親子が祀られた経緯は、見つけられませんでした。


<この記事のまとめ>

北陸地方には、大彦による開拓の伝承が残り、大彦が信仰の対象となっている神社がいつくもありました。
さらには、大彦の系統となる氏族が国造となっていました。


大彦の後裔(大彦の系統となる氏族)
つながりは一部、類推も含みます。

 北陸の越中地域には、大彦が来た伝承(痕跡)が多くありました。

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