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頭の中のイメージを描くことは、「話す」ことと似ているのかもしれない。

頭の中で考えていることを、文章や言葉にする。


大学を卒業してフリーランスになって以来、
情報発信という形でそんなことにずっと取り組んでいる。


そんな僕は最近、絵を描くことにハマっているのだけれど、
デッサンをしていてふと思った。


頭の中のイメージを絵にするって、どうやるんだ??


思考を言葉にするのは、ロジックを詰めていけばわりと自然にできる。
ある事柄に対して、自分が感じていることやその理由。


なぜそう感じるようになったのかという背景など、例え話なんかを交えつつ丁寧に経緯を紡いで紡いで、まとめていけば一つの記事ができてしまう。


感情を細かく描写してスパイスをかけたりなんかできると最高。



感覚で文章を書いている、というスゴい人もいるだろうけど、基本的に僕はこのスタンスで書くことが多い。そのほうが気持ちいいのだ。


一方、絵を描くときはどうだろう?



目にみえるものを模写して描いていくのなら、まだわかる。


形や前後関係、色、影のつき方まで。
対象をよくみて、それこそ線の一本一本を積み重ねたり、
円柱や球といった形を一つ一つ組み合わせて描いていくのだ。


数学とはまた違う図形との向き合い方で、
立体を組み合わせることで、うまく奥行きを出せた時なんかが
たまらなく嬉しい。


ただ、わかると言っても、実際に目で見た景色とキャンバスの上に描かれる絵を一致させるのは難しいのだけれど。


問題なのは、頭の中で描いたものや記憶を頼りに頼りに絵を描くこと。


感覚で書くとしても何から書いていいか分からない。論理で捉えるものでもない気がする。そもそもビルの壁面にあった窓の数や細かい形なんか詳細に覚えているわけでもない。


ぼんやりとした像しか浮かんで来ず、せいぜい浮かんできたそれも、時間が経つにつれて変化してしまう気がする。


ましてや抽象画を書く人の頭の中はどうなっているんだ?


絵描き初心者にはまだまだ未知の世界だ。


現時点での仮説を立ててみる


とはいえ、「分からない」で終わるのもなんだか悔しいので、
仮説だけでも立てておこうと思う。


頭の中に明確な絵が浮かんでいることは少ないのではないだろうか。



それよりも、漠然と浮かんだ「描きたい」と思う景色に何を付け足すのか。あるいは何を省くのかを選別して、描写する中で自然と溶け込ませるアドリブ力の方が大事になってくる気がする。


「文章を書く」という形よりも、「話す」という形のアウトプットに近いのかもしれない。


となると、頭の使い方やアウトプットへの向き合い方が全然違うのも
少しだけ納得がいく。



話をするという行為も、流れる時間の中で頭を回しながら、常に言葉を紡いでいく必要がある。



だから必然的にごちゃごちゃ考える暇がなくなり、「作った」言葉ではなく、その瞬間に出てくる自分の言葉で話さざるを得なくなる。



そうやって苦しみつつも「話す」ことに向き合ううちに、「自分の言葉で話してもいいんだよ」と許可を出せるようになっていくんだ。


そういえば、最近ドハマりしている「ブルーピリオド」という美術漫画で
こんな言葉があった。


美術は面白いですよ。
自分に素直な人ほど強い。
文字じゃない言語だから。

佐伯昌子先生!!こんな美術の先生に会いたかった!!


頭の中を描くことが、話すことと似ているとしたら。
1段階先に進むための鍵は、自分に許可を出すことなのかもしれない。


模写をするときも、もしかしたらそうなのかな。


「これはこんな形だ」
「これはこんな色だ」
「この風景はこうでなければならない」


自分の中の思い込みや枷を外して、描いていけばいい。
「描く」中で自分の言語を、世界を自由に作っていけばいい。


そういうことなんじゃないかな。


まだまだ自分は絵の世界に入ったばかり。



中学の授業で美術はやっていたけれど、その頃は正直あんまり
興味が湧かず、真剣に向き合ってこなかった。


だからこそ。やってみようと思った今だからこそ。
美術に向き合ってみようと思う。


記事を書く中で建てた仮説を検証するためにも。


描くぞ。


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