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30歳差。2度目の胚移植、不育症検査。
音楽ライブは青空の下、和やかなムードで開催された。
長年応援しているアーティストは、夫と同年代。生きるパワーに満ち満ちている。
一方、夫は病気によって何歳か年をとってしまったように見え、少し沈鬱な気持ちになった。
採卵直後だったので、下腹部痛が襲ってくる。
鎮痛剤が効くまでにも時間がかかったが、演奏によってリラックスすることができた。
コロナが「5類感染症」に変わってから、このようにイベントが
30歳差。化学流産、大動脈解離後定期検査。
胚移植後もホルモン補充が続き、結果を待つことになった。
胚移植から4日、膣からの出血を確認した。
月経とは関係のない少量の出血だったため、すぐに着床出血だと分かった。
「ようやく妊娠できる」
心が躍る。
そこから更に数日後のホルモン検査では着床しているという数値が出たが、妊娠判定が可能な数値には至っていなかった。
2日後の検査でも、ホルモン値は横ばい。妊娠は継続できていなかった(化学流産)。
お客様がセフレを連れてきた。
セフレの彼女を連れてきたお客様とのエピソード。
“複数プレイで相手を思いやる”ことを考えさせられた。
お客様は“友達以上恋人未満の関係”と呼んでいたが、“セフレ”といって間違いないだろう。
(以下、“彼女”と称します)
この彼女、かなり変わった性格の持ち主だった。
出逢いは仕事先の先輩・後輩で、飲み会の時に「セックスをしてみよう」というムードになったようだ。
それから何度か身体の関係を重ねて
30歳差。体外受精に至るまで。夫の職場復帰。
精液の検査結果は圧倒的に悪くなっていた。
運動率、前進運動率、総運動精子数が前回の10分の1程度に減っていたのだ。
急性B型大動脈解離の発症から、身体に負担がかかる運動は控えるようにしている。
夫婦生活も激減したため、新鮮な精液を採取することができないのも当然だ。
現段階で子宮に特に異常はないが、体外受精(IVF)にステップアップすることに。
半年ほど前におこなった人工受精も選択肢の一つだった
30歳差。腰椎圧迫骨折。不妊治療リスタート。
1月。新たな年の幕開けだ。
夫の予後の体調は落ち着いてきたが、退院後の職場復帰はまだまだ先のようだ。
産業医とやり取りを重ねていくが、病院からの許可が中々出ない。
私としても、寒い冬場は休養していてほしかった。
正月を過ぎ、ある晩、夫がトイレに行く際に廊下で転倒した。
この時もまた薬による副作用があらわれたようで、ふらついて腰を打ってしまったらしい。
うめき声をききつけた私が様子を見に行くと、
30歳差。減塩生活の悩みのタネ、予後の体調。
夫のラーメン愛が止まらない。
減塩生活をスタートしてから、私は朝起きてから毎食の献立を考え、塩分を6g以内に収められるようにすべての調味料の量を計算した。
しかし、そう簡単には物事が進まないのが世の常である。
自律神経が失調気味の私は、天気の悪い日など、昼になってようやく起きることがしばしば。
朝ご飯が用意できない時に夫が持ち出すのが、ストックしてあるカップラーメンである。
カップラーメン
30歳差。『急性B型大動脈解離』退院、減塩生活スタート。
遂に夫の退院日がやってきた。
軽い足取りで病院に着く。
毎日補充される衛生品がかなり余ったようで、持ち帰り用のリュックがパンパンになった。
夫の顔色は良さそうだ。
しかし、その一歩一歩はゆっくりだ。
リハビリとして散歩を続けていたとはいえ、長距離を歩くのはまだ負担のようだった。
会計を済ませ、車に乗り込む。
病院の外観を初めて目にする夫。
「よく無事に退院できた」と、感慨深いようだった。
そ
30歳差。『急性B型大動脈解離』入院生活。
病名を知らされてから4日後のことだった。
母がいてくれることで緊張の糸が途切れたのだろう。
お昼ごろ、突然に胸が苦しくなり、呼吸ができなくなった。
このように不安障害の症状が出た時、私は瞑想ヨガをするようにしている。
母は傍でオロオロしていたが、一人の時間に没頭した。
カーテンで日光を遮断し、シルク布にくるまりリラクゼーション音楽をかける。
