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【第三回】チェケラッチョ・マイ・ティンティン『大阪決戦』

 それは突然の手紙だった。

 受け取った優子は、オーガニック地中海料理の仕事にて一週間程の有給休暇取得を決意した。実家を離れ寮生活を送っている弟が大会に出るのだ。封筒の中には入場券と、ボールペンで素っ気なく楽しみにしててよと書かれた便箋とが入っていた。別にメールでもいいのに、わざわざこんな伝達法を選んだ事実から優子は弟の並々ならぬ覚悟を感じとった。彼は三年生。これが高校生活最後の大会となるはずだ。優子は即座に大阪行き新幹線の乗車券を購入した。

 会場は熱気に包まれていた。無理もない。年端もいかない若人達の前途がこの大会によってある程度、場合によっては大きく決まってしまうのだから。テレビ局のカメラも、この一大事を世間に伝えるべくあちらこちらに設置されていた。

 畳敷きのエリアにて、道着を身にまとった二人が対峙した。いよいよ第一試合が始まる頃合いだ。優子の弟は第三試合。トーナメント形式でこの大会は粛々と進行されて行く。応援席にいる両校の生徒が事前に練習してきたであろう文句を叫び出し、会場のボルテージはまた一段と上昇してゆく。

 その最中である。向かい合う両選手の間に立つ審判が片手をあげると、会場はしんと静まり、呼吸の音すらしなくなった。それを見計らったかのように審判は振り上げた腕を勢いよく下ろし

「はじめぃ!」

 そこから決着まではあっという間であった。勝利選手が相手の顎に拳を当て、脳みそに強烈なヴァイブレーションを与えたのである。敗者は意識を失い、ゆるりゆるりと膝から崩れ落ちた。この様子だと本人も何が起こったかわからないであろう。

 勝利校は喜びに叫び、敗北校は悲しみにむせび泣く。そして数年後にはどちらにせよ青春グラフティの一部として胸にとどめ、それぞれ社会に出てゆく。部活動というのは概ねそういうものである。この大会を除いては。

 なんとゲームは終わったにも関わらず、敗北校の生徒は気絶して倒れてる選手にあらん限りの声を送っている。

「おい、〇〇!起きろ!」「〇〇君!起きて!」「何やってんだ!早く起きろ!」

 そう、確かにゲームは終わったかもしれないが、勝負はまだ決まっていないのである。むしろ今ようやく始まったのだと言っても良い。

 観客の声援が届いたか、それとも顧問教師のビンタが効いたか、選手は目を覚まし、己がゲームに負けた事実を悟るやいなや

「どうしてだよぉぉぉ!!嘘だ、、、嘘だぁぁぁ!!!」

畳の床にて全身全霊をもってのたうち回り始めた。

 何事も物事は順を追って説明しなければならない。

 あれは1990年。一人の男がとある有名私立校に入学する。男の名は長嶋貞治。学校の名は長くあまり重要ではないため、BM学園という俗称を紹介するにとどめておこう。政治、経済、スポーツ、芸能と、その学園からは多数の有力者が輩出されており、当然その子息である生徒らも裕福なわけで、毎朝校門前には送迎の高級車が列をなしていた。その光景は地元でちょっとした名物となっており、遠方からわざわざ見物しにくるカーマニアもいた。

 そんなわけで、その学園が井戸端会議の議題に挙がることも多かった。とはいえ長い正式名称を諳んじるこらえがあるわけでもなし、住民達は便宜上俗称を考え出す必要性に駆られた。その結果生まれたのが「BM学園」というわけだ。ポルシェやベンツもあったのになぜBMWだけをフューチャーしたのか、そもそも考え出したのは誰なのか。その真相は未だ明かされずにいる。そして今やそこを究明しようという向きは現れなくなってしまった。そんなことはどうでも良いのだと世間に思わせるほど、長嶋の入学は事件だったというわけだ。

 入学初年度にして長嶋は圧倒的な差を見せつけ大会で優勝する。発育がどうだ人種がどうだという話ではない。生物学的な分類項目の次元で異なっている。そう語る対戦相手もいた。もはや彼に勝てる者など同年代に、いや人類史上に存在しない。そして彼は今年も高校3年生として大会に出場していた。

