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大彦命と武渟川別命⑦関東エリア

 「大彦命」と「武渟川別命」の親子について伝承を調べています。大彦は 孝元天皇(8代)の皇子ですね。

 関東近郊にも 「武渟川別命」を祀る神社がありますので、ここで紹介したいと思います。

<飯綱神社>(いいつなじんじゃ) 

所在地: 静岡県 富士市 江尾712
御祭神: 宇迦之御魂神
  配神  素盞鳴尊 瓊瓊杵尊 大己貴命
      大山津見命 疱瘡神 菅原道真
御由緒:『神社明細帳』によると 崇神天皇10年、東海道に派遣された四道将軍【武淳川別命】によって創建された。

⇒『武淳川別命』が創建に関わったとされる神社でした。

<武蔵御嶽神社>

所在地:東京都 青梅市 御岳山176
御祭神:大己貴命・少彦名命
  廣國押武金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)※蔵王権現
  櫛真智命(櫛麻智命・くしまちのみこと)
  安閑天皇・日本武尊
御由緒:創建は第10代崇神天皇7年、【武渟川別命】が東方十二道を平定の折、大己貴命・少彦名命をお祀りしたことが起源と伝わります。

⇒『武淳川別命』が創建に関わったとされる神社でした。


<岩根神社>

所在地:埼玉県 秩父郡 長瀞町井戸235
御祭神:大山祇命 木之花開耶姫(産泰様) 
  ・大口真命(お犬様)
  ・手力男命・大己貴命
  ・武沼河別命・御嶽大神・日本武尊

御由緒:第十代崇神天皇の代、四道将軍の一人である【武沼河別命】が東方十二ヶ国の平定に当たり当地をお通りの際、濃霧のため、道に迷われたが、大山祇命の使いである巨犬が現れ、命を導かれた。
 命はここに大山祇命を祀られて奉謝する。これが当社の創めであると伝えられている。

 その後、日本武尊命、当社に詣でて剣を献じ給い、下って坂上田村麻呂社前に樫の苗木を植えて、「吾が心、樫の如く、固く折れず、挫けず、東蝦夷鎮圧を遂げさせ給え」と祈願する。

 ※なお宮司家は磯部氏(物部姓)

⇒『武淳川別命』が創建に関わったとされる神社でした。


<勝呂神社>

所在地:埼玉県 坂戸市大字石井226
御祭神:菊理姫命(くくりひめのみこと)
     伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)
​  配神:建渟河別命(たけぬなかわわけのみこと)
     豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)

 御由緒:第六十五代花山天皇の御代、寛和二年(九八六)、加賀国一の宮の白山比咩神社の御霊を勧請し創建されたことによるもので、主祭神として菊理姫命・伊邪那岐命・伊邪那美命を、配神として建渟河別命・豊城入彦命を奉斎します。

 第十代崇神天皇の御代に、当地を拠点にして活躍した四道将軍の一人【建渟河別命】が当地古墳【勝呂神社古墳(すぐろじんじゃこふん)】に葬られていると伝わっている。

⇒『武淳川別命』が葬られた伝承のある神社でした。


<勝呂1号墳(勝呂神社古墳) >

所在地:埼玉県 坂戸市石井
規模・形状:径50〜55m、高さ4.2mの円墳
築造時期:6世紀後半~7世紀初頃の築造。

⇒築造時期を見ると、武渟川別命 自身が この古墳に葬られていることでは、なさそうです。
 ただし、この古墳には武渟川別命の後裔が葬られている
可能性はあると思います。

 そして、この付近に「武渟川別命」が葬られている可能性はあると思います。

<健田須賀神社>

所在地:茨城県 結城市 結城
御祭神:武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)
     須佐之男命(すさのおのみこと)
御由緒:当神社は明治3年に「健田神社」と「須賀神社」が現在の地に合祀になりました。

「健田神社」の創建は大変古く現在の地より2キロ程東南にありました。
この地は古代より現在に至るまで、霊峰筑波山を拝するのに素晴らしい地にあり、古代人はここで祭りを行い、日の出から暦を察した場所と考えられます。やがて神社の様相を呈し、結城の国造・竹田臣の祖神【武渟川別命】を祀ったといわれています。

「須賀神社」は結城家初代朝光公が仁治3年(1242)尾張国津島神社よりご神霊【須佐之男命】を勧請し結城城の鬼門除け、結城家第一の氏神として手厚く祀られ結城家はもとより広く民衆に信仰され結城の産土神として崇敬されました。

⇒後裔が祖神である『武淳川別命』を祀ったことを起源とする神社でした。

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