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NaoKobMel_Kit
2020年8月22日 16:09
時は中南米、エルサルバドルの首都 サンサルバドル。青年海外協力隊員だった父はその延長なのか、何故かサンサルで仕事をしていた。(何をしていたのかは不明。。)そして現地の飛行場建設を手掛けていた兄を訊ねた母。そこで二人は出会い私が産まれた、というわけです。 そんな下を噛みそうな名前の国で私は産声を上げたわけですが、当時内戦に突入寸前だった中南米の小さな国。父は現地に残り母は私も抱えて帰国し
2020年9月3日 12:41
ラテン国を行ったり来たりだった父。その期間、母は日本で生まれた妹と共にここ鹿児島県薩摩郡の父の実家で何年か過ごしたそうです。現在70歳過ぎの母。京都市左京区が実家の彼女。今でも「わたしはシティガールだから」と呟いている。・母の実家近くにある北野天満宮そんな母と父はエルサルでお互い一目惚れだったそうですが、初めて父の実家に(結婚後)行った時の様子は今でも鮮明に覚えているとの事。
2021年9月22日 23:10
ホンジュラスの首都、テグシガルパでの学校生活。授業の内容もよくわからないまま毎日が過ぎていったような気がします。。子供はつくづく不思議です。当時近所の同年代の子たちが妹と私を遊びに誘ってくれました。うちの左向かいの奥の家に住んでいたお兄さんのジャフェと妹のシェイラ、そして右向かいに住んでいたリサ。言葉もろくに通じないのに、道でボールを使った日本の缶蹴りのような遊びをしていたのを