日々変化する発信を楽しむということ。【変わる私は好きですか?】
「変わるものと変わらないもの。あなたはどちらが好きですか?」
2023年の10月ももう終わり。
今年の秋アニメは個人的に豊作で、仕事や旅行の合間に
のんびりと鑑賞しつつ、日々の暮らしに生かせることはないかな〜と考えています。
今回の記事のタイトル「変わる私は好きですか?」は現在鑑賞中のアニメの一つ「アンデッド + アンラック」の第4話のメインタイトル。
戸塚慶文先生によって作られたこの作品を、
僕はもともとは漫画で追っていました。
そして満を辞してこの秋にアニメ化。
僕はこの作品の世界観・設定が連載当初から好きで、アニメもリアルタイムで追っているのですが・・・。
その中の一幕。
作中では投げかけられた問いが冒頭のもの。
詳しくいうとネタバレになるので、ここでは問いの内容だけ改めて。
「変わるものとずっと変わらないもの。あなたはどちらが好きですか?」
「変わる」「変わらない」についての話を観ているうちに、ふと発信に悩んでいた1年前の自分が思い出され、当時の自分と今の自分でだいぶ考え方が変わってきたなぁと感じたので筆をとった次第です。
今日はそんな「変化にまつわる」話をしようと思います。
発信が苦手だった自分
何度もこれまでの記事に書いている通り、僕はもともと自分の意見を何らかの形で発信することが得意ではありませんでした。
⬆️何度も悩んで記事にしています。
小さい頃から文章を紡ぐのは苦手で、小学校の時に書いた作文は、
「○○をして△△をしました。楽しかったです。その後は××をして〜〜」
という事実の羅列9割、ちょっとした感想1割といった、目も当てられない文章を書いていましたし、
人前で何か発表をしたりプレゼンをするときなんかは、膝がガックガクで、手汗もダラダラで、原稿を丸暗記しないとまともに話すことさえできないくらいでした。
今でも即興で話すのは苦手だし、大勢の人の前に出て話すのは緊張します。
今でこそ、フリーランスとしてNoteやブログで100記事以上の記事を書いたり、Stand.FMやYoutubeでの発信をすることでだいぶマシになっていますが、完治はしていません。
「明確な型がない」という課題
発信への苦手意識の元凶にして、一番むずかしいと思っていたのは、「発信には明確な型がない」ということです。
もちろん、一般的に知られている「伝えるため」の最低限の型はあります。
これらを守ることで、文章や話にリズムを持たせて少しでも受け取る人が
違和感を覚えないようにしようね〜〜といったことですね。
僕が悩んでいたのはこういう基本的なテクニックを基にした上で存在する、その人なりの言葉の使い方・表現とか、どれだけ人を惹きつける書き方や話し方ができるかといった部分です。
自分が尊敬している人や参考にしている人のアウトプットでも、いくら表面的な部分を盗むことができても、根本の部分というか、その人の本質的な部分を盗むことは難しいです。
そもそも違う人間ですし、辿ってきた人生も環境も境遇も、全く違いますからね。当然といえば当然のことです。
だから「明確にこうこうこうしなさい」みたいな100%型を提供してくれる発信のマニュアルみたいなものはなくて、
最終的には、どうしても自分や表現したいものに向き合うことで自分なりのスタイルを見つける必要があったんです。
ですがそれは、昔から自分よりも他人を優先し、意見を持ってこなかった僕には想像もつかないことでした。
作品作りはどのくらいで止めればいいのか?
