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医学部4年間を振り返って

こんにちは、salviaです。これまでを振り返る記事を自戒を込めて書いてみました。悩みを抱える医学部生の方に読んでいただければ幸いです。

自身の今まで

医学部生活

先日、医学部における臨床実習前共用試験CBT・OSCEに合格した。これで晴れて臨床実習に出られることとなる。同時に、当たり前といえば当たり前のことであるが、自分は22歳になった。高校の同期は主体的な進路選択をし、報道関係に進むもの、コンサルに進むもの、銀行に進むもの、院進などなどいたらしい。
というところで自身も色々考えるところがあり、ここに記事として記すことにした。元々このnoteは、医学部在学中、こんなことを考えてるぜ、というポエム目的のものなので。

少々話が脱線した。
医学部というのはとても閉鎖的な空間で、入学した時点でキャリアの大筋が見えてきてしまう、特異な学部である。本当に冗談抜きに9割型の学生が医学部の部活に入り、初期研修を自大でするか市中病院でするかはおいといて後期研修では自大学の医局に入る。そして専門医やPh.Dをとり、よければ准教授あたりまで昇進するか、市中病院でそこそこのポジションを得るか、開業するか、というキャリアに大別できるだろう。そうすると年収1000万はまず下らないし、東京カレンダーにもまず登録できるのではないだろうか。
このことを僕が知ったのは解剖実習が終わった頃、大学2年くらいの頃であったが、なんとなく絶望したのを覚えている。別に医学部部活否定派でもないのだが、このままでいいのかなというありきたりな悩みだ。医学部の友人は部活と実習と勉強とバイトで終わる大学生活になんの疑問も感じていないように見えて、かといってそれを信頼していた動機に相談するも鼻で笑われ、悶々としたのを覚えている。医学部寄りの進学校(東大は10人程度しか出ないが医学部はとても多い)を出ていたので、親族に医療関係者がいなかったのにもかかわらず医学部に来た、そのつけがここで回ってきたのである。

また、自分の考え方、価値観には1~3年のときに付き合っていた人が大きく介在している。彼女は誰でも知っているトップ女子校を出て、ぶっちぎりの成績で東京大学文科Ⅱ類に進学し、キャパシティも広く何より努力家で尊敬できる点がたくさんあった。メンタルが安定しないときでも、愚直に自分自身と対話していた記憶は、今でも鮮明に残っている。自分自身男子校出身で、みっともないところをたくさん見せたので、これ以上は割愛しておこう。たくさんのことを学ばせていただきました。これを読んで連絡してくるのは野暮ですよ。

ちょっとというかかなりポエムチックになってしまうのが過去の恋愛を思い出したときの摂理であると言い訳をしつつ、話をすすめる。
要は、自分は色々なことを経験したかったのだ。
経験することで得られるものがあると思っていたし、なにかが見えてくることを期待すらしていた。また周りの大人もそのようにすすめた。
実際に、たくさんのアルバイトを経験した。飲食、家庭教師、塾のチューター、選挙の出口調査、ビラ配り、建築現場などなど。
確かにそれらの経験は飲みのネタになったりするし、自分とは違う立場、職種の人間の考え方を学べたということは良い経験になった。しかし、無駄だったとは言わないが、直接的にこれだ!という経験に繋がったとは言い難い。

また、医療ベンチャー企業でインターンを経験したり、研究室で医用画像解析の研究をしたりした。これらは本当に尊敬できる人との出会いがあったり、実際に小さな学会で優秀演題賞を受賞できたり、良いものであったと言えるだろう。自分のキャリアについて本格的に考える事ができたことや、しっかりとしたビジョンを持つことの大切さを学んだことは自分の財産である。
もちろんやめたことも多々あり、飲食は1年ちょっとでやめてしまったし、医学部運動部は3年の夏にやめてしまった。(笑)

つまるところ、自分は良くも悪くも、広く浅く大学生活を送ってきたのだ。


人生のバイブル~喜嶋先生の静かな世界~

いきなりどうしたと思うかもしれない。これは僕が薬理学の教授からおすすめされた本の題名である。専門的な小説ながらも読みやすいのでぜひおすすめしたい。
簡単に言うと理系の大学生が、修士博士と進学していく中で様々な人に出会い成長していく物語だが、その中でとても気に入ったフレーズがある。

たまたま横に座っていた喜嶋先生が僕にささやいたことがある。良い経験になった、という言葉で、人は何でも肯定してしまうけれど、人間って、経験するために生きているのだろうか。

これは、研究室の大学院を修士で出て企業に就職する人が「この経験を活かして頑張ります」という旨の発言をしたときに、喜嶋先生が呟いた言葉である。自身の薄っぺらさを看破されたような気がして、歯痒い気持ちになった。それ以降、なにかを決断するときにはこの言葉を頭の片隅に思い出すようにしている。

格闘技

自分が大学のなかで一番と言っても過言ではないくらいに始めて良かったと思っているのがこれである。
苦労してデビュー3戦目で掴んだ初勝利、リングに上がったときの高揚感、ダウンを奪ったときの快感、アマチュア練で疲れ切ったときの減量で炭水化物を減らさなければいけない苦痛など、一生忘れることはないだろう。生命を感じることができるスポーツに出会えて、本当に光栄だった。ジムの方々も多職種で、それぞれの哲学を持っている人が多くて、とても多くのことを学ばせていただいている。精神的にも肉体的にも、なにより人間的に成長できた気がする。まだまだ頑張るよ~~~。

そして、これから

まだまだ自分にはやりたいことがたくさんある。プログラミング技術をもっと習熟させたいし、データサイエンスにも(というかそれがメインで)強くなりたい。英語も学びたいし、投資も学びたい。格闘技ももっと極めたい。純文学が好きだと言えるくらいに本を読みたい。日本一周もしたい。タイにも行きたい。友人と旅行もしたい。今の彼女を幸せにしたい。自身の哲学を深めたい。

しかし、残念なことに、もう何かを経験することで評価されるフェーズは終わってしまった気がする。別に結果ベースで、ということを言うつもりは毛頭ない。ただ、自分の強みがなければ自分は評価されないということである。
インターン先の社員さんに言われた、「結局君は何ができるの?」これに全てが凝縮されている。東北大学の先生やソフトバンク系列のベンチャーキャピタルの人にも同じようなことを言われたなあ、、、connecting the dotsということでしょうね。

第5回メディカルAI論文学会でポスター発表をした際、自身が議論についていけないということがあった。自身の実力を過信していたということだろうか。そして、この分野でトップを目指すのは無理だなと悟ってしまった。
まあそもそも付け焼刃的に参戦した研究室だったので、そりゃそうだろと思うのだが、好きで努力できる人間、換言すればその分野において努力を努力と思わない人間には勝ち目がないことも痛感した。


なので、まず自分が極めたいことを極める(ここではあえて明言しない)。そして医学という軸と組み合わせて自分にしかない価値を創造する。ポリクリで現場感を感じることができるので、様々なアイディアが浮かんできているのは良い兆候である。まあ考えていることの半分はうまく行かないだろうけど、うまく行かなくても医師にはなれるというのは、自分のメンタルをだいぶ楽にしてくれている。
つまり、これからは、広く浅く、同じくらい狭く深くという意識で残りの2年間を過ごしていきたいということである。

拙い文章になってしまいましたが、読んでくださった皆さんには感謝しかありません。感想などコメント・DMなどでお待ちしております。



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