近所で桜が咲き始めたこの日、同じ場所でコサギの顔も桜色に染まっていました。 サギたちも、そろそろ繁殖の季節ですねえ。 ●撮影ノート 「Ai Micro Nikkor 200mm F4S(IF)」+「FtZ」+「Nikon Z6」 FNo:5.6 シャッター速度:1/320 合成ISO:125 合成露出補正:-0.5EV 測光モード:なんとビックリ評価測光(妻と喋りながら撮っていたら、被写体と背景の輝度差が大きいのにピンポイント測光にするのを忘れてました) この時期の
毎朝当然のように供され、小さな嬉しさは日々あるにせよ、特別大きな感動を覚えることもなくなった朝の食卓。 当たり前の風景。 でもそれは、独身の頃には考えもしなかったある種奇跡のような風景でもあり、だからこそ私は、毎朝シャッターを切るのだなあと思う。 作ってくれている妻は、早く食べたらいいのにと思っているに違いないのですけどね。 @自宅 ●撮影ノート 「AI Micro-Nikkor 55mm f/2.8S」+「Nikon D810」 FNo:4.0 シャッター速度:1
いつもの公園のいつもの場所にいる、カワウたち。 数年前から増え始めたここのカワウたちは、今年の夏は公園内で営巣をして繁殖していたようです。 よく見ると木の手前側が白く汚れていますが、これはカワウたちの糞の跡で、彼らがここで延々垂れ流しているのが見てとれます。 このカワウの糞、私も触ってみたことがあるのでよく知っているんですが、脂っぽくひどく粘つき、量も一回で数百ミリリットルくらいはありそう。かつ猛烈に魚の腐敗臭もして、かなり嫌なものです。 その量たるや、カワウが何年
金沢市内にある兼六園にて、往来する観光の人々を尻目に黙々と苔の手入れをする管理の方たち。 庭園の景色に合わせてか、はたまた「雨風の中でも手入れの手は緩めるべからず」ということなのか、ともに菅笠姿なのがまず目に付いた。 そして手にしている器具を見て、苔の手入れ専用の器具があるのかと興味津々。 その手練のほどをしばし眺むるの図です。 ●撮影ノート 石川県は都道府県中最も降雨時間が長い県らしいです。 そのせいか、日本庭園には欠かせない苔の存在が都内なんかと比べるととて
私は岩石マニアでもあるので、お城ともなれば城壁の検分は欠かせない。 いや「検分」なんてエラそうに言ってますけど、実態はデカい石の壁を見てすり寄っていき、ペタペタ触ったりした後にうむうむと頷くだけではあるんですけど。 その立ち位置からいうと、金沢城公園の城壁は誠に満足なもので、様々な種類の石垣が恐らく統一された意思と成り行きの結果複雑に組み合わされ時に壊されていて、そしてその流れが垣間見えるのが素晴らしいなと思わされました。 規模自体ももの凄いですしね。 さすが加賀
真面目に歩き回れば一日でも足りなさそうな広い公園内を、作り込まれた庭園様の部分と、旧日本帝国軍の跡地が占める。 敷地が広大なせいか、観光地なのに人の入りはほどほどで、雰囲気的にのんびりかつ空気感が良いのがとても良かった。 それもあってか、都内では味わえない空の本当の広さに、石川啄木の大好きな詩を思い出す。 「不来方の お城の草に寝転びて 空に吸はれし十五の心」 私の郷里のお隣の県の詩だ。 私は15歳じゃないし、もちろんここも不来方城からは数百キロも離れた場所で
一口に新幹線と言っても色々あるもんだなあと。 カラーリングだけじゃなく形自体様々で、眺めていてもとても興味深かった光景です。 ちなみにこの写真を撮っていた前後、いろんな方が様々な位置からスマホでの写真を撮られていました。 そりゃあこんな面白い光景を見たら撮るよなあとうんうん頷きつつ、同時に皆さんの位置や撮り方なんかもとても興味深く、なんだか写真てものの生活の中での有り様なんかまで考えてしまったおバカさんなのでした。 ●撮影ノート 「NIKKOR Z 24-70mm
今日は以前やった仕事のほうで色々と不測の事態が起き、その確認作業(正確には許可を与えるという仕事)とそのための会議に大わらわ。 昼食もそれに引きずられて遅くなり、写真は苦手なミックス光源に。 そこまで遅い時間でもないんですけど、いつの間にか日差しも、夏時間から冬時間に変わりつつあるんですね。 まあミックス光源は嫌ですけど、そういう部分がちゃんと写っていて、あとで見返したときに「あれ、いつもの昼食となんか違ってるな」と気付ける平常性が写真にあることも、私の写真には大事
