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このところの暑さのなかで紅葉や黄葉の色づきが気になりはじめた


はじめに

 朝晩の気温がさがるにつれて季節のすすみをようやくかんじられる。春のお花見とともにたのしみなのが秋の紅葉(黄葉)。ある程度以下に最低気温が下がると色づきはじめるという。

ことしはタガがはずれたように昼間は暑い。はたして朝夕のすずしさって例年なみなんだろうか。落葉樹が色づくのかどうか。さんぽのたびに木々をみつめている。

きょうはそんな話。

落葉樹のある場所さがし

 ひっこしして3か月。海山まで数分で行けたところからたいらな街なかへと移り住んだ。こんなに平たい場所にくらすのはうまれてはじめて。そしてこの街の利便性のよさに舌をまくほど。先日からはじまった歯医者通いは歩きだがものの数分とかからない。自然のものは家なみに変わり疎になった。

それならさがしてみようと早朝しごとさきにむかい、おもてを散歩した。するとなかなかよい感じのプラタナスや桜などの樹木をみつけた。そこそこ色づきはじめている。

このみどり色とまじったようすがなかなかいい。赤や黄色ばかりになってしまうよりもみどりのままの葉やすでに茶色い枯れ葉のまじるようすがなによりいい。いろどりがゆたか。

タイトルの写真はようやく撮れた1枚。朝日で逆光だったのでスマホでの撮影でもなかなかむずかしい。肉眼で見たままに撮るのはたいへん。何枚かチャレンジしたが逆光のもとではこれがせいいっぱい。

べつの日に

 休日の街なか。ちいさな公園がいたるところにある。市が設営していったのだろうか。家一軒ぶんぐらいかなというサイズでほんのわずかの遊具。

そんなちんまりした公園でも木がそれなりに大きくなり、いごこちのいい木かげをつくっている。朝なのに帰り道でもう陽がさしてきて、日なたをあるくとからだが火照ってくる。公園でちょっとひとやすみに木かげがうってつけ。見あげると落葉樹らしい。かぜにそよぐ葉はようやくここでも色づきはじめたばかり。まだ多少の風では散りはしない。

冬木のかたちも

 けっこう暖地なので街の植栽は常緑樹ばかりだろうと思いこんでいた。落ち葉はかたづけに手間がかかる。いまや人件費がいちばんの経費にちがいないが、それでも清掃をおしごとにされる方々にとってはこうした公園や街路樹の管理はだいじなしごと。快適に憩う場所を提供していただけており、冬の葉のない木々をふくめてたのしめる。

中学生のころからスケッチといえばポプラの木を入れた風景をこのんで描いた。校庭にも校門から校舎にむかいずらりとならんでいた。葉が落ちると枯れたような枝々のおりなす曲線はいずれも天にむかう。その樹勢のうつくしさはほかに代えがたい。

どちらかというとポプラは北のほうのイメージの木。

函館の風景(木山 仁 一部)

暖地にもかかわらず中学生当時くらした街にはこの木があちらこちらに植わっていた。

おわりに

 これからがいちばん好みの時季といっていい。だがあっといまにとおりすぎてしまう。間をおかずにきりっとしたこごえる日々がおとずれる。

ことしははたして記憶にあるようなだんどりでもって木々がいろどりをむかえ、さらに木枯らしがおとずれるだろうか。


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