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 私は先日、note上で、ある若者に辞書を引いて、語彙を増やすことを勧める文章「辞書を引こう」を書いて公開した。

https://note.com/jerusalemohkawa/n/nd0b6b2e2d925

 それは自分が書いている小説より多く読まれ、多くの「いいね」を頂いたが、それを書いた私は人に偉そうなことを言えない、ただの中年男だ。そして英語の勉強を続けている人間でもある。そのせいか、自分以外の人がどんな英単語を使っているのか、とても気になるので、様々な人の英文を読んだり調べたりしている。だが、広い世の中には、私と同じように言葉の意味を間違えて使っているらしい人々もいる。


 数年前、私はある外食企業が

クリームパイ

と称する食べ物を売り出したことを知った。そして、その言葉を、あるポルノ動画サイトで見たことを思い出した。それが、動画の内容を表すタグとして使われていたのだ。そこで、ネット上で公開されている英和辞典でその意味を調べてみると、やはり、いやらしい意味があることが分かった。では、あの企業はその意味を知らずに、自社製品をクリームパイと命名したのだろうか。しばらくして、その企業はそれを売るのを止め、似たような製品に別の名前をつけて売り出した。なぜ、彼らはあの名での販売を中止したのだろう。あの単語の意外な意味に気がついたのだろうか。

 こんな例もあった。私はあるSFアニメが好きだ。その世界観や興味深いキャラクターたちのことを思うと、自分がその世界の中に入り込んでいるかのような気持ちになるからだ。2年前のある日、私はそのアニメの新作を楽しんでいた。すると、その新作にautistic modeという言葉が使われていることに気がついたのだ。アニメでは、自閉モードという言葉が使われていて、それに対応する英単語として、その英単語が画面に登場したのだが、それでは

自閉症者モード

という意味だ。私はその意味を知らなかったが、それを調べて、意味を知った。そのアニメは自閉症とは何の関係もないのに、関係者たちは、なぜそのような言葉を選んだのだろうか。

 そして、もう一つ。やはり数年前のこと。私はある企業が「

スープキッチン

」という名称の食品を売っていることを偶然知った。「スープキッチン」、良いではないか。清潔なキッチンで、皿に注がれた温かいスープが目に浮かんでくるようで、私は微笑んだ。それから、しばらくして、私はウィキペディアの英語版で欧米の食文化を調べていたら、偶然、その言葉に「貧しい人、ホームレスへの無料食堂」の意味があることを知って驚いた。それで、手元の辞書やネット上の辞書を調べると、やはり、そのような意味があることが書かれていた。私はあの食品を思い出しネットで検索したが、もうそれを見つけることは出来なかった。あの企業も、あの言葉の意味に気がついたのだろうか。

 このように、英語を学んでいると、たまに驚くような事実を知ることもある。しかし、私がもっと気にしていることもあるのだ。それは、我が母国語、日本語の間違いである。

自分が単語やことわざの意味を間違えて覚え、それを使っているのではないか?


 私はnoteで日本の保守派を批判する小説をもう6年も書き続けている。その中で、私は登場人物の中年男性2人が親しいことを表そうと思い、彼らが「

竹馬の友

」であるという書き方をした。だが、ある日、私は嫌な予感がしたのだ。もしかして、それが間違いではないか、という予感が。そこで辞書を引いてみると、やはり、私は間違えていた。それは、幼少からの親友であり、大人の親友を意味する言葉ではなかった。私の登場人物たちは大人になってから親友になったので、「竹馬の友」ではないことになる。だから、早速そのくだりを修正して、私は胸を撫で下ろしたのだった。

そんな例ならまだある。ひと昔前のこと。ある漫画を読んでいた私は、悪党が賄賂を要求する場面で、「

魚心あれば水心

と言うだろう」というセリフを吐いたので、その魚心が良くない意味であると思い込んだ。それから十数年後、私は仕事で知り合った取引先の女性社員のプロフィールを読んでいたら、彼女が好きな言葉の一つに、その魚心を選んでいたことを知って、私は、彼女が良くない言葉を選んだのではないかと思い込んで、複雑な気分になった。だが、彼女を信じる気になり、国語辞典でそのことわざの意味を正確に調べてみたのだ。その結果、魚心には悪い意味はないと知り、私がその意味を間違えたまま覚えていることに気がついたのだった。彼女は何も悪くはなかったのだ。私があの漫画であの言葉の存在を知ったとき、きちんと辞書でそれを調べるべきだった。幸い、私はその間違えた知識を口に出す前に、正解を知ることが出来たのだが。

このように、他人の例も使わせてもらったが、私は人に物の道理を説ける人間ではなく、ただのオジンだ。だから、自分の気が付かないところで、さらに間違いを繰り返しているに違いない。それゆえ、私は自分への戒めとして言おう。

「もっと辞書を。辞書を引こう」と。


終わり

読んでくださってありがとうございました。



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