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【第二回】チェケラッチョ・マイ・ティンティン『ジェフリー・クックが描き出す「安全で幸福なディストピア」』

 九十七年に『さらば愛しき我々よ』を発表し、米国の、ひいては世界の文学界に強烈な衝撃を与えたこの作家は、以降もコンスタントに作品を発表し続け、ポスト消費社会を生きる我々の孤独と、ほんのちょっぴりの希望とを浮き彫りにしてきた。

 昨年に上梓された新作『アヴェリア通りの交響曲』でもその魅力は遺憾無く発揮されているどころか、さらに勢いを増している。加えて本作では恋愛、サスペンス、時代劇、果てはSFと、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような多ジャンル性を保ちつつも、最後には綺麗にまとめ上げる構成力が光り、不惑を迎えた彼の手腕は、職人的なそれすら感じさせるものとなっている。

 本誌編集部では邦訳版発売に合わせ来日した彼にインタビューを敢行。都内某ホテルの一室へ到着すると彼はにこやかに招き入れ、ワインを振舞ってくれた。恐縮する我々に彼はグラスを差し出し「何事も楽しまなきゃ」とウィンクを投げて寄越した。それから部屋を後にするまでの一時間ちょっと、ありふれた日常は魅惑的な非日常へとフェイドインしていくのだった。そう、まるで彼の作品のように。

― 昨年「アヴェリア通りの交響曲」を読んで以来、早くこの傑作が日本の読者に届かないかと、邦訳の発売を心待ちにしていました。あなたの作品はここでも人気が高くて、沢山のファンがいるんですよ。

 ありがたいね。僕も日本は大好きだよ。食事はどこも美味しいし、コンビニは便利だし、何より女性が美しい(笑)ひょっとしたらそれが全てかもしれない。

― 本作では十九世紀イングランドで庭師をしているフレッドの物語と、現代アメリカで弁護士をしているキャサリンの物語が交互に語られて行きます。今まであなたは現代劇を描いていたので、この舞台設定は新鮮でした。

 僕も新鮮だったよ(笑)正直言うと執筆中は今までの自分の作品にうんざりしててね、何か新しい試みをしないととても書き続けられなかったんだ。よくいるだろう?過去の焼き直しばかりして何も進歩しない作家がさ。僕はそんな風になりたくなかった。それでフレッドに登場してもらったんだけど、これが思いのほか上手くいってね、キャサリンのいる現在のNYと良いコントラストになったと思うよ。

― 確かにそうですね。それに加えて、本作は批評家からの「ジャンル横断的だ」という声が多いですが、これも意識して執筆したのですか?

 あー、よく言われたな「ジャンル横断的」って。でもそこは本作で特別意識したわけじゃない。だって僕の話は昔から「ジャンル横断的」だからね。黒か白かっていうサスペンスも、メランコリーな恋愛も、活劇的なことだって平等に描いてきたつもりだよ。ただそれが今回は即物的に表れたってだけでさ。やっぱりみんな目に見えることしか気にしてないんだなって思うよ。

― 確かにそうですね。キャサリンのクライアントも数字だけが全ての証券マンでした。この男が様々な問題を起こしていくわけですが、あなたの作品には度々こういった資本主義の弊害を体現したような人物が出て来ますね?

 うん。現代を生きる作家としてそれは避けて通れないことだからね。例えばアメリカでも、ここ日本でも、そして東南アジアの国々でだって、おんなじチェーン店の広告が街に表示されてるわけでさ、我々は企業活動という大きなムーブメントを通してひとつになってるんだ。ある意味でそれは豊かさの象徴だとも言える。みんなある程度の生活ができるわけだからね。でもその裏には虐げられて搾取されてる人間もいるわけ。そんなのディストピアじゃん。まぁ何が言いたいかっていうとさ、作家に限らずあらゆる表現者はそういった「安全で幸福なディストピア」といかに向き合うかっていうところが問われてくると思ってる。

― 確かにそうですね。あなたはそういった「安全で幸福なディストピア」で生きる我々はいったいどのように生きていけば良いと思いますか?

