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世界最高峰の美術館、展覧会の製作過程とその舞台裏

6年程前のことになります。《 世界最高峰の美術館で開催された「挑戦的な展覧会」の製作過程と「メットガラ」というオープニング・イベントの舞台裏に飛び込んで撮影されたドキュメンタリー映画 》が日本で初公開されるという知らせを聞き、映画館に足を運んでみました。
そのドキュメンタリー映画は『メットガラ(Met  Gala)』という映画でした。

今回は、その『メットガラ』というドキュメンタリー映画について、観て印象に残ったこと、感じたこと、考えたこと、そして学んだことを文章にして見ようと思います。

この『メットガラ』という映画の舞台となるのは、メトロポリタン美術館です。
ここでメトロポリタン美術館について、文献を頼りに少し概観して見たいと思います。

メトロポリタン美術館《The  Metropolitan  Museum   of  Art (The  Met)》は、ルーヴル美術館、エルミタージュ美術館と並び、世界の3大美術館の一つと称されています。1882年2月に開館したこの美術館は、アメリカ最大規模と世界一の来館者を誇っています。
The  Met には紀元前15年頃のエジプトのヌビアに建設された神殿をはじめ、絵画、彫刻、写真、工芸品のほか、服飾まで、世界各地で収集した幅広いコレクションは、その数は300万点を超えます。

特にモネ、マネ、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ドガ、ロートレックなどの印象派絵画、レンブラントなどの中世ヨーロッパ絵画等はとても人気がある様です。そしてアジア美術部門のコレクションには、歌川広重や葛飾北斎の浮世絵、柴田是真の蒔絵などの日本の傑作も数多く収蔵されています。全ての部門をじっくり見るには最低3日間は必要であると言われています。
The  Met  の閉館日については、毎年5月の第1週の月曜日及び、感謝祭、そして12/25 と 1/1  です。

今回の映画のタイトルにありました『メットガラ』は、毎年5月の第1週の月曜日の休館日の1日だけを利用して開催されます。
『メットガラ』とは、メトロポリタン美術館「Met」とフランス語で祭典を意味する「Gala」から来ています。直訳すれば《 メトロポリタン美術館の祭典 》と言ったところだと思います。

『メットガラ』を開催する目的は、メトロポリタン美術館の服飾部門の活動資金の調達にあるようです。
この 「Gala 」はメトロポリタン美術館の付属服飾研究所(Costume   Institute)が主宰する企画展覧会のオープニングを飾るイベントのことを言います。

このイベントは多くのセレブが集まり、とても華やかで賑やかな祭典になるため アートファンやファッショニスタの多くが注目をしています。  
そしてこのイベントの翌日から企画展覧会が4ヶ月間、開催されることになります。

今回のドキュメンタリー映画は、このオープニング・イベント『メットガラ』に向けての舞台裏での準備の様子や、企画展覧会に向けての8か月間の舞台裏での準備の様子の両方を、本来は潜入が不可能と言われている舞台裏にカメラが入り、撮影し映画化したものです。映画のストーリーは、イベント準備のシーンと企画展覧会の準備のシーンが織り交ぜられながら展開していきます。

この舞台裏を撮影するのは、映画監督であり撮影、編集も担当するアンドリュー・ロッシ監督です。
彼は、撮影許可を得るために US版「VOGUE」誌の特別プロジェクト主任者であるシルヴァナ・ウォード・デュレット氏と面会し、そしてメトロポリタン美術館館長のトーマス・P・キャンベル氏とも面会をし、さらには今回、この映画の主役となるアナ・ウィンターに、そしてもう一人の主役になるキュレーターであるアンドリュー・ボルトンとも面会を重ねるなど、一つひとつ丁寧に交渉を進めて来たそうです。そうしたプロセスを経て漸く撮影の許可が下り映画化が可能になった様です。

