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子供について、希望と、、記憶と、、


昔、よく『子供が好き』と聞かれて、『普通』と答えていた。なぜ、好きと言えなかったのか?は、僕なりに、人類や社会、文明に疑問を持っていて、子供のことが大切に思えば思うほど、安易にこの世界に誕生させて、幸せなのか?疑問だったからだ。あれから20年たったいまも、答えはよく分からない。

子供について最近思うことは、子供はやはり希望だ。新しい生命というのは無限の力強さと生命力と可能性を感じる。そして、医療と科学と文明の進化のおかげで、長生きしすぎる人類にとって、30〜40歳前後で死ぬはずだった人類にとって、そのあり余る時間を埋めるには、子供の誕生と成長は人生を生き抜く励みになり、うまくいけば良い記憶・歴史になる。しかし、同時に、この時代に子供達が生きて行くのは、本当に幸せなのか?とすごく思う。親として、大人として、どうして君は生まれたのか?子供に説明するべきなのか?分からない。

理想は、『ママのことが好きすぎて、どうしてもママとの子供を見てみたかった』と言えることかも?しれない。理論だけではいつでも論破されてしまうので、ここではあえて感情論で答える。理由はない、『好きだから好き』ということだ。『どうしても、君に生まれてほしかった。』『君に会いたかった』ということだ。


しかし、現代の結婚生活、結婚を維持するのはすごく難しい気がする。経済的にも制度的にも、1番の原因は、自由な時間がないということかも?しれない。

どういう時間が必要かというと、妻と子供と一緒に何かをする、もしくわ何もしないという、共に過ごす時間である。

自分というものは、他人を通さないと分からないと個人的には思う。

つまり、妻や子供は、僕と一緒に子育てしたとか一緒に過ごしたという記憶を通して、私(妻自身、子自身)という自己認識をする。子供にとって、父と過ごした幼少期(遊んだこと・過ごした)のある私というものが、父を必要とし、これからも一緒に過ごしたいという気持ちを作る。それは、妻や恋人にもいえる。あなと共に苦難を乗り越えた、楽しい思いをした記憶・歴史というのが、2人の絆になり、他人同士をくっつけるのだと思う。


しかし、現代は、時間がない。仕事時間が多すぎると思う。過剰にお金がかかるように設計された社会は、多くのお金を必要として、たくさんのお金を稼ぐ仕組みを得られずに、こぼれ落ちてしまった人々にとって、時間をお金と交換するしかないからだ。

豊かさだけでは、幸せになれない人類にとって大きなターニングポイントかも?しれない。そのまま大きな波で、突き進んでいくのかも?しれないが、、、。

そんなことを思う今日この頃、、、
遠くで、公園のブランコに乗る子供が空高く舞い上がる姿をみて、過去の自分はあの時、『子供を好き』と言えるようになったのだろうか、、、、





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