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30歳差。化学流産、大動脈解離後定期検査。

胚移植後もホルモン補充が続き、結果を待つことになった。
胚移植から4日、膣からの出血を確認した。
月経とは関係のない少量の出血だったため、すぐに着床出血だと分かった。

「ようやく妊娠できる」
心が躍る。

そこから更に数日後のホルモン検査では着床しているという数値が出たが、妊娠判定が可能な数値には至っていなかった。

2日後の検査でも、ホルモン値は横ばい。妊娠は継続できていなかった(化学流産)。

残念な結果となったが、受け入れるしかない。

体外受精の成功率は約3割だ。
一回で妊娠できるものとは考えていなかったので、精神的なダメージは案外少なかった。


5月に入り、夫のCT検査があった。

大動脈解離は治らない病気である。
一度裂けた大動脈が自然に元に戻ることはなく、血流によって日に日に血管が太くなっていく。
それが何かのタイミングで再び解離したり、大動脈瘤に繋がる原因にも。
人工血管にして保護しない限りは、降圧剤での保存治療や、定期的な検査を怠らないようにするしか方法はない。

今回の検査ではミリ単位の変化はあったものの、手術をする必要がある太さにはなっていなかった。

一瞬胸を撫でおろすことができたが、またいつ再発するかは医師にもわからない。
気持ちは日々綱渡り状態である。

この頃、カップラーメンを食べることを辞めない夫への注意や毎日の塩分計算に少々辟易していた。
ただ、大きな変化がなかったということは、このように減塩に気を配っているお陰もあるかもしれない。
続けていく意志を固くすることができた。


1回目の化学流産から日を置かずに、2回目に挑戦することになった。

度重なるホルモン治療で、体重はどんどん増えていく。
普段は安定している体重が、未知の数値まで及んでいった。
便秘も深刻で、一週間音沙汰がないことも。
酸化マグネシウム(消化菅機能の改善薬)が手放せなくなっていった。

便秘と共に肌が荒れ気味になり、眠気やだるさなどによって気分は落ち込んでいく。
夫のちょっとした行動にもイライラするようになってきた。

こうしたストレスもあってか、今回は卵子の育ちが悪い。
組み立てていたスケジュール外で院内注射をすることになった。
看護師長の勧めもあり、担当医師もクリニックの院長に替わった。

注射を追加したことにより採卵の日程も決まった。
その日はライブイベントもある。
処置後に長時間で歩くことに少し抵抗があったが、気分転換にはなるかもしれない。

クリニックの朝一に処置を終え、その足でライブ会場へと足を運んだ。


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