けれども映画化については、誰もが始めから同意をしていた訳ではありませんでした。特にキュレーターであるアンドリュー・ボルトンはそうでした。映画化への企画の話しをアナ・ウィンターから持ちかけられたとき、ボルトンは舞台裏にカメラが入ることに躊躇いがあり、直ぐには同意はしなかった様です。
その理由は企画展覧会の裏舞台は、とても繊細な作業であり、また裏方で作業をする人たちは、人に見られることに慣れていないからということでした。

そんな彼の考えに対し、常にポジティブなアナ・ウィンターは、ボルトンが物事を前向きに捉え「舞台裏にいる人たち全員が一つの目標に向かって知恵を出しあい、協力しあいながら、直面する様々な課題に向き合いながら、一つひとつ取り組んでいくその姿は、外部の人たちには殆ど知られていない。だからその姿を世間の人たちに知ってもらい、そして理解をしてもらうにはとてもいい機会だ」とその様に考えを変えて貰える様にボルトンを説得し、撮影化を可能にさせました。
そしてそれだけではなく、アナ・ウィンターは、プライベートな自宅にまでカメラの持ち込みを許可し、有りの儘の自分姿をこのドキュメンタリー映画の1シーンに加わえたことは、興味深いことでした。

自宅のリビングで、娘のキャサリンに話し掛けているジーンズ姿のアナ・ウィンターからは、オフィシャルな場で見せるアナ・ウィンターの緊張感や、センスのいいフォーマルな服装、振る舞い、張り詰めた雰囲気、クールさは感じられませんでしたが、さり気なく娘に話しかけているときのしぐさや言葉から、合理的にものを考える習慣が身についた、聡明な女性の一端を垣間見た様な感じがしました。

このシーンを見ていると、被写体も然ることながら、そうした場面を淡々と撮影していく映画監督のアンドリュー・ロッシ氏の手腕にも驚きを感じました。
そんなアンドリュー・ロッシ監督ですが、このドキュメンタリー映画を撮影するに当たり、コメントで  
《  撮影するに当たり、アナ・ウィンター氏が、本当はどんな女性なのかを視聴者に気付いて貰えるために、ドキュメンタリー作家の心構えの一つである  “ 壁のハエになれ!”  という言葉を常に心に留め、被写体がカメラを意識しないで自然体でいられるように、また自然に何かが起きるように、自分の存在感を消しての撮影を心掛けています。》と語っていました。
アンドリュー・ロッシ監督のこの姿勢は、とても大切なことを気付かせてくれている様に思いました。

ここで映画『Met  Gala』の監督、撮影、編集をしたアンドリュー・ロッシ(Andrew  Rossi)監督について少し触れておきたいと思います。
ロッシ氏は、大学卒業後、ロー・スクールを卒業し、ドキュメンタリーの映画界に入りました。 
2011年には、ニューヨーク・タイムズ紙の内情を追う「Page  One」を撮影、監督、製作し、アメリカ国内の映画批評家協会より最優秀ドキュメンタリー映画にノミネートされました。そしてその後に撮影、製作、監督をしたドキュメンタリー映画において2014年最優秀ドキュメンタリーに選ばれると同時に、エミー賞 ニュース & ドキュメンタリー賞のビジネス及び経済報道部門賞にノミネートされました。経済、社会、文化の内部に深く入り込み、真実の姿をカメラで撮らえてドキュメンタリー映画化しようとするロッシ監督のその思いは、学生の頃から持っていたのではないかと思います。

次に、2015年の企画展覧会とそれを支えたキュレーターのアンドリュー・ボルトンについて書いて見たいと思います。
この企画展覧会を企画した重要な人物として、気鋭のキュレーターであるアンドリュー・ボルト(Andrew   Bolton)の存在があります。 
今回のドキュメンタリー映画に収められたのは、2015年に企画され開催された企画展覧会とその準備過程での舞台裏についてです。この年の企画展覧会は、ボルトンの発案で、東洋の影響を受けた西洋のファッションと美術、歴史、映画との融合をテーマにしたものでした。
この企画展覧会は、150以上の服飾を展示し、製作には40人以上のデザイナーが関わりました。この企画展は、開催予定期間の4ヶ月を延長して開催され、The  Met の服飾部門史上最多の80万人以上の来場者数を記録しました。

