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現代を蝕む電子の世界から、少し離れてみる経験。

デジタルデトックスをして感じたこと

この1ヶ月くらい、Twitterをはじめとして、Instargram、Facebook、などのSNSツール、Chatwork、メール、電話などのツールのほとんど98%くらいを排除するいわゆるデジタルデトックス状態を経験していた。



スマホのホーム画面からもアイコンを消し、もし使った場合に備えて、スクリーンタイムを設定し、準備万端。

ちゃんと生活が回るか不安もあったけど、とにかく全力でデトックスを楽しむ。そう決めた。

なんでデトックスをしようと決めたのか、細かく書いてもいい気がするのだけれど、これ読んでくれている人の中には忙しい人も多いと思うので。

結論から言うと、デジタルデトックスは大成功に終わった。
(結論は言いましたが、ぜひ、最後まで読んでいってください!!)

なんならデトックスを一区切りつけた今も、少し意識は残っていて、全盛期より使用時間を減らすことには成功している。良い感じだ。

確実に心の余裕が増えたのを感じる。普通に過ごしていて湧いてくる疑問の質も上がったように思える。

感性も磨かれたのだろうか。自分の視点に加えて他の人の目線も意識できるようになってきた。

ちょうど、デトックスの間に一人旅に行き、非日常を経験し続けていたと言うのも原因の一つかもしれない。

デトックスを始める前は、デジタルを断って大丈夫かな?と不安だった。

依症ではないけれど、人並みにスマホはいじる人ではあったし、何より仕事上での連絡とかで不都合が起きないか?としなくてもいいようなことを頭に浮かべていた。

けれど、実際回るか不安だった生活も全く問題はなく、せいぜい電話が鳴る時間だけはしっかりコントロールしようと言うことくらい。

ちょっと反省点はあったものの、おおむね快適のひとことだったのだ。

今回は、デジタルデトックスを通じて感じたことをいくつか話していこうと思う。

興味はありつつもなかなかデトックスできない!!と言う人は、ぜひ読んでいってほしい。きっと楽しいと思う。

ちゃんと生活が回るか不安?って言うけれど。


そもそもデジタルデトックスをする前に感じていた「ちゃんと生活が回るか不安」って、よくよく考えたらおかしくないっすか?

なんで「SNSが僕たちの生活の中心です」みたいなことになってるんだろう?昔はSNSなしで生活していたはずなのに。

ある調査によると、日本人の15%は1日にスマホを5時間以上使用しているらしい。
その内、スマホの使用頻度が高い若年層(10代〜30代)が50%を占めるとも言われているそうだ。

ただ、アンケートはあくまで自己申告制なので、おそらくここで示されている数字にもう少し上乗せした方が正確な値になるだろう。

加えて、学校や会社での勤務の時間を除いて考えると、生活のほとんどをスマホに奪われていることになる。

MMD研究所

デジタルデトックスをやってみた今このデータを見て思ったことは、「スマホがなかった時代。今スマホに代替された時間って、僕たちはなにをしていたんだっけ?」って言うことだ。

僕が初めてスマホを持ったのは中学3年生の頃。当時はiPod Touchだった。その前は・・・「筋トレゲーム」とか言って遊具で遊びまくったり、近くの神社に友達と散歩して川遊びをしたりもしていた。

もう少し遡れば、夏休みとか。父とカブトムシやクワガタも採りにいっていた。僕は長野県という海なし県出身だったので、海に遊びにいったりするときはそれこそ全力で1日中はしゃいでいた。

ゲーム好きではあったけれどアウトドアな一面もあったのだ。
確かに同じ僕なのに、ちょっと遠いところにいる感じがする。

スマホが普及した今、いろんなことが自宅から体験できてしまうし、他の人が体験しているのを見て満足したりもできる。全体的に人生に受け身になっているような、そんな気がしていた。

