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〈雪泥鴻爪〉人生とは雪に残る足跡…【心を癒す蘇軾のレジリエンス その1】

人生に目標は必要でしょうか?

「夢を持ちなさい」「目標達成のために頑張りなさい」と常に追い立てられる現代社会。果たして、我々一人一人の夢や目標は、人生にどんな意味を与えてくれるのでしょうか…?


1,000年ほど前の中国、宋王朝の時代に生きた「蘇軾」という文人がいます。別名を「蘇東坡」。「東坡肉」という料理を生み出し、名前の由来ともなっている人です。

彼は3,500編近い詩を残したと言われ、唐宋八大家に名前を挙げられる程、中国でも絶大な人気を誇る人物です。

若くして才覚を表し、時代を代表する人物だった蘇軾は、宋という時代に振り回され、波瀾万丈の人生を送ります。

死を覚悟する程の壮絶な絶望と苦しみの中、蘇軾がたどり着いた達観の境地…。
彼の詩を通して滲み出る、人生に対する前向きな姿勢や、逆境や困難を乗り越える力は、1000年後の世界を生きる我々の心にも明るい光を灯してくれます。

私自身、漢詩の研究家ではないのですが、中国語を勉強する上で、今もよく使用される言葉の多くが蘇軾の詩から引用されていることを知り、興味を持ち始めました。

自分にも様々な迷いがあった時期だったのですが、蘇軾の詩を学んでいると、ふと肩の力が抜け、元気が出てくるような、そんな不思議な気分になります。

「目標達成が大事」「スピードが重要」と、とにかく周りから追い立てられ、自分の立っている場所も見失いがちになります。そんな時、蘇軾のレジリエンスは、そっと心に寄り添ってくれるような気がします。

ここでは、そんな蘇軾の人生とその折々で彼が創作した詩について紹介したいと思います。専門家ではないので、翻訳は意訳になります。また、感想も個人の解釈によるものです。正確な意味や解釈は、専門書等で調べていただくことを強くお勧めします。

1.蘇軾の生い立ち

蘇軾は、1037年に四川省眉川県で生まれました。日本では藤原頼通が権勢を誇っていた時代です。

父親は、蘇洵。蘇洵も唐宋八大家に選ばれるほど著名な文人です。
また、蘇軾には、蘇轍という最愛の弟がいます。蘇轍も唐宋八大家に選ばれており、同じ家から家族で3人が選出されています。そのため、3人を合わせて「三蘇」と呼んだりします。

蘇軾と蘇轍の兄弟は、若い頃からその才能を発揮します。1057年、父・蘇洵に連れられて都に入った蘇軾と蘇轍は、わずか22歳と19歳という年齢ながら、科挙への合格を果たします。

その年は、欧陽脩が科挙試験を担当しており、試験の改革をおこないました。いわゆる試験テクニックとして暗記や模倣をするような内容を嫌い、受験者の質を問う形に改めました。この改革で、その年の科挙は難解を極め、合格者は蘇軾と蘇轍を含めてわずか3名しかいなかったということです。

さらに、欧陽脩は、最終的に順位をつける際、答案に名前が見えなくしてあったことから、最も優秀だった解答が自分の弟子によるものだと思い込み、批判を避けるために敢えて弟子を2番にして、2番目の受験生を1番に繰り上げておきました。すると、繰り上がって1番になったのが弟子の方で、優秀だからと2番目にした方が蘇軾の解答だった、ということが後で判明しました。欧陽脩は、その時「30年後には蘇軾の名前だけが残り、欧陽脩の名前など誰も覚えてはいないだろう」とため息をついたと言われています。

なお、この欧陽脩も時代を代表するような人物で、1000年を経ても教科書に出てくるレベルの人です。蘇軾は、そんな人物に見染められ、華々しいスタートを切ることになります。

2.雪泥鸿爪


今回は、そんな前途洋々の蘇軾が、地方官として赴任地に向かう際に詠んだ詩を紹介したいと思います。

 hé zǐ yóu miǎn chí huái jiù
 和 子 由 渑 池 怀 旧                苏轼 〔宋代〕
(子由の澠池旧懐に和す)

 rén shēng dào chù zhī hé sì,yīng sì fēi hóng tà xuě ní。
 人 生 到 处 知 何 似, 应 似 飞 鸿 踏 雪 泥。
(人生という旅路は何に例えることができるだろうか?
 例えばそれは、渡り鳥が雪に残す足跡のようなもの。)


