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30歳差。『急性B型大動脈解離』入院生活。

病名を知らされてから4日後のことだった。
母がいてくれることで緊張の糸が途切れたのだろう。
お昼ごろ、突然に胸が苦しくなり、呼吸ができなくなった。

このように不安障害の症状が出た時、私は瞑想ヨガをするようにしている。

母は傍でオロオロしていたが、一人の時間に没頭した。
カーテンで日光を遮断し、シルク布にくるまりリラクゼーション音楽をかける。
自分の現在の状況に身を投じることで、一気に涙が溢れてきた。

このような私の状況を心配し、母はおよそ一週間滞在してくれた。
どれだけ心強かったことだろう。

夜間に過呼吸になることが多かったが、母が常に寄り添ってくれたおかげで乗り越えることができた。

病院へは何度も足を運んだ。
コロナ禍ということもあって面会は許可されなかった。
日用品やメッセージカードを届け、窓越しに手を振ったり、その場で電話をすることで様子が確認できた。

時に家で作ってきたハート型のバルーンを揚げたり、母とダンスのステップを踊るなどして夫を勇気づけた。
窓から見下ろす他の患者の視線がいくばくか気になったが、まるでロマンス映画のヒロインのような心持ちになった。

最初はかすれ気味だった夫の声が、日に日に明るくなってくる。
体調に合わない薬を変更したのが良かったのだと言う。
食欲はあり、ケアプランも順調に進んでいる。
日中はスマホで動画を観たり、私が差し入れをした漫画を読むなどして時間をつぶしていたようだ。
プランに添って増えていく散歩の歩数も、毎日のように報告してくれた。

ただ、自分の心の内を話してくれることは一切なかった。
普段から気軽に悩みを話す性格ではなかったが、「実は無理をしているのではないか」「こちらが心配し過ぎなのか」と、少し気がかりだった。


入院から2週間後、3度目のCT検査がおこなわれた。
降圧剤の効きがよく、当初予定していた日よりは早く退院できそうだった。

CT検査の翌日、退院日が確定し電話で告げられた。
「夫がやっと帰ってくる」
気持ちが舞い上がった私は、外出する際、マンションの■■階から非常階段を駆け下りた。
「タタタタ・・グキッ」
ついでに捨てようと持っていたゴミ袋の重さもあり、膝から転げ落ちてしまった。

流血と痣があまりにも酷かったため、その足で近くの整形外科へ行った。
検査の結果、通常の打撲で済んでいた。
幼少期から転ぶことが多かったが、また一つ、傷跡を残すことになってしまった。

しかし、気分は明るい。
予後やその後の人生のことを考えると感情が後戻りしてしまうが、退院時は笑顔で夫を迎えたい。
あちらこちらに散乱していたものを片付け、リビングを飾り付けた。

夫は喜んでくれるだろうか。いっときでも、癒されてほしい。
そう心から願うばかりの夜だった。


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