見出し画像

「二百三高地」と「大日本帝国」     カッコいい自衛隊に気をつけろ4    愛国者学園物語146

 ジェフはここで、日本の戦争映画についてのリストを提示し、それぞれを紹介した。それには「八甲田山」などの大作に加え、アニメ「火垂るの墓」や「この世界の片隅に」もあった。(中略)


 彼が特に詳しく書き、それらの主題歌にもついて触れたものが2作品ある。それらは、「二百三高地」(1980年)と、さだまさしの「防人の詩」(さきもりのうた)、それに「大日本帝国」(82年)と、五木ひろしの「契り」(ちぎり)である。

 

 ジェフは打ち明けた。自分はカラオケでそれらの曲を歌うのが好きだと。特に「契り」を歌う時は、どうしても涙が止まらない。私はカナダ系米国人で金髪の白人であるが、どうして自分が、この曲にそんなに心を動かされるのか、よくわからない。私がこれを歌って感極まり涙を流すと、竹馬の友マイケルが、日本語で「おっさん、泣くなよ。ウニ食うかい?」と、私の好物の話をしてからかう。それなら楽しいのだが、嫌なこともあった。自分が居酒屋で飲んでいると、酔っ払いが絡んでくるのだ。白人の自分が日本語を上手に話すのが、彼らは気に入らないらしい。そこで、マイクを手に「契り」を歌うと、誰も自分を馬鹿にしなくなる。そんなことが何回もあった、と彼は書いた。

 ジェフは続けた。さだまさしの「防人の詩」には驚いた。歌詞の内容も、彼の歌唱の素晴らしさも特筆に値するが、最大の驚きは、「二百三高地」の劇中で、わざわざ歌詞を字幕で出して、その曲を流したことだ。@で@を洗うような激しい戦闘で、勝利など到底望めそうにない日本軍。@@者と負傷者の山で、そういう曲が流れることは忘れ難い。

(公式チャンネルから)


 ジェフはこれらの作品について長々と書いた後で、こうまとめた。これらの作品を作った関係者、そして出演した俳優たちは立派だった。どこに出しても恥ずかしくない俳優たちの力を結集して、驚くような見せ場も作り出した。もし彼らの演技がいい加減だったら、これらの映画はヒットせず、白けた作品になっただろう。「二百三高地」で乃木将軍を演じた仲代達矢の顔には死相が漂っていた。自分の息子二人も含め、無数の将兵を失った戦争での、乃木の心情を彼は良く表現していたと思う。

 明治天皇の死後、乃木が後を追って@@したことは有名だ。その@は当時の人々に衝撃を与え、乃木神社が創建されて、彼は神として扱われ、その名前は乃木坂にも残った。現在では、東京メトロの乃木坂駅や、人気アイドルグループ「乃木坂46」にも、その名がある。乃木坂46のメンバーは「二百三高地」を見たことがあるだろうか。乃木がどんな人間だったのか、知っているだろうか。

 彼はここで脱線した。ジェフは、27歳で亡くなった俳優の夏目雅子を惜しんだ。そして、彼女が出演していた「二百三高地」と「大日本帝国」を例に挙げて、その美しさや演技を褒め、彼女が過去の人になってしまったことを嘆いた。

(中略)
 はっきり言えば、これらの作品はそれぞれ、辛くも勝った戦い、負け戦の物語である。そういう作品を、戦争体験者がまだまだ健在な時代に、大掛かりな作品として製作したことは、私は意義あることだったと評価したい。これらの作品が、旧日本軍と大日本帝国を一方的に賛美するのではなく、その暗部まで隠さずに描写したことは、立派な態度だと考える。私には「大日本帝国」のラストシーンが忘れ難い。あの浜辺のシーンは長い苦しみが終わり、彼らの新しい人生が始まることを意味している。見る人によっては、あんな出来事が起こるわけないと否定的な評価をするかもしれないが、実に印象的な場面だ。誰が考えついたのか知らないが、あれで、あの悲惨な物語がうまくまとまったと思う。
(中略)

 自衛隊が将来、激しい戦闘に巻き込まれたら、日本の映画人たちは彼らを主役に映画をつくり、その功績を讃えるのだろうか。あるいは、批判、非難するのだろうか。「二百三高地」で描写されたような、@@の山を築くだけの戦争は、21世紀の自衛隊はすまい。1904年の戦いと、2020年代の戦争を比較するのも間違っているのかもしれない。だが、「二百三高地」で乃木が苦悩を見せた場面のように、将来、自衛隊の戦いを描いた日本映画が、指揮官たちの苦悩を見せるのだろうか。もし、自衛隊が「問題行動」をしたら、後年、それを批判するような映画やドラマが登場するだろうか。それとも、単に、自衛隊は苦労して戦争に勝利したと、その「偉業」を讃えるだけの作品が登場するのか。


