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何を書こうか、ではない。何を考えたか。

「何を書こうか?」と考えていた。


Noteを書いている僕、過去にブログを書こうとしていた僕、どちらの自分も文章を書く上ではまず、ネタ探しから始めていた。


朝起きて、1日が始まる。ご飯を食べたり、ちょっと散歩をしたり、いろいろやりつつも、今日はどんなことを記事にしようかなあなんて考えるけれど、答えはなかなかでず、1日の間際になってなんとか捻り出し、記事にする。


もはや記事の形になっていないものもあるけれど、とにかく出す。


どちらかというと、出してから直す編集の時間の方が執筆にかけている時間よりも長いかもしれない。

今日も編集を行なっていたのだが、何を書こうかと考えている自分に少し違和感を覚えた。本能的な直感というか、なんとなく「何を書こうか?」じゃうまくいかないという感覚を覚えたのだ。

こういう悪い直感は大体当たるもので、一度気になってからは、考えざるを得なかった。

人は1日24時間平等な時間を与えられているわけで、時間の流れの上で生きている。その中で仕事もしたり、食事をしたり、あるいは遊びに出かけたりといろんな行動をする。

ひとつひとつの行動の積み重ねが記憶として頭の中に蓄積されて、「自分」という存在は作りあげられていくんだ。

「何を書くか」と考えることももちろんその行動の一つで、僕が毎日note更新を行おうと思っているからこそ出てきた言葉だ。

ネタを考えて、記事という形でアウトプットする。自然な流れだ。
なんの問題もない。


でも、最近「何を書くか」という言葉の裏には「書くネタを探さなければいけない」という自分の勝手な決めつけがどこかに存在しているのではないかと感じるようになった。

書くことが義務になり、それっぽいものを「ネタ」として記事という形に作り替えて・・・と無駄なものを、「書く」ということをしたいがために作っているような気がしたのだ。

ただ書けばいいというわけでもないこともわかった。
「書く」ことには「読む」人が必要だ。
彼らとのコミュニケーションが頭の中には存在していなかった。


だから、文体チェックせなあかんとか、(なぜか関西弁になってしまった)言いたいこと言いまくってもなんも効果ないで、とか考えてみたら当たり前のことに気づけていなかったんだ。


必要なのは、「今日何があって、何を考え、伝えようとしたか」ということだ。「書く」ということはあくまで「手段」でしかない。


大切なのは、書くということを通して、あなたという人間がイマ何を考えたのかということ。そして、文章を通して誰と話がしたいのかということだ。単なる情報じゃない。世の中の情報を伝えるのはニュースに任せておけばいい。

そうじゃなくてその思考の過程を通じてどういう結論を出したかということだ。


「何を書くか」なんて考えなくていい。
今日あったこと、その最中に考えたことを伝えればいいのだ。
それが、世の中のどこにもないあなただけのオリジナルになるから。


今まで「考えたことをそのまま書けばいいんだよ」というアドバイスをもらってもなんとなくしっくりこなかった。簡単そうにいうけど、考えたこと書くのが一番難しいんじゃい!!って叫びたいこの感じ。


当然だ。考えたことがないのは、現実に本気じゃないからだ。
ひとつひとつの物事を自分のものとして捉えていないから、考えていることも頭の中に浮かんでこないし、オリジナルの視点も育たない。

環境がうんぬん以前に自分の根本のマインドが育っていない。
置かれた場所で咲く前に、まだ種すら植えていない段階。

どの種を植えようかなあ〜?と思っているけど、
まあいいや!後回しにしてしまっている、そんな感じなんだと思います。

料理と同じ。

素材がなければ料理は作れないし、調味料がなければ味がしっかりついた美味しい料理というのは出来上がらない。無理やり形にしようとしても爆発して焦げついたものになるだけだ。ドッカ〜ん!


僕が生きているのは、今この記事を書いているのは紛れもなく「イマ」という世界だ。同じ世界のようだけれど、僕とあなたとでは生きている世界が微妙に違う。


だって、価値観や持っている偏見が違うから。
わかりやすくいうと、世の中を捉えるレンズが違うから。
光の当て方も、ピントをどう合わせるかも、細かい部分が少しずつ違う。


だから、伝える必要があるんじゃないか。そのひとつの手段としての文章。
過去の物語のことを振り返って記事の中に盛り込むこともあるけれど、ベースは「今」を伝えるんだ。

今を生きているあなたが今日を生きて考えたことをそのまま文章にする。


僕の見えている世界はこんな景色で、周りには広大な自然が広がっていて、あ、あそこには僕が一番大切にしている、自由って山があるんですよ。

標高はとんでもないくらいで。
まだまだ、ゴールにはたどり着けそうにもないんです。

いつ辿り着けるんでしょうね?

文章を通して、思考を展開していく。一度記事を書いてみた後に追加修正してもいい。とにかく一度書いてみる。

そこからが始まりなんじゃないか。

この記事は「何を書くか?」という単純な疑問から始まった。
僕たちが使う言葉には思いもよらないメッセージが隠されていることが多い。

人はそれを「言霊」と呼び、願いを込める。
言霊は僕たちの心にも宿り、自然と導きを与える。
自分達でも気づかないうちに。

だから、僕はこうした些細なことも見逃さないようにしている。
これが今日僕が考えていたことだ。


皆さんのお気持ちを、こっそり置いていっていただければ。小さな幸せ、これからも皆さんに与えます。