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大彦命と武渟川別命⑤滋賀 沙沙貴神社

 「大彦命」と「武渟川別命」の親子について伝承を調べています。
 大彦は 孝元天皇(8代)の皇子ですね。

<沙沙貴神社>(ささきじんじゃ)

所在地: 滋賀県近江八幡市安土町

 かつて織田信長が築城した「安土城」の 城跡近くに位置します。


実に立派な「桜門」
「桜門」は県指定の重要文化財


拝殿 と 広い境内



拝殿の奥に 弊殿と本殿が見えます。


【御祭神】

 ■少彦名神(すくなひこなのかみ)
 ■大毘古神(おおひこのかみ)(大彦)
 ■仁徳天皇(おおさきのすめらみこと) 
 ■宇多天皇(うだのすめらみこと) 敦實親王(あつみのみこ)

大彦の子孫が、古代の「沙沙貴山君」となり、「ササキの庄」の地名につながります。  

また、「沙沙貴神社」は「佐々木源氏・宇多源氏」の縁の地としても知られています。

 宇多天皇(869〜931)の皇子、 敦実(あつみ)親王(892〜966)の玄孫(やしゃご)である、 源成頼(みなもと なりより)が近江國・佐々木庄に下り、成頼の孫の、経方(つねかた)が「佐々木」姓を名乗ったことに始まります。

  経方の孫の秀義(ひでよし)は、平治の乱(平治元年・1159年)で、源義朝(みなもと よしとも)に敗れたため近江を追われ、相模國(現在の神奈川県)まで逃れます。
 その後、1180年に「源頼朝」が平氏打倒へ挙兵した時、長男の定綱(さだつな)たちを引き連れて参戦し、目覚しい功績をあげています。



出雲の「ホーランエンヤ」を連想させます。


大彦の一族が ここ滋賀の東岸でも繁栄していました。

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