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生き辛い、先ずは感謝せよと

我が子は毎朝今日の天気を聞く。 

晴れの日はいいのだが、雨だの曇りだのといえば
とても残念そうにしている。
保育園休むと言わないか、少しびくびくする。

それでも嘘は良くないし、正直に伝えている。

『雨が降ったら、植木やカエルさんたちも喜ぶよね』
となだめてみるが、カエルは冬眠中だよと言われ
『畑のお野菜も育つし雨は有り難いよね』
と話しても、感謝まではピンとこないらしい。

毒親育ちの私は時々仕事が辛くなる。

他人や周りがこの辛さを作っていて、
あれが悩みだこれが悩みだ、
もうお手上げだ、会社に行きたくない、
そもそも働きたくはない、楽したい、
と5歳児の駄々っ子のようになってしまう。

神様、夫、上司、誰でもいい、
私の状況を良くしてよと思ってしまう。

私はお金には苦労せず育った。

父親が蒸発して母の虐待が強まった時、
あんたの親権なんかもってない、
保険証はないから病院なんか行けないからねと言われたことはあっても、
曾祖母や祖父母もいたので
食べるものには困らなかった。
苦労はしたつもりだが、
何とか大学に進学し、会社にも入った。
私のゼミで新卒で就職できたのは私だけだった。
給与もまずまずで、いまだにその会社にいて、
早くはなかったが結婚し、すぐ子どもにも恵まれた。

だから悩むのだ。
要は暇なのだ。

お金がない、職がないと生きるのに必死であれば
それを手に入れるためにがむしゃらに生きる。
長年、毒親のカウンセリングを受けていた時も
必死だったし、
兄の死から三年必死に生きた。

特に今、恐らく悩みが何もないのだ。
向き合うべき課題がない時、
毒親育ちはわざわざそれを作る。
平凡にはいられない。

幼い頃、大人になるまで、
いつも暮らしに必要な物的なものは目の前にある。
恵まれている。手にしている。困らない。
そこにフォーカスが行かない程、
感謝できない程、
私は虐待されていた。
親もいつも不平不満ばかりで
人生は辛いと教えても感謝は教えてくれない。

当たり前にあるものは、当たり前ではなく
今ここに当然あるものは、奇跡の連続だ。

感謝すべきものだ。

家があるということ。
お腹が空いたらすぐ食べられるということ。
家族がいるということ。
仕事があるということ。
友人がいるということ。
今日が晴れているということ。

私には感謝が足りない。

無いものにフォーカスし
辛いことに向き合い苦しくなる。
その時間のうち、少しでも、
幼い頃からあったもの、
今手にしているもの、見えている景色に感謝したい。

それらに、感謝している様子を我が子にも見せたい。
感謝している表情、声、その対象を
我が子にも学んでもらいたい。

カウンセラーに感謝が足りないと言われた時
全くピンと来ていなかった。
どちらかといえば『ある』方だと思っていた。
私はついている、
毒親育ちなのにこんなに手にしている、
とてもラッキーだ、
それに気づけないのは
大人になりきれていない5歳児だと指摘されて初めて
感謝が足りない自分を認められた。

感謝が足りないことと
大人になりきれていないことは
対になって私にぐさりと刺さった。

仕事が辛いのは
ただそれだけのことだとプロは言った。

時々、また風のように
私の駄々っ子がやってきて
感謝などすっかり忘れて
誰か誰かと依存心が出てしまう。
また来たなと思い、
そんな自分も仕方ないなぁと認めて抱きしめ、
1つ1つ感謝を思い起こしていく。
社会人として大人として甘えたことは考えないと
奮い立たせる。

横ですやすやと眠る夫と息子の手に触れてみる。
温かくてほっとする。
独身の時、どれだけ寂しい夜を
1人で過ごしただろう。
いつまで続くのかと底はかとない不安もあった。
家族になれば、あれが足りないこれが足りない、
期待が裏切られただの文句は尽きない。
でも、こうやって一緒に眠ってくれること。
家族で明日の不安なく安心して寝られること、
こんな幸せがあるだろうかと考えてみる。
今日、今、この時に、
これに感謝せずに仕事や家庭に不平不満を持って
何になるだろうか。

明日の天気はどうだろう。
雨でも晴れでも曇りでも、
いつも感謝、感謝言うよねと
我が子に言われるくらい、
毎日天気にだって、感謝しよう。





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