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17歳、不登校のお話(前編)

これは明るい類の話ではないですが、私は17歳の夏、高校に通えなくなりました。今思えば、自分でもよく逃げだすことができたなと、そう思えるこの出来事について、書き連ねていこうと思います。
長くなりますし、苦しい文章ですので、興味のある方だけお読みください。

読んでほしい人
■今まさに不登校の方
■身内に不登校の方をお持ちの方
■過去に不登校だった方

さかのぼれば、小学生から

私は大阪で生まれ育ちました。家は裕福で、食うには十分困らない幸せな家庭でした。毎年沖縄や海外へ旅行に行くなど、家族仲もとても良好です。
そんな私の家は、一軒家です。クレヨンしんちゃんの野原家をイメージしてもらえればいいのですが、庭付きの一軒家です。物心ついた時からそこで暮らしていました。
自分が裕福だと気が付いたのは小学三年生の時です。当時のクラスメイトの8割近くは公営団地に住んでいました。私もよく友達の家に遊びに行っていたので、それはよくわかっていました。しかし、どうやら彼らと私との間には、後で「経済」だと分かるのですが、何か大きな差があるような気がしたのが、このころです。
このころから、学力的にも経済的にも素行的にも、彼らと私との間に溝が生まれはじめ、「公立の中学校ではなく私立の受験をしたい」と思うようになるまで、時間はかかりませんでした。
小学四年生から受験勉強を始め、その中でも団地住まいの彼らとは毎日のように遊んでいたのですが(彼らとの仲は良好でした)、受験勉強が佳境になるに従い彼らとは疎遠になり、結局合格した私は、彼らとは全く違う道に進むことになりました。
この、「中学受験をしたい」という意志こそが、私の人生の最後の意思決定ではなかったかと思います。

流された中学時代

それまで地元の小学校に通っていた私は、翻って見ず知らずの生徒たちと混じって進学校生活を送ることになりました。
今思えば、私はこの時点で、中学受験に合格したことによる燃え尽き症候群を発症していたと思います。
みんなが目をキラキラさせて部活動紹介イベントに臨むのですが、私は本当にやりたいことがまるでなかったのです。勉強一筋だった者の末路です。
結局、入学後初めてできた友達(席が前でした)に誘われるがままにテニス部に入りました。
でもそんな状態でテニスに熱中できるわけもなく、ただ惰性で部活動をしていました。
2年生に進級すると、1年生の後輩が入ってくるのですが、やる気のない私に対して後輩たちは、徐々に軽蔑した態度で接するようになりました。まあ、当然ですよね。
居心地の悪くなった私は、あと少しで引退という時期に、部活動をすっぽかして辞めてしまいました。
人間、やはり主体的に物事に取り組めないと、長続きしないのです。

転機の高校生活

ところで父は、私に「何か打ち込めることを探してほしい」と願っていました。そんななか、息子がテニス部を辞めたと知って、深く悲しみました。私には、その悲しむ父の姿を見ることこそ悲しくて、自分のせいだ、と思い込むようになりました。
高校に進学した私は心機一転、父の期待に応えようと様々な部活動を見て回りましたが、どれもやりたいとは思えませんでした。テニスも、野球も、バスケも、美術も、書道も、なんにも興味を抱けなかったのです。

私は帰宅部になりました。

父は毎日夕方には家に帰る息子を見て嘆き悲しみました。
「貴重な青春時代を、無為に過ごしている。」
その嘆きと視線は、多感な自分には十分堪えるものでした。
もうこのころには、自分の意志ではない次元で生きようとしていた節がありますね。自分のやりたいことはないけど、そう見せる。それが父を喜ばせるんだと、思い込みました。

高校も2年生になると、受験を見据えてみんなそわそわし始めます。そんな中、私は父の期待に応えるべく、友人がいるという再度それだけの理由で、吹奏楽部に入部しました。周囲にはそれはそれは驚かれましたが、自分としてはもうなりふり構ってられないのです。なんせ、父を喜ばせなければいけませんから。なので、高校2年生まで音符も読めなかったような男が、地元ではそこそこ強豪である高校の吹奏楽部に入るという過ちを犯したのです。しかも自分の意志ではありません。父を喜ばせる。ただそれだけです。

そんな活動が続くはずがありません。しかし、入ったからにはみんなに追いつこうと焦るわけです。楽器を持って帰って公園で吹いてみたりもしました。音符や演奏について教科書を読み漁ったこともありました。でも、そんなことでは周囲との実力差は埋まりませんよね。
そんな私に、「大学受験」が結構な足音で近づいてきました。傍若無人な軍靴のような足音で。
部活動に進路のこと、中途半端ゆえにパッとしない成績。
次第に私は、部活動もさぼりがちになり、勉強にも手がつかなくなりました。
父の視線、充実する友人たち。そんななか独りぼっちの帰宅途中の駅構内。
ついに私は限界を迎え、学校に行くことを止めてしまいました。
世界が暗転し、何事も楽しめない地獄のよう。私の目からは、輝きが失われました。

夏休みに入る直前の、爽やかな初夏のことでした。

つづく

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