ゼリー的な物がトッピングされたケーキを眺めていたら、私の非常にあてにならないゴーストがまたぞろ囁いたんです。 「これ、後ろから過剰に光を充てて透過光にしたら、きっと面白いぞ」と。 でまあ、ちょっと大袈裟な感じでやってみたらこんなことになってしまいました。 ところで私は、食べ物を撮るという行為は人を撮ることに似ているなと昔から思ってるんですよ。 日常の食べ物を撮るならスナップ的な感じだし、個性を撮ったり、或いはことさら美味しさなんかを強調して撮ろうと思うなら各種ポート
いつものお蕎麦を、近所で買ってきた天ぷらでアップグレード。 私の好みで、天ぷらは少し囓ったあとで汁に浸し、一部は汁に溶かして食べる。 蕎麦を食べ尽くしたあと、天ぷらの旨味と油が溶けた汁をすする瞬間の至福は、思い出すだけでも生唾が滲み出てくる。 これぞまさに、日常のフードポルノ。 撮影5秒(麺もの丼物の場合は3秒)な日常の食べ物スナップからの一枚です。 こういう色気のある食べ物の場合、撮影は人撮りと似ていると思うんですよ。 ポートレートがその人の人となりや魅力を
この日見たツツジは、雨に濡れそぼっていてさえ輝かしい美しさを放っていたのです。 ただただ、それを写したかった。 ●撮影ノート 「NIKKOR Z 24-70mm f/4 S」+「Nikon Z6」 焦点距離:45mm FNo:5.6 シャッター速度:1/100 合成ISO:2800 合成露出補正:+0.3EV この時期のツツジとか、或いは夏場のハスの花とか、この世界には(ちょっと大袈裟な表現ですけど)浮世離れしたような色彩を放つ植物といいますか花があるわけです。 こ
暮れ時近く、斜光に映える花壇の花々。 百花繚乱の季節とはよく言ったものだなあと、しばし妻とともに眺める。 ●撮影ノート 「NIKKOR Z 24-70mm f/4 S」+「Nikon Z6」 焦点距離:55mm FNo:5.6 シャッター速度:1/350 合成ISO:100 合成露出補正:±0EV この写真のキモは、逆光の花壇にかかるフレアと、透け輝いている花たちの様子だったと思います。 で、普段の私は、肉眼では見えないレンズフレアみたいなものが好きではないので、フ
日の加減か花の向きのせいか。 散歩の途中ふと花に目をとめたとき、数多(あまた)ある花の中で一輪だけがやけに強い存在感を示し目に入ってくるときがある。 そんな花を見ると、趣味の写真家としてはやっぱり一枚撮っておきたくなる。 そしてそういうときは、できるだけ飾らず、花が目にとまった位置で、真っ直ぐ正直に撮るのが良いと私は過去の経験から学んだ。 もちろん、それでいつも花から感じた感情が写るというわけでもないけれど、花はもともと美しいものなのだ。 だから、ことさら脚色した
まだ残っていた疾病の痛みに朦朧としながらも、冬の院内が綺麗で思わず撮った一枚。 なんてことはない景色ではあったけど、一生忘れない風景になりそうだなあとそのとき感じた。 それにしても、疾病と仕事とで肉体的にも精神的にもギリギリだったあんな状況で、よく写真機を持ちだしていたなと。 10年も経ったら、それ自体も写真を彩るエピソードになっていそうな気がします。 横で付き添ってくれていた妻の温もりとともに。
以前やっていたGoogle+というSNSで初めて耳にした言葉が、この「Photo Walk」。 SNSで知り合った同志が集まり、歩きながら写真を撮り歩くというものだ。 写真を公開する場所はネット上でも、写真は現実世界でしか撮れない。 ――という今の「写真」というものの特性をよく表した行為/催しだなあと、当時よく思ったものです。 ただ一口にPhoto Walkと言っても、参加する人たちによってその趣は様々で、特にPhoto Walk中における写真・会話・その他の比重
疲れ切って公園のベンチでボーッとしていたら、餌取りしながら目の前までやってきて私に気付いて、でも逃げるでもなく10秒ほど見つめ合って互いに困惑したの図です。 ところで世間的には認識系のオートフォーカスが大流行で、「人物」に始まって「鳥モード」だの「飛行機」モードだの、被写体を多岐に渡って指定して認識&フォーカスするようになってますよね。 で、ふと思ったんですが、このカルガモの君の場合、このアングルだとクチバシのお狐様(または龍)が滅茶苦茶はっきり出ているわけです。