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今年、毒親の誕生日と母の日を無視しました

毒親である母親の誕生日、
そして今年の母の日、
私は母に無言を貫いた。

これまでは、
罪悪感に苛まれて
プレゼントを送ったりメールを送ってきた。

会話をしなければ良いだろうと思っていた。

それが、自分への折り合いの付け方、
罪悪感への対処だった。
でもそれは母への甘えだと気づいた。

少し気にしてるよ、
でも拒否しているんだよ、
分かってよね、
という甘え。

5歳児のように自分の喜怒哀楽を押し付け、
私という存在を認めず、
我が子として愛情もって扱えない、
毒親の私への甘えと
同じではないかと思い始めたから。

こうしてnoteを始めてから、
自分の気持ちを整理し
改めて自分に起こった出来事を
素直に、ありのままに、書いてきた。

他の誰でもない
今の、すっかり大人になった自分が、
幼い私に対して、20代や30代や、
昨日の、そしてさっきまでの私に対して、
誰よりも味方で励まして、
落ち込んだ気分を昇華してきた。

読んでくださる方が増えて
有難くスキをたくさん頂く記事があって
毒親に負けない勇気を持つことができた。

そうしている間に
初めて、誕生日と母の日をスルーした。

やってやった!という気分でもなく
あぁそんな日でもあったよね
という無感情。

でも、
押しては引くような感情に
今の私が捕われてしまわないように
目の前のこと、周りの状況、
自分自身にも感謝をしてみる。

一つ一つ。

我が子がニコニコしていること
夫が仕事で喜ぶことがあったこと
庭先の紫陽花や薔薇が綺麗に咲いてくれたこと
アボカドの種から葉っぱが出たこと
猫がすり寄ってくれること
頼れる家族がいること
叔母が時折来てくれることになったこと
仕事の仲間に恵まれていること
今日雨が降ったこと
今生きていること
兄との素晴らしい思い出がたくさんあること
すやすやと今隣で我が子が眠っていること

感謝を忘れると
色々なことがモヤモヤしてくる。

生きることが辛くなったり
兄の死を思い出し人生が不安になったり
仕事が嫌になりダラダラしたくなったり
体調が優れなかったり。

今あるもの、持てているもの、
そういうものに感謝し喜べるようなエネルギーは毒親育ちには欠如することがあるらしい。

明日も生きているか分からなかったのだから。
何とかココに存在する、そのことばかりに
力を注ぐしかなかったのだから。

だからといって、
それを放棄したり努力しないでいる甘えがある程私はもう子どもではない。

毒親の望みどおりに、
そんな子どもでは有り続けない。

自力で這い上がって、
毒親から完全に精神的にも独立して、
私は私を自分の手で幸せにする。

毒親のように
他力ではない。子どもにすがらない。
子どもや主人や社会のせいにしない。

それは苦しみではない。
逃げないことだとか、苦しみに向き合うだとか、
そういうことではない。

一つ一つに感謝して、
気持ちを穏やかにし、
楽しいな嬉しいなワクワクするといった
純真な気持ちの方に自分を向けていく。

本当の5歳児の、我が子を見て思う。

怒られて正す、
怖いから治す、
そんなことでは身についていかない。

楽しい気持ちの時は身につく。できる。
納得したものは、やれる。

不安や恐怖を解消するために
仕方なく、嫌だけど、手っ取り早く、
そういうものはネガティブな気持ちの解消に
大切なエネルギーが注がれてしまう。

ちょっとした私の声掛けで
顔がぱぁっと明るくなる我が子。
イヤイヤしながら気持ちをポジティブには
うまく持っていくことが出来ない我が子に
あの手この手で手助けをする。
自分をそうするように。
きっと普通の人よりうまくいかない。
でもそのことに情熱は、ある。

感謝すること。
今ここにあるもの。
目に見えているもの。見えないもの。
自然界からの贈り物。自分で作ったもの。

今生きている私自身に、何より感謝したい。

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