 ní shàng ǒu rán liú zhǐ zhǎo,hóng fēi nǎ fù jì dōng xī。

 泥 上 偶 然 留 指 爪, 鸿 飞 那 复 计 东 西。
(雪の上にはたまに爪痕が残ることもあるだろう。
 しかし渡り鳥が飛んで行けば、もうどこに行ったのかも分からない。)

 lǎo sēng yǐ sǐ chéng xīn tǎ,huài bì wú yóu jiàn jiù tí。

 老 僧 已 死 成 新 塔,坏 壁 无 由 见 旧 题。
(あの時の老僧はもう亡くなって塔婆に埋葬されていた。
 二人で詩を書きつけた壁も、崩れてしまって文字も見えない。)


 wǎng rì qí qū hái jì fǒu,lù cháng rén kùn jiǎn lǘ sī。

 往 日 崎 岖 还 记 否,路 长 人 困 蹇 驴 嘶。
(あの時の苦しかった旅路は覚えているか?
 長い道のりで疲れ果て、連れていたロバも嘶いていたっけ…)

この詩は、弟・蘇轍との詩のやり取りとして作られたものです。

この「渑池」というのは地名なのですが、蘇軾はかつて科挙を受ける前に、この渑池の地方官に任命されたことがあります。結局、科挙に合格して赴任することはなかったのですが、その場所を科挙の試験に向かう際に、父・蘇洵と弟・蘇轍(子由)と通りました。彼らは、ここのお寺で宿泊し、壁に字を書きつけています。

その後、科挙に合格し、25歳にして地方官僚として赴任地に向かう際、かつて弟と通った場所を通りかかるのです。そこで、蘇軾は昔を思い出し、この詩を作ります。後半の2行は、その時の思い出を語ったものです。

しかし、この前半2行には若き日の蘇軾の人生観がよく表れています。

「人生なんてものは、所詮、冬の雪に残された鳥の足跡みたいなものだ」と言い放つ蘇軾。
鳥が飛んでいけば、どこに行ったのか分からない。足跡だって雪が溶ければ、すぐになくなってしまう…。人の人生なんて、その程度のものだ、というのです。

3.感想(雪解けに残された足跡)

さて、皆さん、どうでしょうか?

人生においては、学校で、会社で、仕事で、「こいつには敵わない…」という人にたくさん出会うことでしょう。人はついつい誰かと比較してしまうもので、自分が手にしていないものを手にしている人を見ると、羨望や嫉妬の感情が生まれてしまいます。

世渡り上手な同僚は、トントン拍子で出世している。地味な部署にいる自分は頑張っても日の目が当たらない。SNSであいつの華やかな生活を目にするたびに辛い気持ちになる。世界はあいつを必要としていて、自分を必要としていないようだ。自分が生きている意味とはなんだろう…。

でも、自分と比べたら華やかに過ごしているように見える人でも、歴史に名前を残せる程のレベルに達している人はどのくらいいるでしょうか?

総理大臣経験者、ノーベル賞受賞者、オリンピックメダリスト、社会に変革をもたらした企業経営者、世界的に名前が知られた芸術家…、歴史に人生の足跡を刻める人はそこまで多くはありません。

そうだとすると、残念ながら、我々が社会に生きて活動した足跡の多くは「雪泥鴻爪」。雪の中に、一時的に残った足跡のようなものに過ぎず、時間が経てば溶けて見えなくなってしまう程度のものなのかもしれません。

地位や名誉を得て華やかに過ごす人、誇れるものが得られず世界から見捨てられたと感じて生きる人。その両者を比べると、今のこの瞬間に世界につけられた足跡は違う形に見えるでしょう。しかし、年月が雪を溶かした時、そこについていた足跡には、大きな意味などないかもしれない。

そう、畢竟、人の人生なんてそんなものだろう…、と蘇軾は語りかけてきます。

もちろん、努力を否定するわけではありません。何かに向かって頑張ることは、自分の人生を充実させる上で大変重要なことです。ただ、その結果、自分が期待したほどの成果を得られず肩を落とす瞬間があったとしても、横目でそれを手にした人を見て羨ましく感じる瞬間があったとしても、所詮、後になれば皆「雪泥鴻爪」。渡り鳥はどこに飛んでいったのかも分からず、春になると雪は全部溶けて消え去ってしまう。

だとしたら、折に触れて誰かと足跡の形を比べて一喜一憂したり、目の前の失敗に「これで人生終わった…」とふさぎ込むのではなく、もう少し楽な気持ちで、自分らしく思いっきり生きてみてもいいんじゃない…?

私には、蘇軾が、そんな風にやさしく自分の背中を押してくれているように感じてしまうのです。

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