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一夫多妻制はなぜダメなのか(2)

一夫多妻制は男女平等、男女同権の法則に反し、女性にとってとくにダメダメな制度です。女性が苦しむとき、ほぼもれなく同時に苦しむのは子どもたちです。
 
  
一夫多妻制のもとに生まれてくる子どもは、一夫一妻制の場合より親、とくに父親から受ける関心、愛情が少なくなることは容易に想像できます。チンギスハンには子どもが100人ほどいたそうですが、子どもたちとの関係はどんなものだったのか・・・というか、関係があったのだろうか、と疑問に思いますよね。
 
親からの関心、愛情に関して、同じ親をもつきょうだい間でさえ、ライバル意識や不公平感などが生じることはまれではありません。それなら、異母きょうだい間ではかなり強い嫉妬心、競争、不公平感が生まれるでしょう。父親本人は子ども全員を平等に扱っているつもりで、そのように努力するかもしれません。でも、子どもたちの認識は主観的です。愛情の客観的な「平等性」を測定する方法などありません。
 
夫を共有する母親たちの間には、嫉妬心、競争、不平等が存在するでしょう。子どもたちは、そんな様子を垣間見たり、母親からそのようなネガティブな感情を感じ取ったり、植え付けられたりしながら育つのです。異母きょうだいとその母親(たち)に対して同じような感情を抱くようになり、それにもとづいて人間関係を形成していく可能性が高いです。こんな環境が子供たちにとって、良いはずがありません。
 
一般的に、「部族的」な特徴の強い社会では、家族や親族の結束は固くても、それ以外の他人へは強い不信感を抱きます。他人への信用度が低い社会は、不安定で治安が悪い傾向にあります。一夫多妻制で家族の内部にさえ強い不信感があれば、世代全体、社会全体にもひろがりやすくなります。このような社会は、子どもを適切に守ることができません。(・・・というより、誰にとっても良くありません。)
 
一夫一妻制でも、母親が死去したあと、父親が比較的早くに再婚したりすると、子どもたちが亡母がないがしろにされたように感じて傷つくということがあります。そうであれば、母親はまだ健全で、離婚もしていないのに、父親には他にも女性がいるという状況は、子どもにとってはさらに耐え難いのではないでしょうか。一夫一妻制のもとでさえ辛いことなのに、一夫多妻制であれば、「別の女性」にも母親と同じ社会的な身分があります。これは、とくに女子への影響が懸念されます。自分の母親が、父親にとっては女性として唯一の存在ではない、入れ替えのきく存在であるというのは、女子が成長する過程で女性としての自尊心を育てる障害になるでしょう。
 
また、夫とその複数の妻とその子どもたちが同じ家に住むなら、物理的な近さゆえに、上記のネガティブな影響は増大するでしょう。子どもが父親の他の妻から虐待される可能性があります。子どもが血のつながりのない大人と生活をともにすることは、虐待のリスクを増大させると数々の研究が証明しています。
 
そういうわけで、一夫多妻制は女性と子どもにとってダメダメな制度なのですが、だからといって、男性が「得をする」制度でもありません。
 
男性にとってもダメな制度であることを、識者・専門家は第一に次のように説明します。「結婚市場において有利な男性が、結婚しても結婚市場に居残り、結婚したい女性を独占する。そこから、一部の勝ち組男性vs大半の負け組男性という構図が生まれ、結婚し子孫を残したい男性間の競争が激化し、男性の一部?多く?が結婚の機会を奪われる。この結果、社会は分裂し不安定化する」
 
わかりやすい説明です。一握りの男性が女性を独占するなら、結婚どころか、恋愛の相手さえ見つからない独身男性が増えます。国際的なデータは(一夫多妻制とは無関係でも)恋人・妻のいない男性は、反社会的行動、犯罪を犯す確率が高いことを示しています。
 
こう書くと、「いや~。日本は大丈夫ですよ。結婚していない日本の成人男性は、できないのではなく、したくないのであって、草食系とかオタクで生身の女性は苦手で、結婚どころか恋愛にさえ関心がないんです。一部の特権階級の男性が女性を独占しようが平気ですよ」と教えてくださる人がいそうな気がします。
 
でも本当にそう言い切れますか?
 
何かをする選択の自由と機会がある上で「自分はやめときます」と言うのと、「お前には無理」と世間から感じさせられるのには、大きな違いがありませんか?そんな世間のネガティブな空気を感じて、精神が屈折していく男性が増えないでしょうか?
 
上記は、一夫多妻制が「負け組」と形容され得る男性にとってダメな理由です。けれど、それだけでなく「勝ち組」の男性、結婚市場で有利な立場にいて、複数の女性を独占する能力のある男性にとってもダメな制度だとわたしは思います。
 
ところで、現在、世界で一夫多妻制が合法な国・社会において、実際に複数の妻をもつ男性は全体の10%前後だそうです。
 
このような国・社会で、複数の妻をもつ男性がそれほど多くないのは、いろいろと厳しい条件があるのが理由のひとつです。たとえば、複数の妻とその家庭を完全に平等に扱わなければいけないなど。一緒に過ごす時間や与えるものの金額といった数値的に証明できる平等性だけでなく、妻への愛情や肉体関係においても「平等」にするのが義務だそうです。上にも書きましたが、いったいどうやってこのような「平等性」を確保・測定・証明するのか不明ですが・・・。(そのような「平等性」の義務は、あってもないようなものではないでしょうか?)
 
でも、わたしが一夫多妻制は「勝ち組」の男性にとってもダメだと考える理由は、このような物理的、精神的な負担のためではありません。平等性の義務という負担がなくても、男性にとって良くないと思うのです。
 
第一に、一夫多妻制のもとに生きる男性は、まだ妻はひとりしかいなくて表面上は普通の「よき夫、よき父」であったとしても、複数の妻をもてる可能性を頭に入れて生きているうちに嫌なヤツになっていくと思うからです。(あるいは、もともと嫌なヤツかも?)
 
言いかえれば、複数の妻をもつことを当然の権利として自分に認めている時点で、そんな男性は女性差別主義者だと思います。言い過ぎでしょうか?
 
さらに、そんな男性は人生における貴重な宝を自分自身から奪っています。
 
それは、唯一のパートナーとの排他的で親密な関係です。一夫一妻制では、愛情を注ぐ対象がお互いにひとりだけですから、一夫多妻制の1対2や1対3…よりも配偶者間の絆、理解、信頼、精神的・情緒的なサポートなどが強くなります。
 
愛とコミットメントにもとづく安定した一対一の関係(伝統的な結婚でも同性カップルでも)がさまざまな恩恵をもたらすことも研究でわかっています。これには健康上の恩恵も含まれます。性病予防といったわかりやすいものもありますが、幸福感が高く、ストレスレベルが低いことがとくに大きいのではないでしょうか。
 
お互いが相手を自分にとっての唯一の特別な存在と認め、「相手にとっても自分は唯一の特別な存在だ」と確信できるのは、貴重なことです。そういう関係を形成できたら、維持しようと努めるうちに人間としても成長できるのではないでしょうか?

充実したパートナーシップや家庭生活を営む人たちが社会を形成しているのも、実は重要なことだと言われています。(日本における独身者の増加が、人口減少以外の意味でも、社会にとって危機であるとお聞きになったことがあると思います。)
 
・・・ということで、一夫多妻制が女性や子どもたちだけでなく、男性にとってもダメダメと思う理由を書きました。(1)で「続編で書きます」と予告したことをカバーできなかったので、(3)のまとめ(みたいなものを検討中)には必ず入れます。


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