ノーサイド・ゲーム⑧「屈辱は成功への原動力になる」
いよいよ明日は『ノーサイド・ゲーム』の最終回です。
アストロズの優勝の行方は?君嶋を待ち受ける運命は?
簡単なあらすじ
滝川常務が進めるカザマ商事の買収が、いよいよ1ヶ月後には手続きは完了し、正式に決定する。そうなれば、社長の椅子は滝川のモノになり、トキワ自動車は大きく変わる。現社長肝いりのアストロズも、お取り潰しになるのは間違いない。しかし、その買収の裏では問題が隠れていた。
2年前に起こった海洋事故の原因が、カザマ商事が扱っているオイルによるものだった疑惑があった。仮に、カザマ商事の責任なら、買収後、5000億円もの賠償を、トキワが背負うことになり、社を左右する事件になってしまう。
専門家の調査により、一度はその疑惑は払拭されたが、その専門家とは、カザマ商事のゴルフ建設に反対する市民のデモ隊の先頭に立つ教授だった。君嶋は、デモ隊に対して真摯に向き合い、話し合いの場を設けた。デモ隊のリーダーの話を聞くと、その教授がある時からぱったりと姿を見せなくなったことを聞き、海洋事故調査の件とデモのことを危機に、教授の元に訪れる。
しかし、海洋事故の調査結果に間違いはなく、デモに顔を出さなくなったのも忙しかったからだと。そんな中、教授の娘が入院し、海外で移植手術を受けるという情報が入る。それには、2億円近いお金がいること。君嶋は、一連の疑惑の尻尾を摑む。再び教授に詰め寄る君嶋。娘の手術費と、亡き妻との思い出の銀杏の木を残すことを条件に、調査を偽装したんじゃないかと。娘の命には変えられない教授は、「これ以上は私の口からは言えない」と、偽装を認めることはなかった。
アストロズは、リーグ開幕に向けて、部内マッチを行う。君嶋は、アストロズファンにもなってくれたカザマ商事の青野に、「観に来て欲しい」と招待する。青野は、大学時代ラグビーをやっていたが、怪我をして辞めてしまった。さらに、トキワのカザマ買収のトップ会談にも顔を出し、滝川常務から、「辞めてなかったらこんな高い酒は飲めなかっただろう。よかったな。ラグビーを辞めて。」と、素直には喜べない言葉を投げかける。滝川常務もまた、貧しかった大学時代を思い出していた。
そんな過去を持つ青野は、部内マッチを観に来ると、自分の過去を思い出しながら観戦する。怪我をした時、レギュラー争いで、自分の怪我を狙って倒された時、選手生命が絶たれてしまった。チームエースのベテラン花畑に対抗した若手の七尾も、古傷があった。その七尾を見て、「怪我を狙ったら一発で倒せるのに」と、つい口走る。自分にそんな経験があったからと。
君嶋は言う。
「七尾に医者を紹介したのは、ライバルの浜畑なんです。戦うのはグラウンドだけで、外では家族ですから。ただ勝つだけでなく、正々堂々と向かい合って勝つ。それがアストロズのラグビーなんです。」
そのフェアな姿勢に、驚く青野だった。
試合は終了し、レギュラー発表を待つ間、君嶋は青野に海洋事故の件を問いただす。教授の娘は手術のため、無事アメリカに旅立ったと。そして、青野が真実を握っていることを知っていると。買収後に真実が発覚すればトキワは傾き、間違いなくアストロズは廃部になる。「アストロズを守ってやれるのは、あなただけなんです!」とお願いする。君嶋は、アストロズの姿を見えてもらいたくて、部内マッチに呼んだのだった。
そして、アストロズのレギュラー発表。注目の花畑と七尾のどちらが選ばれるのか。名前を呼ばれたのは七尾だった。目を閉じる花畑。発表後、七尾の元へ行き、「頼んだぞ」と抱きしめた。
その姿を見た青野は、「私も、彼らに恥じない自分でありたい。」と、アストロズを守る覚悟を固める。
アストロズ優勝に向けて、トキワの未来を賭けて、物語は終盤に差し掛かる。
滝川を作り出した過去の屈辱
君嶋にとって滝川常務は、自分を追いやり、自分の前に立ちふさがる存在です。トキワの常務を務め、カザマ商事買収を成立させればいよいよ社長となる。買収するカザマ商事の社長は滝川の大学の同期でもあり、結託して買収を成立させようとしていました。
そんな滝川の回想で、今の滝川を生み出した背景が描かれました。大学時代、貧乏だった滝川は、裕福な家だった風間と友人に連れられ、高級レストランに行き、高級ワインを初めて飲む。支払いは一人8000円で、なけなしのバイト代を渋々出そうとすると、当然のように万札を引き抜かれ、次のお店に行こうと言う友人を置いて、滝川は逃げるように「俺は帰る」と店を出ようとすると、風間が
「感謝しろよ?一生来れない店に連れてきてやったんだからよ。貧乏人がぁ。」
と軽蔑したように言い放つ。その言葉と経験が、今の滝川を生み出したのです。
屈辱は成功するための原動力になる
人生において、「屈辱」や「挫折」「劣等感」と言うものは、大きな意味を持ちます。良くも悪くも、大きな力になることは間違いなく、怒りや憎しみは、時に考えられないようなエネルギーを生み出します。良い使い方をすれば、圧倒的な努力に耐えられるエネルギーにすることもできるし、悪い使い方をすれば、復習したり、人を殺したり、安直に犯罪をしてしまったりします。
逆を考えてみてください。屈辱も、劣等感もない人生だったら、そこまで本気になれるでしょうか?
例えば、ボクシングの世界チャンピオンになった内藤大助さんは、「リアルはじめの一歩」と言われていて、昔は貧乏でいじめられていて、いじめっ子を見返すためにボクシングを始めたそうです。その後、世界チャンピオンに登り詰めましたが、「いじめ」を経験していなければ、ボクシングをすることもなかっただろうし、ましてや世界チャンピオンになることもなかったと思います。
マイナスがなければプラスもない
つまり、マイナスがあるからプラスがあるんです。ただ、マイナスをプラスに変えるには、相当な努力が入ります。マイナスの経験をしたから、何もしなくてもプラスになるわけでは在りません。マイナスの経験、不幸な経験を受け入れて、悔しさや屈辱、惨めさを味わい尽くすから、プラスに転じさせるエネルギーを蓄えることができるのです。そのエネルギーをプラスに展示させて使うことができるから、内藤さんは世界チャンピオンにもなりました。マイナスの出来事や不幸を嘆いているだけでは、何も変わらないでしょう。
辛いことは、受け入れることは簡単ではありません。認めたくないことを認めることは、勇気がいります。しかし、それができなければ、ずっとマイナスや不幸のままになるのでしょう。もし受け入れ、認められたなら、プラスに変えられる原動力になるはずです。そんな風に考えればプラスもマイナスも表裏一体で、そもそもマイナスも不幸もない、ということに行き着くことができるんじゃないかなと思います。
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