 難しい質問だな(笑)正直言って僕も答えを出せずにいるんだ。分からないからこそ書き続けてるって言ってもいい。僕は生まれつき熱しやすく冷めやすい性格でね、それまで病的に熱中してたこともあらかた理解してしまうと興味を無くしてしまうんだ。きっとその答えを見つけた時が、作家を引退する時なんだろうね。ただ、これまで書き続けてきて、その答えは我々が「愛」と呼ぶものと深く結びついているんじゃないかっていう予感はしてる。ひょっとしたら物事はびっくりする程シンプルなんじゃないかなってね。

― 確かにそうですね。

 音声データをここまで書き起こし、インタビュアーは何言ってんだかと小声で漏らし、コーヒーを口に運んだ。あのエロじじいは謝礼を現ナマで要求し受け取ると、プリーズパイオツカイデーチャンネーヒゥウィゴーとぬかしたのだ。

「お客さーん。いけませんよー。本番行為はー」

 従業員には何かがあった時のために通報装置を常備させている。中央に赤くて丸いボタンのついた小さな長方形で、このボタンを連続で五回押すと送迎係の携帯に異常が通知される。一室に到着すると、血を吹き出す鼻をおさえうずくまる中年の外国人と、ガラスでできた灰皿を構える従業員がいた。

「出た。出た出た出たよ。またアイドンノーザシステムだよ。あんたらはみんなそう言う。なんかのマニュアルにでも書いてあんのかな?もういいから、百万円払ってよ。わかる?ワンミリオンイェン。オーケー?あ、大丈夫?怪我ない?先車乗ってていいから。こいつはなんとかしとくからさ。三十分しないで戻ると思うよ」

 送迎係は当時をこう述懐する。

「そうすっと無言でうなずいて服着だしてさ。でも下着は引き裂かれてて使いもんになんなかったから部屋に置いて消えてったんだわ。したらさ、そん時見えちったんだけどさ、結構背中のあたりとか青アザついてんの。でもすぐわかったね、これは外人にやられたもんじゃないなって。あー、どんまいな人なんだなって思ったんよね。別に珍しいことじゃねーんよ。ワケありしかこないようなとこじゃん。別になんも同情とかそういうんは浮かばなかったわ。流石に顔とかやられっと商売になんねーから面倒いけど。まぁ別にいっかーって感じ。もうハタチ超えてたっしょ?テメーのケツはテメーでふける歳っしょ?俺が関わる筋はねぇって思ったんよ」

 あの日から一年後、送迎係は帰郷し家業を継いでいる。二人の子宝に恵まれ、趣味は早朝のランニングだと言う。最後に、いまの生活は幸せかと問うと、彼はちょっと照れ臭そうにはにかみながら、はいとうなずいた。

 一方、中国でのいざこざを丸くおさめた北沢はその後、破竹の勢いで日本経済界の中枢へと食い込んでいく。幼少期お金が無く、つい誘惑にかられコンビニのトレーディングカードを万引きし母親からお前はウチの子じゃないと言われたことを考えると、ひょっとしたら彼はその出来事をきっかけに生まれ変わったのではないか。そんな想像を膨らませてしまうほどに、彼の成功は端的に言ってドラマチックであった。
今や木造平屋の実家は改築され、エレベーターつきの三階建て建造物が鎮座している。竹林が邪魔であった裏の土地も、購入した後更地にされ、今では高級外車ひしめくガレージとなっているのだ。昨日はゴルフ、明日はクルージング、明後日は屋内スキー。彼を嫌う者たちはその暮らしぶりを「レジャーマスター」と揶揄する。興味深いのは、この異名がその後「ジャーマス」に略され今では「ジャマサワ」が主流になっていることだ。「北沢」の「沢」は「ザワ」であるにもかかわらず、である。これぞ日本語文法の面目躍如と言ったところか。

 ともあれ、そんな外野は最初から眼中になく北沢はやりたいことだけをやり続ける。これまでも、そして、これからも。今日の彼は友人と競馬場にやって来ていた。場所はVIP席かと思いきや、アルコール缶を持った中年男性が檄を飛ばす一般エリアだった。コンクリートの地面には、賭けに敗北した紙切れがそこかしこに散らばっている。

「いやー、なっつかしーなー。ここよく来たよな。覚えてる?ゆうじがここで倒れたの。バイト代全部すってヤケおこしてめっちゃ酒飲んでさー。あれ、こいつ動かねーなって思ったら泡吹いてやんの。大変だったよな。でも北沢は全然あわててなかったよなぁ。大丈夫、ほっとけつって。結構薄情だなぁって思ったけど、結局お前の言う通りだったな。話変わるけどさ、俺、今度の選挙出馬しようと思うんだ」

 北沢はそうかとつぶやき、一緒に馬券を買わないかと持ちかけた。次のレースで彼の政治生命を占おうというわけだ。しかしながら、北沢にとって結果はどうでもいいことだった。賭けに勝とうが負けようがどうでもいい。なんなら当選でも落選でもどちらでも良い。彼はこの機会をそれなりに「いい話」として記者の前で披露してくれるだろう。馬券を買い終えると北沢は友人のそばから離れていった。

「わり、ちょっとトイレ行ってくるわ」

 ちょうど事を終え戻って来たタイミングで馬が一斉に走り出した。

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