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Tatsumi Diary ~ 書く、読む、話す。~

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タツミが不定期で、自分の思考を公開しています。 Note本編やブログでは話せない、ちょっとしたトピックや気づきなどを最低限のデザインで発信。 エッセイ感覚で読んでいただけると嬉…
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2022年8月の記事一覧

死ぬのってどんな気持ちなんだ?

いつも通り、午前中を頑張って生きて、午後を始めようとした13時頃。 ぼーっと考え事をしていたら、ふと「死んだらどうなるのかな?」という考えが頭の中に浮かんできました。 本当に何の前兆もなく。 ネガティブになっていたわけでも、病んでいたわけでもないのに、とてつもなく不安と恐怖に見舞われたんです。 いつ死ぬかはわからないけど、死ぬことは確定していて。 だったら、今は生きているけれど、死んだらどうなるんだろう? 意識はどこかへいってしまうの?今の僕はどこへいくの? 何か別の

一歩踏み出すために、大切にしている言葉。

突然ですが、僕の部屋の扉には、ストラップがかけられています。 そこに書いてある言葉。 「おちつけ」 確か、東京の街をふらっと歩いていた時に、偶然見つけた雑貨屋さんで買ったものだった気がします。 なんとなくビビッときたものがあったのでつい、買ってしまいました。 こういう一目惚れみたいな感覚は昔から割と当たるんです。 思えば、東京に来てからの毎日はとても速かった。都心部を少し外れた杉並区にいても、東京の時間の速さはしっかり感じられました。油断していると、すぐ心が持ってい

君は発信がしたいの?答えを探して。

実際、セッションの中で前にコーチに聞かれたことがあります。 「君は発信がしたいの?」 その時は、「う〜ん、そうなのかなあ?」とはっきりしませんでした。わからなかったんです。 なぜなら、発信そのものに向き合ったことがなかったから。 以前にブログを書いていた時期は少しあるのだけれど、それこそその時は自分の書きたいことをひたすらに書く、雑記ブログという形でした。 確かに雑記でもブログとしては成り立っているのだが、明確な目的がそこにはなかった。 目的がない作業は、それに気づ

名前の由来から生き方を考える。

こんにちは! 突然ですが、僕の名前は伊藤達洋と言います。 苗字の方は簡単に読むことができると思いますが、下の名前はどうでしょう? なんて読むのかわかりますか? いや、普段記事を読んでくれてくださっている方は簡単かも知れません。 そう、「タツミ」と読みます。 ですが、悲しいかな。 今まで親族以外で、漢字を正しく一発で読んでもらえたことが1回しかありません。 その一回は高校生時代、世界史担当の50歳くらいの男の先生。 普段間違えられることに慣れすぎて、逆にしばらく呆けて

物語を書いて、記憶を残していく。

数ヶ月に1回祖父母に電話することを決めている。 僕は現在東京に住んでいて、祖父母は長野県の松本市に住んでいる。新幹線で2時間強の距離だ。 頑張ればいけない距離ではないのだけれど、かと言って近くもないので、そうしている。 目的はお互いの生存報告をするためと、祖父母の話を聞くことだ。 特に祖母は現役で美容師をやっているので、面白い話を聞くことが多く、電話でも頻繁に笑わせてくれる。 最近はもっぱらコロナ関連の話題が多いそう。 百円ショップでこんな便利がグッズを買ったとか

君は君だよ。僕は僕だよ。

あの時違った選択をしていたら、どうなっただろう? 時々考えることがある。 もし、中学の部活でバレーボール部じゃなかったら? もし、国立大学にストレートで受かっていたら? もし、集団に流されて就活をしていたら? 僕はどうなっていただろうか? 僕という存在は変わらなくても、やっぱり今の自分とは少し色が違った僕のはずだ。 「今振り返ってみればよかった」という言葉があまり好きではない。 理由は、なんとなく過去を否定しているような気がするからだ。 今振り返ればよかった、とい

自分を好きになってくれる人に出会うために鳴き続ける。

フリーランスをやっていると、「日曜日だったんだ!」とふと思うことがあります。つい時間の間隔が狂ってしまうんです。 今日はここから記事を始めてみましょう。 後がどうな自分を好きになってくれる人に出会うために。るかはわかりません。とにかく今日の自分が「日曜だと気づいた」ことを伝えたいと心から思ったのです。 僕が素直に「〇〇したい」と感じることは結構少ないので、この気持ちは、思いは絶対に見逃してはいけない。そう思いつつ少し思考を巡らせて見ます。 8月が始まってからもう1週間

どのような楽しみ方をしてもいいし、どう攻略してもいい。

毎日文章を書いている。 一応記事という形で公開するのをひとまずのゴールとしているのだが、そこに辿り着くまでにはいろんなルートがある。 思い切って「書くぞ!」っと奮起して一息でぱぱっと仕上げてしまう記事。 逆に、意気込んだのになかなかかけずに、ヤキモキしながら仕上げた記事。 いつもの家とは違うカフェの中で書いた記事。 どれも自分の記事だけれど、公開というゴールに辿り着くまでには別々の道を経ている。 不思議のダンジョンみたいだな。と思いました。 最近の密かな趣味でスキマ

何を書こうか、ではない。何を考えたか。

「何を書こうか?」と考えていた。 Noteを書いている僕、過去にブログを書こうとしていた僕、どちらの自分も文章を書く上ではまず、ネタ探しから始めていた。 朝起きて、1日が始まる。ご飯を食べたり、ちょっと散歩をしたり、いろいろやりつつも、今日はどんなことを記事にしようかなあなんて考えるけれど、答えはなかなかでず、1日の間際になってなんとか捻り出し、記事にする。 もはや記事の形になっていないものもあるけれど、とにかく出す。 どちらかというと、出してから直す編集の時間の方が