実際、デトックスをして感じた4つの変化

では、デトックスをした今、人生が全部主体的になったかというとそんなことはない。

たぶん、もっと長期的なスパンで変わっていくものなんじゃないかなあ。ゆっくりと変わっていって、気がつけば「あ、前と全然違う」って気づく。

高校生の時に、「勉強の成果が出るまでには3ヶ月かかるんだよ」なんて世界史の先生に発破をかけられたのときっと同じ。

細胞が何日もかけてだんだん入れ替わっていき、約4ヶ月で入れ替わってしまうのと同じで、気づかない間に新しい自分に変わっていくんだ。

けれど、確かにいくつか自分の中で変化が起きたのは感じている。

そのうちのいくつかについて語っていきたい。

余計な情報が入って来なくなったので、相対的に心が豊かになった。

デトックスをしているときはとにかく余計な情報が入ってこなかった。言い方を変えたら、自分が取捨選択した情報しか入ってこなかったのだ。

何も対策を講じないと、YoutubeやらTwitterやらでも、ネガティブなニュースばっかり流れてくる。

一方、6/28-7/8まで、一人旅に出ていたのだけれど、旅の間は(というか、旅の前後もしばらくの間は)完全にデジタルデトックスをして、リアルの情報のみを取り入れていた。

結論から言うと、最高だった。SNSは入ってくる情報が多すぎるので、心構えができていないと簡単にエネルギーを消耗して終わる。

伝え方とか言葉の使い方にこだわりが強かったりすると、いちいち細かいところが気になったりして、より神経を使う。

自分が思っていたより相当消耗していたみたいだ。やめてみて初めてわかった。

ご飯食べながらSNSを見るとかは、もっと最悪。

ご飯を食べているときは血糖値だとかホルモンだとか、いろんなところが反応して変化を起こしやすいんだ。そこにSNSという変数が加わると途端に体調が予測不可能になる。

つまりは、SNSに触れることで生活の中でギャンブル性が増えるのだ。

ギャンブル性が高いと、自分でどうにかできない領域が増えてこれまたメンタルによくないんだよなあ。

ご飯を食べている間は、ご飯に集中。
マルチタスクなんて器用なことはしなくて良いのだ。

常に発信フルスロットルでいればいいわけではない。

体の中のホルモンがどうこうなどとは別に、「自分」と言う存在にも波がある。打ち寄せる時もあれば、引いていく瞬間もあって。

満ち足りている時もあれば、干からびている時もある。自分という、体全体で起こるリズム。

つまり、今回のデトックスと絡めると、SNSに関して発信した方がいい時期と発信しない方がうまくいく時期があるんだと言うことに気付かされた。
細かく分類すれば、もっと自分の状態を把握できるかもしれない。

SNSで発信しない方がいい時期に無理に発信しようとすると、自分らしくないことを発信したり、逆に堅苦しくなりすぎたり、何かしら「うまくいかない」ことが増える。

「うまくいかない」と心身のどちらか、または両方に不調が現れる。直近の僕の例で言ったら、足の指先が痺れて、歩きにくくなった。

直接的な原因はドンキホーテで買ったクロックスでしばらく歩いて土踏まずに力が入らなくなっていたことと、靴擦れを起こしたことだった。

加えて間接的に心の平穏が十分保てていなかったと言うこともあったのではないだろうか。うん、きっとそうだ。

今までもそうだったから。
少なくとも今は「そういうこと」にしておいた方が話の流れがいい。

不思議なことに、別のところにある意外なものが連動することって、結構多いんですよね。筋肉と骨も上半身と下半身を跨いで連動していたりしますからね。

そう言うのを探すのって意外と面白い。密かな僕の趣味だったりする。

この話はまたおいおい別の記事で書けたらいいな。(Noteを書きながら、別の記事の目論見ができてしまった。これも、つながり、流れだ。)

情報の捉え方が深くなった。

報道の世界では一次情報と二次情報と言う言葉がある。一次情報というのは、自分が直接見聞きして触れたこと、感じたことのように独自性のある、オリジナルな情報のことだ。

例えば、これなんかがそうだろう。


対して、二次情報というのは、例えば本や人からの話など、何か別の発信を媒介にして得た、間接的な情報のことだ。簡単にいうと、自分オリジナルのものではない情報ってこと。

世の中のほとんどの情報がこれだ。

1億人総発信の令和の時代では、後者の価値はほとんどなくなってきており、いかに一次情報を手に入れて、編集するかにかかっていると言ってもいい。

SNSに触れる割合を減らすことによって、より現実に集中することができたのは先に述べた通りだが、恩恵はそれだけではなかった。


よく、自分探しの旅で海外に行く人がいるけど、旅行はまさに一次情報の宝庫で、デトックスの期間は一次情報をシャワーのように浴びていた。

今までは優先度が低かった別の大切なことに時間を割いて集中することができるようになったのだ。

そして、大切なことの一次情報を集めるようになったことで、幸せを感じる瞬間っていうのがめちゃくちゃ多くなった。

ビジネスやら人脈やら、そんな人口的なものではなくて、むしろもっと自然体なもの。
散歩とか、夜の星空とか、旅館の中でのんびり読む漫画とか、本当の些細なこと。

幸せのきっかけとなる情報って、もっと身近にある。
旅館の窓から海を眺めてのんびりしているうちにちょっとずつ腑に落ちてきて、最近になってやっとあるべき場所に情報が落ち着いた感じがする。

