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自分を好きになってくれる人に出会うために鳴き続ける。

フリーランスをやっていると、「日曜日だったんだ!」とふと思うことがあります。つい時間の間隔が狂ってしまうんです。

今日はここから記事を始めてみましょう。

後がどうな自分を好きになってくれる人に出会うために。るかはわかりません。とにかく今日の自分が「日曜だと気づいた」ことを伝えたいと心から思ったのです。

僕が素直に「〇〇したい」と感じることは結構少ないので、この気持ちは、思いは絶対に見逃してはいけない。そう思いつつ少し思考を巡らせて見ます。

8月が始まってからもう1週間も経ってしまっていたのか。8月1日に鳴き声を聞いたセミは既に死んでしまっただろうか?

僕は毎年夏になるたびに、なぜセミは鳴くんだろうと考えてしまう。けれど、毎回違う結論に至るような気がしている。

単純に考えたら、子孫繁栄のためにメスにアピールが必要だからなんだろう。(鳴いている蝉は全員オスである。)だけど、それとは別に目的があるように思えてならないのです。というか、そうであってほしい。

何か他に伝えたいことがあって鳴くのか。
誰かに気づいて欲しくて鳴くのか。
あるいは、泣くしかやることがないから鳴くのか。

蝉は1週間で死んでしまうけれど、僕たち人もいつか死ぬ。人生100年時代なんて言うけれども、いつ死ぬかなんて正直わかりませんよね。

もしかしたらそれが1週間後かもしれない。

正直怖くないわけではない。

子供の頃。テレビでアンビリーバボーを見て死について初めて学んだ時、あまりの恐怖で、不安で泣いてしまったのを今でも覚えています。

自分という存在があと少しで世の中から消えてしまうとしたらどうするか。

僕はそれこそ、世の中に少しでも自分の生きた痕跡を残すだろうと思いました。


みっともなくても泥臭くてもいい。


精一杯生きて、限りある命を全て発信に使うだろうと思ったのです。


突然ですが、僕は死に近づいたことが1度あります。

場所は長野県の松本市。

生まれたほんの数瞬後のことです。


両親も気が動転しすぎて当時のことはあまり覚えていないそうなのだけれど、胎児だった僕を詳しく調べたところ、腸に異常がある可能性が伝えられたのだそうです。

結果から言うと、先天性小腸閉鎖症という重度の病気でした。


5000~10000人に1人くらいの割合で、身体障害1級に当たる病気なのです。


手術は数日間にも及びました。


生まれたばかりの僕は体力も少なく、いつ死んでしまってもおかしくない予断を許さぬ状況だったそうです。


幸いにも、手術は成功したのだけれど、その後も点滴などは続けられました。

病気の影響がどれくらいあるかわかりませんでしたが、あまり声を上げるタイプの子ではなく、どこかひねくれた子だったようです。


状態が安定したのは1年、2年経った頃。


まだ予断を許さないものの、一応の波は越えたとのことでした。

その後は半年に一回くらいの定期検診を繰り返し、高校卒業のタイミングでようやく病院に通わなくても良くなりました。

おかげさまで、今はほとんど完治に近い状態で日常生活を送れています。
食事制限もなく、少し食べるスピードが遅いくらいです。

僕が「死」というものに敏感なのはこういう経験があるからです。

自分のありのままで生きる上では、それと対極にある「死」についても考えた方がいいと僕は思っています。


なぜなら、死は、生からの解放という意味である種自由という属性を含むものだからです。自由であって欲しいという「祈り」と言い換えることもできるかもしれません。

確かに死は怖いけど、どうせだったら楽しくて幸せなものだと思っていた方がいいじゃないですか。

自由なんだったら、解釈も自由でいい。
自分に都合にいいように捉えていいんじゃないかと思います。

それが今を生きる原動力にもなるんじゃないかな。きっとそうだ。

そして、死ぬまでの間に自分にしか伝えられないものがあるなら、それを伝えるのが自分の使命だと思います。
今は文章を書いているけれど、手段はどうでもいい。

泥臭くても、無様でもいいから、鳴き続けるんです。
死を迎えるその時まで1日1日を積み重ねていきましょ。

自分を好きになってくれる人に出会うために。

皆さんのお気持ちを、こっそり置いていっていただければ。小さな幸せ、これからも皆さんに与えます。