映像を通して見るボルトンの姿は、微笑みを絶やさない物静かな人という感じでしたが、一方で既存の企画内容や展示方法から脱却して、挑戦的な企画展を作り、ファッションをアートへと格上げしていこうとする、強い意志と行動力と情熱をその姿から見てとることが出来ました。

ボルトンが自ら判断をし、自ら行動を起こし、多くの様々な考えを持った、時には反対意見もある個性の強いデザイナーとの交渉を重ねながら、直面する多くの課題を一つ一つ解決しながら、狭いファッションの世界を美術、映画、そして、歴史、文化の世界へと拡大して行こうとするボルトンのその姿をスクリーンを通して観ていると、彼の誠実さや熱意や知性、そして研ぎ澄まされた感性を感じました。

ここでアンドリュー・ボルトン(Andrew  Bolton)のキャリアについて文献を探し少し調べて見ました。
その文献によると、彼は1966年にイギリスで生まれ、大学では人類学と芸術を学び、卒業後はヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に就職しました。その後、2002年にはメトロポリタン美術館服飾部門のキュレーターになりました。
メトロポリタン美術館においてボルトンは、数多くの展覧会を企画しましたが、彼が企画した展覧会はとても人気があり、常に注目されていた様です。また彼には13冊もの著書がありましたが、それだけではなく、時には各地に出向いて講演をしたり、一方では、様々な出版物に寄稿するなど積極的な活動をしています。

次に、この映画の本当の主役であり『メットガラ』の主催者でもあるアナ・ウィンター(Dame   Anna  Wintour)のビジネスパーソンとしての敏腕さと、その人物像について、とても強い関心をがありましたので、スクリーンを通して観るだけでなく文献でも調べて見ました。
それによると『メットガラ』の収益はファッション誌US版「VOGUE」の編集長であるアナ・ウィンターがMetの理事に就任してから、多くの華やかなセレブが出席する様になり、そのことでメディアや世間が注目する様になり、2015年までに集めた活動資金の総額は1億2千万ドル超(2015年時点での日本円に換算して133億円超)になったそうです。
『Met  Gala 』がプレミアムなイベントにまでに成長出来たのは、アナ・ウィンターの人脈とファッションへの情熱の賜物であるとも言われています。

ここで、この映画のスクリーンを通して垣間見た、設営準備の中で繰り広げられた印象に残ったシーンについて触れて見たいと思います。
それは、開催まで残り1週間になっても設営が出来ていない状況の中で、スタッフもボルトンも不眠不休で仕事を続けている様子や、メインゲストにリアーナというポップスターを招聘する計画をしていたが、高額なギャランティーを提示され、その交渉に当たるアナ・ウィンター。また出席者に気前よく寄付をしてもらえるために、パーティでの席順に苦慮するアナ・ウィンター。一人ひとりの席順決めに苦慮しているのは、席順を間違えると「Met  Gala 」が失敗してしまうという思いがあったからの様でした。慎重にパーティの席順を考え、それが  「Met  Gala 」の開催目的である寄付にどう繋げていくかを思案しスタッフに指示を出しているアナ・ウィンターの姿がそこにありました。
そんなアナ・ウィンターの、何としても「Met  Gala」 を成功に導かなければならないという、アナの本気度を身近に感じたスタッフたちが心をひとつにしていく光景がありました。

最後になりましたが、この映画の本当の主役であるアナ・ウィンターについて書こうと思います。

文献によると、アナ・ウィンターは、1948年にイギリスで生まれ、1970年に『ハーパース・アンド・クイーン』誌の編集アシスタントとしてファッション業界に入りました。その後『NEW  YOR K』などの編集を手掛け、1983年にUS版『VOGUE』のクリエイティブ・ディレクターになり、1986年にはUK版『VOGUE』の編集長に就任しました。アナが就任した頃は同誌の経営が悪化していましたが、アナの手腕により同誌を立て直すことが出来ました。後に、この時の手腕が評価され、以前クリエイティブ・ディレクターをしていたUS版『VOGUE』から、1988年には編集長として迎えられました。
それ以後のアナ・ウィンターのファッション界における業績やメトロポリタン美術館における多くの貢献が認められ、これまで「メトロポリタン美術館コスチューム・インスティチュート」と呼ばれていた服飾研究所の名称が『メトロポリタン美術館  アナ・ウィンター・コスチューム・センター』へと改称されました。

