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君は君だよ。僕は僕だよ。
あの時違った選択をしていたら、どうなっただろう?
時々考えることがある。
もし、中学の部活でバレーボール部じゃなかったら?
もし、国立大学にストレートで受かっていたら?
もし、集団に流されて就活をしていたら?
僕はどうなっていただろうか?
僕という存在は変わらなくても、やっぱり今の自分とは少し色が違った僕のはずだ。
「今振り返ってみればよかった」という言葉があまり好きではない。
理由は、なんとなく過去を否定しているような気がするからだ。
今振り返ればよかった、ということは、間接的に過去の時点では良くなかったと思っていたということ。
一生懸命努力したら、結果的になんか上手くいった。
だからよかったけど、その過程ではやりたくないことや嫌なことがあり、少なからず嫌な思いを感じたことがあってそれ自体は嫌だったということ。
もし何も嫌なことがないので有ればこの言葉は出てこない。
それってなんだか自分で自分の価値を、経験の価値を下げてしまっているんじゃないか。そう思う。
マイナスなイメージを感じ取ってしまったのである。
それって、とても悲しいことだ。
とはいっても、今の視点から過去を正しく振り返ろうとしてもだいたい、主観的で偏見を含んだもののなりがちなのだ。
ただでさえ、人は無意識のうちに都合よく物事を解釈しやすいのに、そこに主観が入ると、途端に過去を美化し始める。
過度に美化されたもので過去を振り返っても、偏ったまま、ルールに縛られたままの考えに執着することがほとんどだ。
だから、この言葉を僕はあまり使いたくないし、他の人にも使って欲しくない。
過去も今も、存在しているだけでありがたいものだ。だからこそ、簡単に否定してはならないと思う。
もちろん、振り返ることにはいい面もある。
過去の出来事を一歩進んだ視点から、当時は気づかなかった新しい気づきを得たり、知らない自分と出会えたりするのは過去を振り返ってこそはじめてできることだ。
それに、論理を無視した主観と感情マシマシの解釈を許容するからこそポジティブに受け取ることのできるものもあるのだ。
例えば、放課後、部活のみんなで謎のノリでチーズバーガー30個を頼んで食べまくった思い出。
冬、猛烈な吹雪だったのに、なぜか友達ともども傘を刺さずに会場に向かい、それでもなんとか望み通りの結果が出せた大学受験。
当時は何気ない出来事だったかもしれないが、今となってはかけがえのない大切な思い出だ。
正しさとか、論理性とか関係なく、とにかく楽しかった。ワクワクした。一生この時間が続いてほしいと、夕方自転車を漕ぎながら泣きまくったことは記憶に新しい。
余計なことも、無駄なことも僕たちの味方だった。
そこから今学べることは沢山ある。
過去の選択が蓄積されて、イマが作り上げられている。
だけど、僕たちが生きているのはイマであって、過去じゃない。
「イマ」の自分が何を思っているか。
それが、今日を本気で生きるために考えるべきたった一つのことだ。
そうだろう?君は君なんだから。
This is you だし、This is me。
持っているカードで勝負するしかない。
どうしても過去を振り返りたいなら、あの時今につながる選択をした自分に感謝することだ。過去の自分に感謝することで今の自分も大切にできる。
区切りをつけたら、前を向いて今度は未来に向かって進んでいこう。
皆さんのお気持ちを、こっそり置いていっていただければ。小さな幸せ、これからも皆さんに与えます。