最近、ある若者が語彙(ごい)を身につけるために、読書をしていることを知った。私はその行動を批判するつもりはなく、それはそれで良いと思う。読書は言葉を身につけるだけでなく、思考力を鍛え、想像力を育む(はぐくむ)ものであるからだ。すぐに効果はでないかもしれないが、気楽に続けると長い目で見て、たくさん得るものがあるだろう。
私はそんな向学心に燃える若者に提案したいことがある。
それは辞書を引くことだ
。辞書といっても、広辞苑のような分厚い大辞典でなくてよい。私が身近に置いているのは、片手でつかめる程度の厚さの辞書である。
私が活用しているのは岩波国語辞典だ。
高校生の時、国語教師から国語辞典を買うように言われて適当に私が選んだのが、その第四版だった。私はそれを長く使い、30代半ばでロンドンに留学した時もそれを持って行った。だが、ふとしたことで失くしてしまい、帰国後に当時の最新版であった第七版を入手したのだ。今では第八版も登場しているが、私は3520円のそれに買い換えず、以前の第七版をそのまま使っている。
身近な場所に置く辞書は、分厚い物でなくて良い。
気楽に選んで、気楽に使う
。その程度の心構えでいいと思う。だから、わざわざ買わなくても、家の片隅に転がっている辞書でもいいかもしれない。私のように岩波の辞書である必要もない。もし買うなら、自分の好みの辞書を選べばいいのだ。
では、語彙を増やすために辞書をどう使うべきか。それは
手間をいとわずに何度も辞書を引くこと
、それにつきる。辞書も引かず、なにもせずに新しい言葉を覚えることは、よほど記憶力に優れた人でなければ無理だ。だが、そうでなくても、私たちは辞書のページをめくれば、新しい言葉に出会える。
それに、勉強するからと称して辞書を引き、それに書かれていることを詳しくメモする必要はないと思う。そんな面倒くさいことを続ければ、やがて辞書を見るのも嫌になるはずだ。気楽に辞書を引き、気楽に読むのだ。それだから、辞書を引くことが継続出来るはず。
継続は力なり
であろう。
辞書を引くと言えば、
パソコンやスマホに内蔵されている辞書
も便利だ。それらは分厚い辞書を何冊もまとめたようなものであり、かつ、すぐに使えるのがありがたい。このように紙の辞書でもいい、パソコン内蔵の辞書でも良い、辞書を使うことで、豊かな言葉の世界に触れることは、私たちの人生にきっと素晴らしい果実をもたらすだろう。私が冒頭の若者に辞書を使うことをすすめるのは、それが理由である。
以下は、このエッセイの続編です。
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