 彼は数えきれない程の留年をしている。いや、させられていると言った方が的確であろう。彼がいる限り我が校は無敗でいられる。BM学園というしょうもない呼び名ではなく、ちゃんとした正式名称をアナウンサーに読み上げてもらえる。そんな浅はかな魂胆で学校側は彼を留年させていたわけではない。会場に長嶋が巨大な体躯を揺らしながら現れ、対戦相手をいなし。表彰も受け取らず消えていく。それが三周年を迎えた時期、学校理事長および日本中枢にいるOB達には、ある種使命感のようなものが芽生えていた。

「これは縁起物だ。途切れさせてはいけない」

 時はバブル経済が終局を迎える頃。なぜか学園の関係者だけはその煽りを食うことなくむしろその富を倍増させていた。経営は賭博と親和性が高い。いくら万全に準備をしていたところで、思いがけない一撃に全てを破壊されてしまうリスクが付き纏う。「絶対の安全など幻想に過ぎない」数多の辛酸を舐め、幾多の修羅場を潜り抜けて来たOB達にとってこのワンセンテンスは共通認識となっていた。そんな彼らがみすみす長嶋を手放すはずがない。人間とは、調子の良い時ほど保守的になる生き物なのだ。

 仮に彼を卒業させたとして、OB達が権謀術数を駆使して長嶋を取り合うのは目に見えている。それこそ最悪の場合全員が相討ちとなり、日本経済は真に崩壊する。それだけは避けねばならなかった。

 とはいえ長嶋が現役で居続ける限り競技人口が減少の一途を辿ることもまた、想定できる未来であった。無理もない、絶対にクリアできぬゲームをプレイする者がどこにいるであろうか。長嶋の対戦者がいなくなること。これも避けるべき事態であった。あくまでも長嶋がその圧倒的な差を見せつけることからしかめでたさは発生しないのである。

 そこで矢面に立たされたのが、ヒットメーカー高城康である。ウルトラアナログクリエーターとして時代に逆行する気概は持ちつつも、むしろその姿勢が時代精神とマッチし、おワンコサークルやアイマイミー教員免許といったアイドルグループの仕掛け人として活躍していたのは過去の話。バブル崩壊後はグループの軽薄さが不況で苦しむ人々をイラつかせ、早く解散しろよオワコンサークルと罵られる始末であった。そんな彼にとって、このプロジェクトは一世一代の大勝負だった。

「もうみんなが勝てる時代は終わったんです。これから先、世の中は負け犬と勝ち組に二分されて行きます。しかも平等に分割されるわけではありません。勝ち組になれるのはほんの一握りの方達だけなのです。そう、あなたもそしてわたしも、これからは敗北し醜態を晒すことがデフォルトになっていくのです。・・・ツライ世の中です。ですが犯人探しみたいなことはもうやめませんか?元凶を仕立て上げ血祭りにあげたところで、何も解決などしません。我々が目を向けるべきなのは、そんなツラさを何も知らず社会へと投げ出される子供たちなのではないでしょうか?彼ら・彼女らは予行演習しておくべきなのです。醜態を晒していくべきなのです。それが現代社会で生き残る知恵となっていくのです。もちろん、タダでとは言いません。一番美しい負けざまを見せてくれたコ達は、僕が責任を持ってプロデュースさせていただきます」

 以来、「失われた20年」と呼ばれた世間とは逆行するように、学園関係者達は栄華を極めた。リーマンショックを難なく乗り越え、高城に至っては大会からの選抜メンバーを集めたダンスボーカルユニット「サグライフ」を結成し、デビュー曲『琉球と雨(レイン)』でいきなりレコード大賞を受賞した。ちなみにこれ以降、日本でCDがミリオンを達成したことはない。