さらに2017年には英国バッキンガム宮殿において、エリザベス女王よりディム(叙勲)の称号を授与され、ファッション界の女王とも称されるようになりました。
けれどもここに至る迄には、アナの業績に関わらず「鬼編集長」「氷の女王」あるいは「核爆弾のアナ」などと言われマスコミから大バッシングを受けたこともありました。
またアナ自身がメディアによく取り上げられるので、ファッション業界のアイコンとも言われたり、時には論理的にストレートな発言をするので、女性らしからぬ人と批判されたり、アナの人物評価については賛否両論がありました。

そんなアナですが、才能あるキュレーターやファッション・カメラマンを発掘したり、モデルから映画スターを作ったりと、非常に高い美意識を持ったアナの抜群の編集能力、先見力、決断力、そしてその実行力はファッション業界に多くの業績を残しました。  
その中で、アナ・ウィンターの大きな業績のひとつを取り上げて見たいと思います。

1990年代前半頃から、ハリウッドスター、ファッショニスタ、アーティスト、作家、ミュージシャン、そして政治家までもがパパラッチ(Paparazzo:有名人を追いかけ回すフリーカメラマンたち )に追い駆けられるようになり、セレブ(Celeb:世界的にマス・メディアや大衆に広く認知されている、ある特定の業界や分野で名が知られている著名人や有名人)が世間から注目を集めるようになった動向に、アナはいち早く注目し、セレブの価値を見抜きました。そして今まで年配マダムを読者層としていた『VOGUE誌:単なるファッション誌の内容』の編集内容を大きく変え、セレブ、アート、ビジネス、テクノロジー、旅行、グルメ、そして政治まで、編集のテーマを拡大させ、それを取材し掲載することにより『VOGUE誌』が大きく生まれ変わり、先鋭的なファッション誌として世界中で多くの読者層を獲得することが出来るようになりました。日本でも書店に足を運ぶと日本版と英米版の『VOGUE誌』を手にすることが出来ます。

ここでまた映画のシーンの話しに戻りますが、この映画の終盤のシーンで印象に残ったことは、賑やかで華やかなパーティ会場の傍らでオープニング・イベントが予定通り展開されていくようにと見守るアナ・ウィンターの姿と、静かなギャラリーでボルトンがひとり、マネキンや作品を一つひとつ点検して歩いている姿がとても対照的であったことです。
 
今まで成功を信じ、二人三脚で奔走して来たアナとボルトンでしたが、「メットガラ」の主催者で、「VOGUE」の編集長で、そして「Met」の理事でもあるアナ・ウィンターの、このプレミアム・イベントの場で服飾部門の活動資金をどれだけ調達できるかというメトロポリタン美術館の経営者の1人としての思いと、挑戦的な展覧会を作り、ファッションに対する先入観を変えていこうとするキュレーターのアンドリュー・ボルトンの思いの違いを、映画の終盤のスクリーンでは、はっきりとその光景を撮らえていました。
経営の最前線に立つビジネスパーソンとしてのアナ・ウィンターと、挑戦的な企画展覧会を通してファッションの領域を広げていこうとするキュレーターのボルトン。それぞれが違う方向を見ているその光景がとても印象的でした。

映画『メットガラ』は、ファッションの世界を取り上げたドキュメンタリー映画でしたが、ファッションの世界に限らす、広くあらゆるビジネスの世界に共通する内容を持っており、学ぶことがとても多かった映画でした。  

映画『メットガラ』に出会えたことに感謝したいと思います。

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