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かっこつけるために、クリエイティブ・ディレクターをやめることにしました。

ぼくが“CD”になったわけ。

ある予告編を、もう何度も再生している。

ビートたけしとその師匠の話。予告編は、師匠こと深見 千三郎が絡んできた客に啖呵を切るところから始まり、成長してツービートとなったビートたけしが、同じセリフで啖呵を切るところで終わる。

「芸人だよ、馬鹿野郎。」

「なんなんだよ、てめーはよ!」と絡んできた客に、時は違えど同じセリフで二人が返す。

そこで、考えた。

「なんなんだよ、てめーはよ!」と言われて、ぼくはなんて返すだろう…その答えを見つけるために、何度も何度も予告編を再生している気がする。(もちろん、本編も何度も視聴した。)

CD不在感がありますね、と言われてから。

東京タワーが見える「Jardin」っていうマンションで生まれました。

答えは思いつかないが、思い出した経験があった。信じられないと思うが、同じような経験をしたことがあったのだ。

当時ぼくは、スパイスボックス(今の会社)に入って、1年くらいの時だったと思う。会社は広告代理店と名乗るのをやめ、コミュニケーションカンパニーという存在に変わろうと必死だった。

簡単にいうと、クライアントの御用聞きみたいな仕事をやめて、自分たちが開発したソリューションで安定した収益を獲得し、世の中にコミュニケーションで示唆を与えるような、働きやすく強い会社になろうとしていた。

その中で、ぼくはクリエイティブとして雇われ、働いていた。SNSでバズる!みたいなものが注目される中で、SNSのクリエイティブとしては有利とされる、映像制作ができるというスキルが買われて採用されたのだ。

自分の意識としては、広告代理店っぽい役職や習わしみたいなものは全部【悪】で、元々映画や脚本を書いていたぼく的には、広告業界とは別の人間であると思って生きていた。当時の名刺の肩書は、「クリエイティブ」や「プランナー」だったと思う。

映像やコピーが好きで企画が得意なやつ。そんな風に思われたいし、それでいいと思っていた。

ある時、大手クライアントのアポイントで。
今や日本を代表する、と言えるクリエイティブ集団のプロデューサーと仕事をした。

事務所に案内されたが、いかにも才能が集まっています!って感じの事務所で、どこにでもありそうな一軒家をテキトーにリノベーションしている感じが、むしろ洒落て見えた。率直にかっこいいな、と思ったし、その会社の作ったものは調べずとも自分のタイムラインに現れて来ていた。

すごい人たちだという先入観で家に入ったが、3階に上がるまでにすれ違う人たちに、その先入観と全く違和感のない、オーラみたいなものを感じていた。それこそ先入観かもしれないが、この人たちと仕事をするんだ〜!と息巻いていたと思う。

大手クライアントも同席してのミーティング。うちの会社からは10歳上の営業とわたしの二人だった。1時間ほどの会議の中で、その制作のプロデューサーから何度か出た言葉が印象に残っていた。

「CD不在感がありますね。」

広告業界に於いて、このCDというのは、クリエイティブ・ディレクターのこと。広告代理店がアウトプットするものをつくるときに、クリエイティブの責任を取るひとだ。方針を決め、各セクションのスタッフに指示を出す人とも言える。(当時は、ぼくがこんなに感覚的に理解していたか怪しいが…)とにかく、その「CD不在感」をその人は何度も指摘していた。

ぼくは心の中で思っていた。「そうだよ、うちにはCDなんていないよ。だって、広告代理店じゃないもん。コミュニケーションカンパニーだもん。ってか、おれは監督もやるプランナーで、脚本も書くし、動画編集も自分でする。そういう代理店的な人はうちの会社にはいないんだよね〜。」

話はまとまらず。とりあえず決めるべきところだけ決まったから〜といった感じで、その会議は終わった。

そのあと、一人での帰り道。駒沢通りを歩きながら、横断歩道を2つ超えて、信号待ちをしているときに気がついた。

「あっ、俺に言っているんだ。」

会議では聞こえなかった声が聞こえてきた。「お前がちゃんとディレクションしろよ。CDやれよ。ちゃんとディレクションしないと、制作が迷惑するんだよ。ってか、クライアントとか制作からしたら、お前らが代理店だろうが、コミュニケーションなんちゃらだろうが、どうでもいいわ。カッコつけてないで、金もらっているんだったら、仕事をしてくれ。」