 そういうわけで

「うわぁぁ!どうしてだよぉぉぉ!」

 彼にとってこの叫びは演技でもあり、同時に本音でもあった。終わった。よりによって初戦で、しかも長嶋でもない奴に失神されてしまった。こんなもん、テレビは興味を示さないじゃないか。まずい。これはまずいぞ。このまましがない社会人生活なんてごめんだ。嫌だ。そんなのは絶対に嫌だ!残してやるよ、爪痕を!彼は渾身の海老反りを見せつける。その様子を優子は冷ややかに見やっていた。だめだこりゃ。こんなんじゃカメラマンは寄ってくんないぞ。なんだあのしょぼい跳ね方は?職場の厨房にいる市場直送海老の方が元気だぞ。このレベルだとさしずめ乾燥桜海老ってところだな。

 続く第二試合も、システマチックに進められ、のたうち回る者が会場にまた増えた。その後の第三試合。優子の弟は難なく勝利をおさめ。いよいよ長嶋の出場となった。絶対的な強者は虚無を抱えているとはかの有名な剣豪、土方武蔵の言葉だが、長嶋はまさにそれを体現していた。できる限り速く、ただし「敗戦の舞」ができぬほどには痛手を負わせず、ベルトコンベアの部品を加工するように粛々と対応している感があった。当の対戦相手は対照的にこれまでで一番のキレを見せつけ、いい画が撮れたと番組ディレクターをにやつかせた。優子にしてみればブラックタイガーといったところか。

 準決勝。優子の弟はなおも残り続けていた。今やそこかしこで海老達が奇声をあげながらぴちゃぴちゃと跳ねまわっている。

 この試合にて、弟は前代未聞の決まり手を繰り出すことになった。なんとその海老をバットのようにフルスイングし勝利をおさめたのである。相手は再起不能となり、海老になるチャンスすら得られぬまま担架に運ばれて行った。これには流石の優子も身を乗り出した。

 納得できぬと相手顧問から物言いがつけられたが、結局判定は覆らなかった。実行委員長の高城にとっては何事も「オモシロ」であればそれでいい。当のバットにされた海老も「おいしい」役どころを務める機会に恵まれ、弟に感謝すらしていた。ただし海老である以上、言葉ではなく跳躍距離と胴体の湾曲具合でその想いを伝えざるを得なかったのだが。

 そして準決勝第二試合。会場にロブスターが出現した。その繊細さと荒々しさを兼ね備えた新感覚の「舞」は観客の度肝を抜いた。観客だけでなく、その場にいた全ての海老達までもがその動き止め見とれていた。場が水を打ったように静まりかえるなか、ただロブスターの叫びだけが反響していた。ひと呼吸置いて会場は騒然、スタンディングオベーションで新たな才能を祝福した。ただ一人優子だけが憮然とした態度で客席に腰掛けていた。まずい。次の決勝戦、これを超える海老にならないと、弟は勝てない。彼の努力を信用していないわけではないが、一抹の不安というものを優子は感じていた。

「決勝戦。〇〇学園。長嶋貞治くん。銅足商業高校。清宮翔平くん。これより試合開始です」

 放送部員の感情を押し殺したようなアナウンスが流れ、闘いは始まりを告げた。

 例年通りの歓声。例年通りの盛り上がり。そしてこの後は例年通りの決着ってか?そんなんくだらねー。そんなもんぶっ壊す。大人達に媚び売って海老になるなんざまっぴらごめんなんだよ。俺は俺のやり方で散る。さぁ来いよ永遠の17歳。返り討ちにしてや・・・あれ?左目が見えねーや。なんでこんなに頭痛がひどいんだ?うぉりや。・・・くそ。なんでコイツこんな硬てーんだ。・・・あー、むくかつく。倒された。・・・でもまだ終わってねー。俺は超しつこいかんな。うぉりぁ。うー。うー。うー。ゔぁぁあゔぁゔぁぁあ。・・・ぼやけんな。ぼやけんな、ゔぉやけんな。・・・。くぅぅぅぅぅん。・・・あ、ねぇちゃん。・・・いつから?・・・ちきしょー。かっこわりぃなぁ。・・・ながしまぁ。おめ、なにわらってん?・・・そんな顔する・・・んだ・・・

 会場を後にしながら、優子はこの日を忘れないだろうと思った。そして弟のことを心から誇りに思ったのであった。以上が「大阪決戦」と後世に語り継がれる出来事の顛末である。この呼称が示す通り、これ以降長嶋に本気で勝負を挑んだ者はいない。

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