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「失くしもの縁起」のおはなし


失くしもの稲荷 


失くしもの稲荷(川根町)


 川根の家山の真ん中に「天王山」(てんのうやま)という小高い丘がある。その頂に至る小道の傍らの小さな「祠」には「お稲荷様」が祀られている。まちの人々はそれを「失くしもの稲荷」と呼んででいる。

何か大切なものを失くした時、このお稲荷様にお祈りすると、お稲荷様はその探し物を必ず見つけてくれる、と伝えられる。願いがかなったその時は、「油揚げ」をお供えして感謝の気持ちを伝える。

 その昔この稲荷は荒らぶる神の化身で、村の人々は大いに恐れていた。そのためこの地に祠を建ててお祀りした。以来お稲荷様は人々の失くしたものを探し出す神様となった。

落し物として


 『天高し人間という落し物』(上甲平谷)。人はある時ふと、自分という存在が天からの落し物の ように感ずることがある。 あるいは自分がこの世界に投げ 出された時、何かとんでもないものを失くしてきた、と感ずる。自身の中の自分か、自分の中の何か大切なものか、それらを失くしてきたという喪失感に囚われる。

「あの青い空の波の音が聞こえるあたりに/何かとんでもない落し物を/僕はしてきてしまったらしい」(谷川俊太郎『かなしみ』)。その喪失感は何か、人々は考え、永遠に尋ね歩く。

漂流郵便局


漂流郵便局(消印)

 人はある時、突然愛する人を失う。そして耐えきれない程の喪失感から「何故」を繰り返す。こうした行き場のない叫びを受け止めてくれる郵便局ー瀬戸内海の小さな島 「粟島」(あわじま) の旧郵便局―それが『漂流郵便局』である。

2013 年「瀬戸内国際芸術祭」 でアーティスト久保田沙耶の作品『届けたくても届けられない手紙』を受け付ける郵便局としてスタートした。久保田は言う「小さな瓶に詰めた手紙が、流れ着く場所のように」「過去/現代/未来、もの/こと/ひと、何宛てでも受け付けます」(『漂流郵便局』小学館)と。

 このプロジェクトが全国に流れた時、無数の喪失の叫びが届く「なんで先に逝ったの、やっていられない、いい加減にしてよ」 (「同」) 哀しみの叫びが手紙に託され、漂流郵便局に届けられる。『漂流郵便局プロジェクト』は 芸術祭終了後も「粟島」 に続けられ、手紙は、三万五千通をこえた。「MISSIG POST」 はアートを越えた。

神様のお力


 「失くし物」は「この世」と「異界」を結ぶひとつのツールとして語り継がれている。
 山幸彦と海幸彦の神話では山幸彦が失くした釣り針が地上と竜宮を結ぶ。日本の山々を仕切っているのは「山の神」である。 山の神は女性で、大変嫉妬深く、そのため女性が山に入ることは禁じられている。

猟師や木こりなど山仕事をする男たちは、魚の中でも顔の最も醜い「オコゼ」をもって山に入り無事を祈った。「オコゼはかたち甚だ醜し、...山の神これをみることを好む」(柳田國男 『山神とオコゼ』)。

さて、山で落し物をした時、山の男たちは下半身裸にな り、男根をさらしながら山の神に祈る。「見せるなら一番若くていい男がいいよ」。すると山の神は喜んで失くし物を探してくれる(松谷みよ子『あの世からのことづて』筑摩書房)、と伝えられる。
 パスポートを失くした 何処かの知事も自慢のぶらぶらを見せて祈るべき だった。

(地域情報誌cocogane 2018年12月号掲載)


[関連リンク]
地域情報誌cocogane(毎月25日発行、NPO法人クロスメディアしまだ発行)
天王山公園(島田市川根家山579)


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