【東大生の高校時代】 ジョジョと世界史と古典物理
「やらずに後悔するよりも、やって後悔した方がいい」
とよく言われますが、こんなのは嘘です。詭弁です。
たとえば、精いっぱい努力したのに失敗してしまったら、そのときの絶望感は計り知れません。一方、始めから努力なんてしなければ、失敗しても「あのとき努力してればなあ」と後から言い訳できて、精神的なダメージが少なくて済みます。
だから「やって後悔するよりも、やらずに後悔した方がいい」のです。
このように、“失敗したときの言い訳を作るために、あえて努力しないこと”を、心理学の用語で、『セルフハンディキャッピング』といいます。
たとえば、テスト直前になって部屋の掃除を始めたり、漫画を読み始めたりしてしまうのは、テストで失敗してしまったときの言い訳を作るための『セルフハンディキャッピング』の一種です。
高校時代の私はずっと「なんとなく勉強したくない」と感じていたのですが、今思えば、それも『セルフハンディキャッピング』の一種だったのでしょう。
受験に失敗したときの言い訳を作るために、無意識のうちに勉強しないようにしていたのだと思います。そうすれば、もし受験に失敗しても、「あのとき勉強してればなあ」と言い訳ができますからね。
こんな風に努力に後ろ向きになっていた私に、進むべき道を教えてくれたのがジョジョでした。ジョジョを読んでいなければ、勉強に前向きになれず、東大にも合格できなかったと断言できます。
この記事では、私がジョジョから学んだことについて、高校時代に悩んでいたことに触れながら、お話ししたいと思います。
※本文では『第五部「黄金の風」がさらにわかる記事』の内容に大きく触れていますので、先にそちらをご覧いただけると幸いです。
【第1章】 古典物理 : ラプラスの悪魔
先ほど「無意識のうちに勉強しないようにしていた」と言いましたが、実は、勉強しないというのも簡単なことではありません。周りの人がバリバリ勉強しているのを見ていると、“焦り”がこみあげてきて、消極的に勉強してしまうものです。
もちろん、私にも”焦り”はありました。しかし、その”焦り”は、私を勉強させるのには働かず、自分が勉強しないことを正当化させるようにのです。つまり「勉強しない自分は正しくて、勉強してる連中は間違っている」と思い込もうとしたのです。
「勉強しないことの正当化」に一役買ったのが、古典物理でした。
古典物理では、「現在の状態が分かれば、未来の状態も分かる」という考え方が使われます。たとえば、「現在のボールの速さ・位置などが分かれば、何秒後に地面に着いて何回バウンドしてどこで止まるのかが分かる」という具合です。
といっても、「現在の状態を完璧に把握することはできない」「5秒後の状態を計算するのに5秒以上かかってしまう」などの理由から、このような“未来予測”は、実現不可能だと言われています。
しかし、実現可能かどうかは全く問題ではないのです。
重要なのは、「ある時点の状態が定まれば、それ以降の未来も決まってしまう」ということです。この考え方によれば、「未来のことは全て決定していて、自分では変えようがない」ということになります。
それどころか、未来を変えようとする自分の努力さえも、全てあらかじめ決まっているのです。
このように、「ある時点の状態を状態を完璧に知ることができ、未来を知ることができる存在」は、“ラプラスの悪魔”と言われています。
試験を受けるずっと前から試験の結果が決まっていて、自分の努力では結果は変えられないとしたら、、、それでも勉強を続けられますか?
それどころか、自分が“勉強するかどうか”さえもずっと前から決まっているとしたら、、、努力を続けられますか?
この古典物理の考え方、“ラプラスの悪魔”という存在は、「勉強しないことを正当化する」のに大いに役立ちました。
【第2章】 世界史 : 運命予定説
「勉強しないことを正当化する」のにさらに役立ったのは、ちょうど同じころに世界史で扱っていた“運命予定説”という考え方でした。
予定説に従えば、その人が神の救済にあずかれるかどうかはあらかじめ決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことではそれを変えることはできないとされる。(Wikipediaより)
私は運命予定説を知ったことで、「これから自分に起こることは全て決まっていて、自分には変えることはできない」と感じるようになりました。
世界史で運命予定説を習っただけでは、このように感じることはなかったのかもしれません。
しかし、“ラプラスの悪魔”と“運命予定説”をちょうど同じタイミングで知ったことで、この2つが結びついて、一段と説得力が増して聞こえたのです。
こうして、私の中で”運命論”が真理だと感じられるようになったことで、より一層「勉強しないこと」が正当化されました。
【第3章】 ジョジョ : 第五部「黄金の風」
ジョジョを読んだのは、そんなときでした。
実はジョジョは中学生のころに友達から借りて読んだことがあったので、読むのは2回目でした。(中学生のころ読んだときには、「バトルおもしれー!」「セリフかっこいい!」くらいの感想しか抱いていませんでした。)
しかし、名作は読むたびごとに異なる感想を抱かせてくれるものです。
”運命論”を知ってからジョジョを読み返すと、第五部のエピローグでキリストらしき人物が登場することに気づき、衝撃を受けました。
しかも、そのキリストらしき人物の能力は「近くに死期が近い人間がいるとき、その人間が死ぬとき姿を示す」というものです。
明らかに運命予定説じゃあないか!!!
第五部は「死ぬ運命が決まっている人物が、その運命にどう立ち向かうか」を描いた物語だったのです。
それに気付いてから、第五部はもちろん、他の部も何回も読み返しました。そして、ジョジョの全てに一貫する“人間讃歌”というテーマ、「結果よりも過程・意志が重要だ」という考え方に感銘を受けて、ジョジョにどハマりしたというわけです。
ジョジョのおかげで、「たとえ失敗したとしても、挑戦したという過程・意志こそが重要なのだ」と思えるようになり、少しずつですが、積極的に勉強できるようになりました。
あの頃にもしジョジョに出会っていなかったら、東大に合格することは絶対になかったでしょう。その上、「努力したって未来は変えられないのだから、努力なんて無意味だ」というニヒリズム的な思想に毒されていたかもしれません。
ジョジョに感謝するとともに、これからも人生に迷ったらジョジョを読もうと心に決めました。
以上、私がジョジョから学んだことについて、高校時代に悩んでいたことに触れながら、お話ししました。
「失敗するのが怖くて挑戦できない」と悩んでいたり、漠然と「勉強したくない」「努力したくない」と感じている方には、ぜひジョジョを読むことをオススメします。
最後に、ジョジョのセリフの中で、特に私が感銘を受けたものを紹介して、この記事を終わりたいと思います。
わたしは『結果』だけを求めてはいない
『結果』だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ…近道した時真実を見失うかもしれない やる気も次第に失せていく
大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている
向かおうとする意志さえあれば、たとえ今回は犯人が逃げたとしても、いつかはたどり着くだろう? 向かっているわけだからな…違うかい?
(第五部・アバッキオの元同僚)
真の『失敗』とはッ!
開拓の心を忘れ!
困難に挑戦する事に無縁のところにいる者たちの事をいうのだッ!
(第七部・スティーブン・スティール)
オレは『納得』したいだけだ!『納得』は全てに優先するぜッ!!
でないとオレは『前』へ進めねぇッ!
『どこへ』も!『未来』への道も!探す事は出来ねえッ!!
(第七部・ジャイロ・ツェペリ)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
第五部のエピローグ・「覚悟」の意味については別記事で解説しています。
ぜひご一読ください。
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