やっと兵士になれた。そんな気分だった。

当たらなかった舟券にも、勝船投票券って…負けに塗れたあの日の気分に似ている。

こうしてぼくは、その仕事からクリエイティブ・ディレクターを名乗ることにした。もちろん、わたしの心は全く晴れやかではない。でも、仕方なくCDになったわけでもない。戦地でヘナヘナしていたら、何度も戦争を経験している憧れの部隊の人からぶん殴られて、やっと兵士になれた。足に力が入り、自分の足で歩けるようになった。そんな気分だった。

会社の先輩たちは喜んでくれた。会社から出す、初めてのちゃんとしたクリエイティブ・ディレクターだよ、なんて言ってくれる人もいた。よく言われる話だ。

「ゾウを想像するな、と言われたら何を想像する?」

広告代理店をやめてコミュニケーションカンパニーになります、と言い始めた会社が一番意識していたのは、広告代理店だったのだ。広告代理店には当たり前にいる優秀なCD。それになれる可能性がある人が現れた、と喜んでくれていたんだろうと思う。喜ばれていることは、素直に嬉しかった。

結果的に会社や、その先輩兵士こと制作のプロデューサーにも感謝している。今、一応クリエイティブ・ディレクターとして仕事をさせてもらっているのは、彼らのおかげだ。むしろ、あのまま自分の名乗りたい肩書きで働いていたら、と思うとゾッとするくらいだ。中途半端で生活者やクライアントを無視した仕事を、何度も繰り返していたのではないかな、と思う。

わたしが“CD”をやめるわけ。

最後のCD名刺。何になりたいを捨てて、どんな人間になるかを決める。

今スパイスボックスに入って6年目。Jardinという自分のクリエイティブ事業部を立ち上げて3年目。深見 千三郎やビートたけしの自分の肩書で啖呵を切る姿に、心が動いているのは何故だろうか、と考える。答えは簡単だ。

「なんなんだよ、てめーはよ!」と絡まれて、「CDだ、馬鹿野郎!」と、わたしは絶対に言わないからだ。

じゃあ、どうするんだよ…青臭く悩むほど、若くもないし。

まず、どんな人間になりたいか。

もう一個のポートレート候補。人で好かれるか、ネタで好かれるか。

深見 千三郎やビートたけしにおける『芸事』や『芸人』のようなものを持っている人は、この世界に一定数だけ存在する。

そして、自分はそういうものを持っている人のことが、好きということに気がついた。

しかもそれは、というバクッとしたものではなくて、(基本的にはそう語られるんだけど)浅草の劇場で学んだものを、漫才というものに昇華した、ビートたけしだけの『芸』という、繊細なものなのだと思った。

じゃあ、わたしの『   』はなんだろうか。そればかりが気になっていた。わたしは何になるべきなんだろう。何になればもっと評価されるんだろう。何になれば満たされるんだろう。…『   』をつけたいだけである。

ちなみにここから少し浅草キッドのネタバレになるが、浅草キッドでは芸人ではなくなった深見 千三郎の話も少し描かれている。『   』を失った深見 千三郎はなんとも言えない、かなしみに溢れているが、変わらずビートたけしの師匠であり続ける。ここに大きなヒントがあるように感じた。

そんな時、ある人からアドバイスをされた。何になりたいかより、まずどんなどんな人間になりたいか、考えたらどうですか、と言われたのである。このアドバイスは、とても理にかなっているように感じた。

目的もなく、手段を選べない。

僕のチーム「Jardin」は、東京から上士幌へ。なりたい人間になるために。

仕事柄、様々な会社のパーパスやヴィジョンを作ることもある。わかりやすくこんな風に説明することがある。その組織が存在している目的(パーパス)と、その目的と達成するための作戦(ヴィジョン)。

ブランディングにおいて、様々な解釈や説明があると思うが、ぼくの定義にぼくを当てはめると、これは非常に矛盾していたことに気づく。どんな人間になりたいか、という目的もなく、何をするか、何になるか、ヴィジョンは生まれにくい。

だからまず、今一度自分がどんな人間になりたいか、存在する意味、生きる理由から考えることにした。そして、その思考や実験的な行動を記録していくことにする。様々な出会いや時には具体的なアウトプットの中で、自分がどんな人間になりたいか、から再定義してみることにする。

きっとそれが、上士幌町のこの施設に来てくださる方々へのヒントになるだろうし、説得力になると思うから。

上士幌の施設のことについては、過去のnoteをご参照ください。

丁寧な暮らしを、つくる暮らし。

働くを考える場所として、生きる、暮らすを考える場所として、素敵な家になるために。またお会いしたいと思います。

それでは。

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