 近未来

 敵国の人間に奪われた尖閣諸島にて。自衛隊はその島を取り返すべく、上陸作戦を敢行した。だが、政治家たちが決断出来なかったので、自衛隊は敵兵がいる場所への空爆も艦砲射撃も出来なかった。なぜなら、向こうの武器は自動小銃ぐらいで大砲を持っていない。それなのに、こちらが大砲で攻撃するのはおかしいのではないか、過剰な攻撃だ、という意見がどこからか湧いてきて、政治家たちの思考が停止したからである。だから、敵が無傷のまま、自衛隊は上陸作戦をすることになった。書くまでもないが、上陸作戦では爆撃などで敵の勢力を減らしてから、上陸部隊を前進させるのが当たり前の方法である。しかし、今回はそうならなかった。

 上陸作戦を担う陸上自衛隊の水陸機動団の隊員たちは、上陸後に身を隠す場所もなく、長距離からの狙撃にさらされて、バタバタ倒れた。敵のドローンか何かが自衛隊部隊の正確な位置情報を集め、狙撃手に伝達しているらしかった。それに気がついたのは、付近を航行していた海上保安庁の巡視船のドローン担当者だった。しかし、彼女がその情報を自衛隊の上陸部隊に伝える方法がなかった。

 彼女の上司たちがそれを自衛隊の上陸部隊司令部に伝えようとして、その情報はあちこちを駆け回り、一度は宇宙の衛星を経由して、やっと届いた。彼女が乗船していた海保の船と、上陸部隊指令部が置かれた海自の艦艇は1キロメートルも離れていなかったのに、相互の直通回線はなく、その他の連絡系統も上手く機能しなかったからだ。しかも、海保と自衛隊は異なる地図を使用していた。それに、敵の位置情報の伝え方も異なっていたので、それで混乱が起きた。

 最前線の悲惨さが、自衛隊上陸部隊の司令部に伝わり、さらに自衛隊の上部組織を経て、東京にいる政治家たちの決断を仰ぐことにつながった。重火器の使用許可が出たのは、自衛隊に大量の犠牲者が出たあとだった。結局、魚釣島奪還作戦は自衛隊が勝利したが、政治家たちと自衛隊上層部の決断が遅くて、殉職した隊員が多数出た。島の浜辺が彼らの@で赤く染まった一方で、敵の損害は少なかった。

 私はこういうことを考えることを、自衛隊関係者に対して失礼だとは思わない。なぜなら、私には彼らを馬鹿にする理由はないし、軍隊必要論者であるから。それはともかく、これは私なりの思考実験だ。「現実におこりそうなこと」を考えた、その結果に過ぎない。この話は『縦割り行政』を下敷きにしているのだが、そんなことはあり得ないと、自衛隊の関係者に馬鹿にされそうだ。でも、これが私の考える「現実」なのである。

 もし、こういう「実話」があったとして、それを映画化するとしたら、果たして、どんな作品になるだろうか。

 あるいは、集団的自衛権を行使するために、あるいは同盟国のために、自衛官たちは聞いたこともない国へ出撃し、その国で命尽き果てる。そういう話が日常のものになった21世紀の日本で、日本の映画人たちは、あるいはテレビドラマの制作者たち、文学者たちは、どのような作品を世に送り出すのだろう。


続く

これは小説です。

文章にさださんの歌の動画を添付してあるのに、五木さんの歌のそれがないのは、著作権の問題をクリアしている動画を私が見つけられなかったから。



追記
 ひまわりという言葉は、イタリア映画の傑作で、戦争映画でもある「ひまわり」を思い出させるが、夏目雅子にも関係がある。夏目が白血病で他界した後、彼女の命日は「ひまわり忌」と呼ばれるようになった。また、がん治療で頭髪を失った人々にカツラを貸し出す事業を行う、

「一般社団法人 夏目雅子ひまわり基金」が設立され、現在も活動している。立派なウェブサイトがあり、来年は設立から30年を迎えるそうだ。

ウクライナ人歌手で、日本に在住している彼女は、バンドゥーラという楽器を操る。ぜひ、聴いて欲しい。

この記事が参加している募集

私の作品紹介

大川光夫です。スキを押してくださった方々、フォロワーになってくれたみなさん、感謝します。もちろん、読んでくださる皆さんにも。