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「やりたいこと」と「できること」

学生時代から超優秀で、今では会計士としてエリート街道まっしぐら。何故私などの友人をつとめてくれているか分からないハイスペックボーイがいる。

結構前になるが、彼とお酒を飲んだ時、印象的なことを言っていた。
というか私から以下の話題を振って、以下のように返ってきた。

私「あなたはなぜそんなに優秀なんですか?」
(謎の敬語、彼のことは普段先生と呼んでいる。同い年です。)
先生「優秀じゃないよ。ただ、俺の場合は”やりたいこと”じゃなくて、自分に”できること”を軸にして生きてるだけよ。」
私「その心は」
先生「俺が思うに、”やりたいこと”は時とともに変わる。」
私「確かに、私も昔は恐竜になりたかったです。」
先生「でも、”できること”はそう変わらんと思う。俺の場合は単に勉強が得意でできたから、その方向で道を探していった結果が今。それだけなんよ。会計士もべつにホンマにやりたいことかはわからんけど、できたからやってる。」

なるほど。なんと達観した考え方か。
「会計士はできたからやってる」なんて言ってみたい。

さて、”やりたいこと”と”できること”。
どちらを軸にするのかで、生き方って結構変わるのかもしれない。
私は若輩の身なのでどうしてもまだ、「自分はなにが”やりたい”のか?」と考えてしまうし、世の中には「自分のやりたいことを探す方法」みたいな言葉が氾濫している。
一方で、先生のように、自分を俯瞰してみて何ができるかを基準に道を歩んでいくのも、言い方は分からんが「正しい」生き方に思える。
まあ、先生は本当に超優秀で特殊な例かと思うが、自分に何ができるのかを棚卸して俯瞰してみられる人には、そういう生き方もあろう。

先ほど「正しい」生き方と書いたけど、これは少し語弊がある。生き方には「正しさ」はない。その人それぞれの歩み方が合って、歩んできた道のり・足跡そのものが人生なのだから、誰もそこに「正否」はつけられない。
あえて「正しい」と記したのは、それが先生にとっては一定の社会的地位を確立させた生き方・考え方なので、客観的に見て間違ってはいないだろう、ということだ。

うーん、難しい問題だ。
”やりたいこと”と”できること”
価値基準が似て非なる二つの軸。
この二つが一致する人は本当に幸せなんだと思う。
一方で私なんかは、そもそも「何がやりたいのか」を模索している段階だ。
そういう人こそ、それが見つかるまでは”何ができるか”軸で生きるべきなんだろうか。
でも一つはっきりしているのは、私はこれからも「何がやりたいか」を探し続けるんだろうということ。不肖ながら私などは、このように文章を書いたり、知識を取り込んだり、人と交流することは好きで得意=”できること”だけど、そこに「本当にやりたいこと」を軸としてフィットさせたい。人生をよりよくしたいから。
最近は、noteという場所を見つけられたので、ここならば”やりたいこと””できること”が両立できるかもしれない、と思っているけど、分かるまで続けてみるしかない。

長くなったが、”やりたいこと”と”できること”
どちらの軸で生きるのか。
はたまたどちらの両得を目指すのか。
はたまた全く違う軸で生きるのか。
人生はいろいろだ。
私はこれからも試行錯誤しながら、noteや社会という広い世界で、
いろいろな生き方をのぞいてみたいと思った。
まあでも、結局はその人が楽しく幸せであれば、何でもいいような、そんな気もする。

サポートをしていただけるようなことがあったら踊り狂います。 どこかの誰かの何かに届けばいいな。