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【ウラヨミ】あおり運転バカップルが捕まったわけだが

ついにあおり運転バカップルの逮捕

常磐道でのあおり運転から約一週間。危険運転と高速道路上停車違反、からの暴力行為によって、宮崎文夫容疑者とガラケーで撮影し、進路妨害をして暴力を振るっている間も冷静にガラケーで撮影していた51歳の喜本奈津子容疑者犯人隠避の疑いで二人とも無事逮捕されました。以前のコラムでも触れましたが、やっとぼかしが外れましたね。こんな悪質な事件なので、最初からぼかしを外していたら、もっと早く逮捕できたでしょうね。

まずは宮崎容疑者。

もうニュースで見たかとは思いますが、警察に囲まれたと思ったら、こいつもガラケーを取り出し(お前もガラケーかい!!)、生野警察署に出頭する電話を掛ける、と少しでも罪を軽くしようとみっともなく悪あがきをし、警察に対しても怒気を強めて威嚇していました。
警察署に出頭の電話をかけたようですが、結局はその場で取り押さえられ、逮捕となりました。ほんま往生際の悪い。まぁ、見事に小物な悪役って感じですよね。しかもこの男、他にもあおり運転をしていたのは周知の事実ですが、過去にも監禁容疑がかかっていたり、バレていないだけで、他にも色々とやってそうです。

そして、ガラケー女と呼ばれている喜本容疑者も逮捕されたということですが、その罪状は、犯人隠避ということで、ってことはですよ?高速道路上での妨害や暴力扶助は罪には問われないということですかね。後々再逮捕に夏かもしれませんが、43歳と51歳て・・・。付き合ってるみたいですけど、こんなおっさんを庇うとか、こんな男のどこがいいんですかね。

まぁ、体かな。

ってか、逆に、こんな女のどこがいいんでしょうか。

まぁ、体かな。

愛と言っていいかはわかりませんが、愛に善悪はありませんからね。相手がどんなにクズでゲスであろうが、自分に対してそうでなければ、男女の関係はそれで成り立ってしまうことがありますよね。

みっともない悪あがき

逮捕直前の宮崎容疑者は、「逃げも隠れもしない」と言ってますが、そもそも逃げも隠れもしていた訳で、おもろない漫才か?と思うくらい、堂々としたやり取りでした。それは「自ら出頭する」という意思と主張の正当性があると思っていたんで賞ですが、何を勘違いしてるんですかね。ドラマの見過ぎ?みたいな感じですよね。人権問題になるかもしれませんが、そんなものは正当性でもないし、そんな主張が通じる訳ありません。

明らかに何かの狙いがあるようにも見えますが、そこにいた喜本容疑者を「喜本さん!」と何度も大声で呼び、喜本容疑者も、「自ら生野警察署に出頭しますから、手を繋がせてください」と。あれ、漫才終わってないの?と思いましたが、おてて繋いで出頭するなんて、聞いたことないし、感動するドラマならまだしも、ふざけすぎですよね。

送検時も、手で顔を塞いで、車を降りてからもずっと手で顔を塞いでいました。これもまぁなんともね・・・。

潔さは日本人の美学

日本人の美学の一つに「潔さ」というものがあると思います。日本といえば「侍」という象徴的な存在がありますが、世界に誇る「侍」の要素の一つに「潔さ」があると思います。死を覚悟したら、潔く切腹することができる。それは、一見異常かもしれませんがそれだけの覚悟や信念を持って生きられる、というのが「侍スピリット」であり、日本人のアイデンティティの一つでもあるんだと思っています。

それがですよ。逮捕前の宮崎容疑者の行動は、あまりにも潔くない。みっともない。情けない。このあおり運転はもちろん、吉本問題もそうだし、政治家による問題などもそうですが、何かをやらかしたりすることは誰にでもあるし、仕方ないところもあるかもしれませんが、その後の対応が、全てを決めます。

嘘をついたり、逃げて隠れたりしたり、言い逃れしたり、悪あがきするような対応をした人は、大体話題になるニュースのネタになっています。闇営業問題の一番の焦点は、結局最初の嘘にあります。闇営業や反社勢力が相手だったというのは、不可抗力もあります。しかし、保身や逃げ切れると言う甘えから、嘘をついたことで、これだけの大問題に発展しました。あおり運転事件も、警察が重い腰を上げて、やっと逮捕状を請求する頃には宮崎容疑者は逃げ隠れしていた訳です。その挙句、見つかっても悪あがき。これでは、日本人の感情として受け入れられず、許すものも許されません。

「抑圧と反発」「規制と反動」は人間の本質

今回のあおり運転事件は、事件としては、結果として誰かが死んだ訳ではなく、「踊る大捜査線」のすみれさんには激おこされるかもしれませんが、大きな事件とは言えません。しかし、その内容はとても悪質なもので、いつ大きな事件が起きるとも限らないものです。普段から、クレーマーとして迷惑をかけたり、事故にはならなくても、あおり運転で危険運転を繰り返したり。被害者や犠牲者は既にいて、野放しにしていてはもっと増えることと思います

宮崎容疑者を逮捕したからと言って、あおり運転がなくなることはありませんが、少なくとも、誰でもどこでも起きうることなので、法律や罰則を見直さなければならないかもしれません。大きな事件や残酷な事件があって、法律が作られたり変わったりするのは世の常です。ドライブレコーダーをつけている人も多く、至る所に防犯カメラがあり、スマホを持っている誰もが録画してSNSに上げることができます。変な話、悪いことはしにくい世の中になってきたはずなのに、それでも犯罪は無くならないし、むしろより悪質になっているのかもしれません。

抑圧によって、反発は大きくなるものです。そして、不思議なものですが、規制が厳しいほど、規制できないような事件が起こったりします。アメリカでは、アニメで流血シーンは規制されて、血が見られないようにしています。例えば、『ONE PIECE』は、戦いで血が流れても血が映らず、タバコを吸うシーンも規制していて、サンジはタバコではチュッパチャップスを舐めてるんですよ。そんなアメリカでは、銃乱射などの悲惨な事件があったり、マリファナが合法だったりもします。
そして、コンプライアンスによる規制などによって、テレビも面白くなくなってきています。無規制だと、それはそれで問題でしょうが、規制をするということは、それに応じた反発もあるということですね。

いつの世も悪いことをしたり、障害があるほど乗り越えたくなるのは、人間の本質だと思います。ただ、その在り方やベクトルによって、善になるのか、悪になるのかという違いなだけだと思います。
こういった本質を掴んで、犯罪という出し方ではなく、創意工夫や役に立つ出し方をしていけるようにしていきたいものです。

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