取り入れる情報の質がより高くなってきたなら、アンテナもより質が高いものに取り替えないといけない。そうやって、アクセスできる範囲を徐々に増やしていく。一種の成長だ。

SNSで得られる情報はアンテナをが横に伸ばしていくのに対して、デジタルデトックスの世界では下に深く彫っていくイメージかな。

そして、より深層エリアでは同じように、デジタルから適度な距離を取った人が発信している。そうなると人間関係の面でもも変わるし、より自分が好きになれる人たちとの関係も増えるんじゃないだろうか?

そしたら、自然と勝ち筋は見えてくる。

人間トラブルが非常に起きやすい。


別の場所に行くと否応なく価値観の違いに驚かされたりするよね。現地で友達も作ったりなんかしてそこで価値観が変化するってことは往々にしてある。

なので、実は自分の状態が切り替わる前後って人間トラブルが非常に起きやすい。今まで仲良くしていた人の価値観についていけなくなったり、なんか「もやもやしたもの」を抱えて今までの自分のパフォーマンスが発揮しにくくなったりなど様々。

実際、デトックスの前後にもこんなことがあった。

僕がフリーランスになったばっかりの1年目の頃は、どうにかしてコミュニティに入って、人と交流することばかり考えていた。


いわゆる「人脈病」みたいなもので、毎日のようにZoom会議で情報交換ばっかりしていたのだけど、だんだんそれが上部の付き合い=馴れ合いみたいになっているなあ・・・と気づいてしまったのだ。

だけど、コミュニティから抜け出すのにはとても心労と時間を要した。


コミュニティと言うものの「構造」の話で、中にいる人たちが全部悪いと言うわけではないんだよね。だから、その人達と距離を取るのはとっても勇気が必要だったんだ。

デトックスをして初めて半強制的にコミュニティとも距離を置くことができ、もう一度冷静に見直してみたら向き合い方も変化してきた。

想いを目一杯伝えても理解してもらえなくて口論になったこともあった。その人達のほとんどとはデトックスを機会に完全に距離を置いてしまった。

けど、あのまま付き合っていてもきっとさらにストレスを抱えていたと思う。

自分を最高な状態に保っておくのには大事なことだったんだ。
今ならそう思える。

経験者としては、デジタルデトックスをどこかで実践した方がいいと声を大にしていいたい。

最初にも言ったがSNSが広がる前、インターネットが広がる前だって、僕たちは普通に生き延びられてきた。手紙や駅の連絡掲示板で情報を交換していた時代だって、確かにあったのだ。

自己洗脳にせよ、他者洗脳にせよ、そこから目を覚ますにはやっぱり一度根本原因に目を向けるしかない。

じゃないと何度も同じことを繰り返してしまう。これって、人の意思がどうこうとかじゃなくてそういう構造なんだ。きっと。

だから、「やってみる」のが一番。

「スピード」が過度に重視されている現代だからこそ、一度立ち止まって、デジタルデトックスをしてみてはどうだろう?そう思う。

ずっとは無理にしても、例えば、土日の2日間だけやってみるとか、1日の仕事終わった後〜寝るまでの時間でやってみるとか、いくらでも工夫はできる。

スピードと引き換えに代償にしている幸福感とか、完成みたいなものを取り戻すことができれば、もっと自分にとって都合のいい世界になると思うんだけどなあ・・・

今回書いたこの記事はとても書いていて気持ちが良かった。なんでかなあ?

急に「書きたい!」と思い立ちパソコンでざっくり構成を練ってから書き始めた。というか、後半はほとんど構成とか考えず、スルスル〜っとかけた。いい感じだ。

ちょっと長い文章になってしまったのもご愛嬌。
これが少なくとも今の自分にとっては「自分らしい」と言うこと。
続けていく中でより自分なりにしていければいいと思う。

気分が変われば、捉え方も、書く内容も変わるかもしれない。けど、「イマ、ココ」を生きている僕としてはこれでいいんだ。きっと。

そんな感じだ。
今日は終わりっ!

Note本編からはみ出た言葉


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