まいにちのnoteだけですくなくとも年間で50万の文字を入力している
はじめに
習慣にしてしまえばそれほどたいしたことではないとはじめたころは思った。はたしてnoteに記事を書きつづけると歯みがきのようになんでもない習慣にできるだろうか。
1年ちかくまえのこと。ふと2週間ほど毎日掲載しているなとおもった。それじゃあせっかくだからと1日1記事を載せられるかやってみようとなった。しごとでこどもたちと接していて「日課にすること」をそれとなくこどもたちに話すじぶんがいる。その一例としてみずから気負わずにやってみた。じつは丸1年まであと3週間あまりでそれを達成する。
きょうはそんな話。
ことばを入力しつづけて
あらたな題材を毎日みつけだすなんてできるだろうか。PCのまえにしてほぼ毎日のようにそうおもいつつPCをまえにする。ここ最近は十数秒ほどできょうはこれを書こうとうかんでくる。確認やしらべる作業などくわわることもあるが、ほぼ思考のスピードでゆびが文字を入力するかんじ。いまこの記事もおなじ。
ちょうど顔をあらい歯みがきをすませるまでの時間とさほど変わらない。ちがうとすればもう1度か2度読みなおして手をいれるぐらい。
この行動自体はほぼおなじぐらいの時間ですすみ、そのあとしごとや家事にうつる。
ふりかえるとこの1年いろいろと身近にあった。突拍子のないことや急なできごと…。とぎれる可能性は何度かあった。それにもかかわらずなぜか記事の掲載だけはとぎれずにつづけられた。ほぼぐうぜんの産物といっていい。
1年まえに
ちょうど昨年のいまごろのある記事を読んでみた。すでに100日連続投稿と記している。
このすぐあとになにかわたしの手ちがいでとぎれて再開した。そこからもうじき1年になるわけ。
その記事にこんなことを書いている。
「…明日はどうなるかだれにもわからない。それだけに連綿と受けついできた生命のひとかけらとして、なにかしら文をつむぐ作業をやってここへのこしてもバチはあたらないはず。 」
たしかにそのとおり。きょう、この文を入力していてもおなじきもちのまま。
朝めざめると
ああ、きょうも朝がおとずれた。生きていた。そうおもう。するとまずは朝のルーティン。顔をあらい食事をすませて歯をみがいて、しごとにはいるまでのあいだにこの記事を書く作業をいれている。この時間帯にいれるのがいちばんしっくりくる。わたしにとってくるまでいうアイドリングみたいなもの。
さあ、きょうも1日がんばろうのきもちをなるべく記事に織りこもうと。
おわりに
noteへの文字だけで年間に文庫本に換算して4~5冊程度になる。いつまでつづくか考えていない。
べつにノルマにしているわけでもストイックにかんがえて行動しているわけでもない。ちがうとすればいかに読みやすくするか、なにをつたえたいか。この2点だけ意識しながら。
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