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7月 朝活はじめました。烏龍茶男、川エッセイ。

先日誕生日を迎えました。26歳、今後も邁進。

◾️迷子くんの朝活

人生の目標を一通り見失ったので、せめてもの抗いとして朝活を始めました。勤務先付近のスタバで本を読んだり、日記を書いたり。習慣化するにはどの程度の継続が必要なんだっけ?

外は毎日蒸し暑いけれど、6時半ごろに家を出発すれば汗がギリギリ滲まない状態で移動できる。電車がそこまで混んでいないのも良い。

特別な何かがあったわけではないが、「このまま朽ちていくのか…」という予感と並走している感覚で居る。仕事、出世、上司との関係性に対して関心もないし、目指すべき姿もない。結婚、子育て、今のところ興味なし。

ないない尽くし、「ない」がある。

漠然と「まともな大人になりたい」と思うが、ガワの部分は十分に大人なのだろう。肝心な中身だが、「大人になりたい」と思っている時点で怪しいもんで、なんだか八方塞がり。

当時の自分が聞くと文句の嵐だろうが、中高大・就職と、強制的にでも進むべき方向が決められているということで救われていた部分はある気がする。

現在から過去に対してレッテル貼りする行為はダサいし、フラットに見なければならないが、それでも色々考えてしまう。強制力が働き、対象を限定された方が選択が容易であるという人の特性をここにきて実感している。

なるようになると言い切る自信はまだなく、「なるようにすべき」のモードのまま、行き先を見失っている。迷子人生。いつか何かに出会うまで、まだまだ迷い続けるのかなあ。

今日も feelingに手を取られ 引っ張られ 出会うべく学ぶべくと 私に寄り添ってる

Feeling / Mrs.GREEN APPLE

◾️ジッド『地の糧』

アンドレ・ジッド『地の糧』を読んだ。言葉の一つ一つが心地良い本。気合い入れずに目で追うだけでもすこやかな読書体験が得られること請け合い。

「読み終わったら本は捨ててくれ」「本ばっかり読んでないで、さっさと世界と触れ合ってこい」という感じで、自由を楽しんでほしいという身勝手なまでのスタイルも潔い。

「君はすっかり読んでしまったら、この本を捨ててくれ給え- そして外へ出給え。君の街から、君の家庭から、君の書斎から、君の思想から」

地の糧 / ジッド

「日常を切り取る」という言葉がある。写真界隈でひときわ用いられるこの言葉は、ある意味で的を得ているように思う。

写真も、それを編集するソフトもあくまで道具であって、人間はそれを使っているに過ぎないけれど、「在りたい像」、脳裏に浮かぶイメージを顕現させるべく道具を使う。真っ当だ。

同じことは言葉にも言える。言葉は所詮ツールで、道具であって、それ以上でもそれ以下でもない。そんな道具を使い、ジッドはこれでもかと言うほど地球の神秘を、生命に対する讃歌を表現している。

情景が浮かぶ。匂いがする。音が聞こえる。温度を感じる。読書はほどほどに。自分に囚われるのもほどほどに。世界は思った以上に広い。

《私の書物が書物自体よりもいっそう君自身に、君以外の一切のものに興味を持つようにと君に教えてくれればよいが》

地の糧 / ジッド

◾️続・烏龍茶の友人

1年ほど前のnoteに書いた、烏龍茶好きの友人宅に泊まらせてもらった。

相変わらず、彼はお茶と共に生きている。椅子や器にも造詣が深く、丁寧代表のような人柄から期待はしていたのだけど、それを軽く上回るこだわりの詰まった部屋を作り上げていて非常に参考になった。広い部屋、大きな机は心の余裕をもたらす。

写真提供:本人

置いてある家具、コップ、起き抜けの珈琲、味噌汁に使う出汁など、日常に登場するものに対して「なぜそれなのか」を答える用意がある。これ、相当素敵なのでは。

生き方に答えなどないけれど、日々を愛おしむヒントを貰えた気がした。

写真提供:本人

◾️川エッセイ?

『同じ川に2度入ることは出来ない』とは、ギリシャ哲学者ヘラクレイトスの言葉だ。

万物は流転する。どのようなものであれ、ひと時たりとも同じ姿のまま存在することはなく、刻々と移り変わって往く。流れも変われば、水温も変わる。同じ状態の川などあり得ない。

何の因果か、諸行無常を説いた仏教の開祖 釈迦はヘラクレイトスとほぼ同時期の人である。異国間交流など想像も出来ないような時代に同時発生的に生まれた、偶然と呼ぶには余りにも似た思想。

ひょっとしたら人類は、地下水脈的に同じ何かを共有しているのではないか。そう楽観的に捉えるには、社会はあまりにもよそよそしく、他者はあまりにも他者となってしまったけれど。

たまにはそんな馬鹿げた夢想に耽る夜が在っていい。

何食わぬ顔で京都市を流れる鴨川。数え切れぬほどの若者を迎え入れ、数限りない若者を送り出してきたその川も、平安から令和の現在に至るまで、姿形を変えながら在り続けた。

同じ川に2度入ることは出来ない。けれども川はずっと変わらずそこにある。

今日を今日とて過ごす僕らも、決して例外などではない。見た目も住む場所も年収も、物事に対する考え方、他者に対する期待値だって、とにかく移り変わって往く。

捨てたくなかったもの、変えたくなかったもの、じぶんを規定していたものが、記憶と匂いだけ置いて失われていく。とても埋め合わせられなどしない。

けれどぽかっと空いたその隙間を待っている何かはきっとあって、それが新しい僕らを、僕らのままで作っていく。

大人になったね、変わらないねと、思い出の場所で語り合おう。その日をうんと楽しみにして、変わらぬ明日をまた過ごすのだ。

いつの日か俺らは大人になれる
いつだって僕らはあの日のままだ

橙 / Mrs.GREEN APPLE

川は変わり、人も変わる。川はあの頃のまま。
そして人も、きっとあの頃のままである。

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また更新します。

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