それでも発信や物書きを真摯に続けていく中で、何となく自分のスタイルが見えてきたような気がしました。
文章や話すことに対して記事の中で自分の考えを述べたこともあります。
しかし困ったことに、自分なりのスタイルっぽいものを見つけても発信への不安は消えませんでした。(今思えば、当時気づいていたものはあくまで「っぽい」ものに過ぎなかったのかも知れないですが・・・)
それどころか、作れば作るほど言葉にできないようなモヤモヤというかチクチクが胸の中を支配していたんです。
だから、発信物 = コンテンツを作る度にこう思っていました。
クリエイターなら一度は陥ったことがあるだろう、
「作品の終わりが見えない病」に見事にハマってしまいました。
明確な型を必要としていた理由
先に書いた、発信を難しいと思う理由「発信には明確な型がない」。
じゃあ、そもそもなぜ僕が明確な型を必要としていたかというと、
「ちゃんとしたもの」を作ろうとしていたから。それも全ての発信で常に。
コンテンツとして人に見せる以上、「1つのもの」として完成していなきゃいけない。誰がみても同じで、決して誤解されることなく、完璧で、「変わらないもの」。
表現者としてある以上はそうありたいし、そうあるべきだと思っていました。だから「ここがこうなれば『ちゃんとしている』」という自分なりの基準が欲しかったんですね。
基準を越えられれば、アウトプットとして外に出すことが許せる。納得できる。確実な発信さえ積み重ねられれば、少しずつ「成長」できる。
「ちゃんとしたアウトプット」を通して成長すること。
これを僕は求めていました。
結果、自分の感情といった、他の人から見たら曖昧なものを表現の中に入れるのも苦手で、なるべく論理の構造だけでアウトプットを紡いでいこうとしたので、文章も話も自然と固くなっていきました。
皮肉なことに発信が固くなっていけばいくほど、僕自身の意見や伝えたいことは無数の事実の山に埋もれ、「どうなればちゃんとしている状態なのか」さえ徐々にわからなくなっていきました。
「自分」は日々変化していく
ですが、世界は日々変化していきます。
もちろん、そこに暮らす「自分」も日々変化していきます。
たとえ同じテーマについてアウトプットするとしても、その時の環境や気分など、さまざまな要因で自分のコンディションは変わっていくので、100%同じ型で同じ内容を出力できるかと言われると全くそんなことはないんですね。
僕の最近のメイントピックとしては「旅」があるのですが、旅をしている間は本当に毎日違う自分です。
知らない土地で、知らない人に出会い、知らなかった経験や刺激を経て、知らなかった思考をする。
僕でありながら僕でない存在がそこにはあって、時間をかけて
両者が混ぜ合わさって自分が組み変わっていく感覚があります。
自分を構成する要素というか、経験が時間が進むにつれて変わっているわけですから、そりゃ同じテーマでも2通りの見方が生じるよねってことなんです。
変わる前の自分の方が、とか、変わった後の自分の方が、とかいう良し悪しの問題ではなくて、ここで大事なのは「変わった」ということとそれに気後れを感じる必要は全くないということ。
だから、苦手意識を感じていた僕の考え方は前提が違ったんです。
そもそも「変わらないもの」を必ず作る必要なんかない。
「ちゃんとしたもの」なんて、状況によっていともかんたんに変わる。
伝えたいと思ったことを伝えられた。
そう感じることができればそれが、その瞬間の「ちゃんとした状態」といってもいいと思います。
むしろ、常に変化があるからこそ、その日その時の想いを何らかの形で記録しておくことに価値が生まれるんじゃないでしょうか。
自分の人生観を変えてくれるほど感動した夜空に広がる星々を観るというシチュエーションでも、見たその瞬間に感じていたことと、10年後当時を振り返って感じたことは一致しないですよね。
その気持ちの変容は全く悪いことじゃない。
どちらも「自分が感じたこと」だし、「ちゃんとしている」ものです。
変わる自分を楽しめばいい
作中では、ずっと自分自身を否定し変われなかった主人公の女の子が、
このようなことを述べています。
僕は「ちゃんとしたアウトプット」を通して成長することを求めていたけど、そういった不変のものではなく、変化を味わっていった方がもっと豊かになるんじゃないでしょうか。
日々の変化を、時間経過による「違い」を意見のブレだと、ちゃんとしてないからダメだと断罪するのではなく、違うことそのものを楽しめばいいと思うんです。
変化の過程すらも自分の発信の一部にする。
そうすればもっと発信の幅は広がるし、楽しんで発信できるんじゃないか。
事実の羅列だけでなく、自然と自分が大切にしたいことや自分の想いも載せられるようになるんじゃないか。
そんなことを胸に刻みつつ、僕自身も自分と発信に向き合っていこうと思います。
アンデッドアンラック公式サイト
Contact
公式Line
【20代から自分を諦めない生き方づくり】新卒フリーランスエンジニアとして独立し、Web制作を行いながら様々な人や考えに出会い、自分と暮らしを整えていった僕が、「ささいな日常から学んだ気づきや、ありのままの自分で仕事を作っていく考え方」について発信していきます。
そう思った方はぜひ友達登録してください!
イベントや募集の詳細もこちらから連絡します〜!
⭐️ありのまま内省ラジオ
【自己紹介】
『旅をしながら想いを仕事に』| プログラミングを武器に【日本を旅するフリーアコモデーション】に挑戦中。
少数派でも、自分を表現するのを諦めず、『誰もが物語の語り手になれる』をテーマに発信。一人一人違うのはあたりまえ。言葉と物語が好きです。
HSS型HSP | 長野住み24歳。最近の趣味はポーカー🃏
【経歴】
長野県立長野高等学校 卒業 ➡︎ 立命館大学総合心理学部卒業 ➡︎ 新卒フリーランスエンジニアとして独立。屋号は「WebTria」。
皆さんのお気持ちを、こっそり置いていっていただければ。小さな幸せ、これからも皆さんに与えます。