自分の現在の状況に身を投じることで、一気に涙が溢れて
30歳差。『急性B型大動脈解離』入院時。
夫が緊急搬送された翌朝。
入院の手続きをするために、再び病院へ向かった。
手引きの内容などは、私自身も何度か入院を経験しているため、慣れたものだ。
しかし、職場に提出する書類や高額療養費のことなど、初めてのことも多い。
コロナ禍の衛生管理のため、日用品はすべてレンタル。
毎日必要でないものも含めセットで支給されるので、金額に少々驚いてしまた。
昼間、母がマンションに到着した。
母とは女友達の
30歳差。『急性B型大動脈解離』初期対応。
ベッドに仰向けに寝かされ、沢山の管に繋がれている夫。
顔色は優れないが、声は出るようだった。
緊急搬送されたときの様子を説明してくれた。
搬送時の様子は、こうだった。
『デスクワークをしている最中、前触れなく急に腰が痛み、その痛みが胸の方まで一気に駆け上がっていった。
動けないどころか声も出せないほどの強烈な痛みで、今までの人生で経験した痛みの中では一番のものだった。
机に顔をうずめ、5分ほどは
30歳差。人工授精、夫の緊急搬送。
3月に水子供養をおこなった後、傷を治癒させるために妊活をひと月休んだ。
その後すぐに不妊治療を再開することも考えたが、夫の体調不良などもあり、更に数か月はクリニックに通うことはなかった。
丁度コロナの第6波が落ち着いてきたので、実家に帰省したり、デートやライブイベントに足を運ぶなど、好きなことをして身体と心に癒しを与えた。
夏に入り、ようやく治療をリスタート。人工授精から始めようということにな
30歳差。水子供養。
稽留流産の摘出手術が終わったその夜。
(以下、人によって気分を害される内容もあるので留意ください)
私は水子が入ったケースから内容物を取り出し、どのような状態なのかを確認してみた。
レバーのような塊の胎盤に、人肌の色をした物体。
その物体の細かい凹凸を確認してみたら、目鼻口、腕のライン。
全体で小指ほどの大きさだったが、そこには確かに生命が宿っていたことを感じた。
愛おしくなり、手のひらに乗せて
30歳差。流産摘出手術。
稽留流産との診断を受けた後、どのようにして家まで帰れたのか覚えていない。
夫も両親も哀しんでくれたが、不思議とすぐには涙が出てこなかった。
流産をした場合、亡くなった子が自然排出されるのを待つか、摘出手術をおこなうかの2択がある。
自然排出は、出血があってから遅くても1週間ほどで排出される。
手術は、いつ起こるか分からない排出を待たずに摘出できるので、私は悩まず手術を選択した。
どちらにせよ
30歳差。不妊治療スタート、妊娠、流産。
ひとまず検査と、異常がなければホルモン補充によるタイミング療法をと考えていた。
自宅マンションの近くに 名医のいる専門クリニックを見つけた。
しかし、ここでもコロナの荒波が。
人数制限があり、新規でのタイミング療法は受け付けていないとのこと。
少し離れてはいたが、口コミ評価が高い別のクリニックに通い始めた。
丁寧な対応で「しばらくは安心して身を委ねることができる」そう思っていた。
しかし、ホ
30歳差。再婚、引っ越し、妊活。
2020年に入り、世界がコロナ禍に突入。
しばらくしてから風俗業にも暗い影が覆い、店側としても経営していくことが困難に。
SM嬢は好きで始め、プライドを持って続けてきた職業。すぐに「引退」する決意ができたわけではないが、ひとまず休業することにした。
丁度この頃、同棲中のマンション(アパートの後に住んでいた)が契約更新のタイミングに。
加えて、「夫との年齢差を考えるとすぐに子供が欲しい」という思い
30歳差。突然降ってきた恋、同棲。
20代半ば、私は夜な夜なアダルトライブチャットに精を出していた。
サイト内ではランキングに入る日が多かったが、派遣やパートの仕事は辞めずにいた。
ある段階でチャットレディに区切りをつけ、かつて身を置いていたSM業界に転身するが、それでも昼の仕事は続けていた。
私は、昼と夜、明と暗、美と醜という人間の持つ二面性が好きだ。
自分の中にもそれを求め、昼間就く仕事はいわゆる“お堅い”職種が多い。
彼と