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カワウと紅葉するメタセコイヤ

 いつもの公園のいつもの場所にいる、カワウたち。
 数年前から増え始めたここのカワウたちは、今年の夏は公園内で営巣をして繁殖していたようです。
 よく見ると木の手前側が白く汚れていますが、これはカワウたちの糞の跡で、彼らがここで延々垂れ流しているのが見てとれます。
 このカワウの糞、私も触ってみたことがあるのでよく知っているんですが、脂っぽくひどく粘つき、量も一回で数百ミリリットルくらいはありそう。かつ猛烈に魚の腐敗臭もして、かなり嫌なものです。
 その量たるや、カワウが何年も集まるととまっている木自体を富栄養化等で腐らせたり根腐れさせたりするほどで、カワウたち自身、木を腐らせないように数年周期で大きく場所を移動する習性を身につけているそうです。

 でまあ当然都市公園ともなれば、カワウたちのいる木の下には糞が溜まり、下手すると通行人に直撃しかけない危険を伴います。
 小さいバケツ一杯くらいの猛烈に臭く粘ついた糞ですから、もしちょっとでも当たったりしたら、その被害たるやハトの糞どころの騒ぎではありません。
 ですけどこの公園では、今まで一度も公園の管理の人がカワウたちを追い立てているのを見たことはないんですよねえ。
 それどころか、人の通り道がカワウたちの下を通っているところには即席の天蓋を張って保護していたりして、なんとも優しさが垣間見えるなあと感じます。
 このへんも、私がこの公園が好きな理由の一つなのかもしれません。

 ちなみにカワウというと、営巣するときや木にとまるときは比較的低い木を選んでいることが多いように思います。
 なにしろ水鳥のなかでも大きくて重たい部類に入る鳥ですから。
 ですけどこの公園では、カワウたちは高い木の上で休んでいることが多く、それを見るたびに、ああ彼らも人に対して適応しようとしているんだなあと感じます。
 これも異生物間の歩み寄りの一種だと主張するのは、いささか突拍子もないかもしれませんが。
 とはいえ、そうあって欲しいなあとはヒトも他の生き物も大好きな自分としては思うわけなんですよねえ。

 とまあこれは、そんなカワウと人との関係を少しだけ感じた風景のなかの、夕暮れ時の一枚ではありました。

@三鷹市

●撮影ノート
「NIKKOR Z 24-70mm f/4 S」+「Nikon Z6」
焦点距離:28mm
FNo:8.0
シャッター速度:1/90
合成ISO:100
合成露出補正:-0.3EV
 数年前から挑戦し続けている、鳥を望遠レンズ以外で生き生きと表現したい系写真からの一枚です。
 内容的には本文にある通りですけど、こういう写真って生き物に敏感な人とそうでない人とで感じ方に差があると思うんです。
 私の場合は、この風景を見た瞬間にカワウの姿が遠景でもビビっと拡大表示(主に脳の作用によって)されるんですが、普通の人は木の上にやや違和感を感じた後にカワウの存在に気付くくらいのもので、中には拡大しないとどこにカワウの存在自体にも気付かない人もいそうな気がします(ちなみにこの絵の中にカワウが9羽います)。
 なので、この写真で一番気を遣ったのはカワウのシルエットを分かりやすくする部分で、彼らをシルエットとして目立たせるために普段よりも少しだけ露出をあげ気味で撮っています。
 露出をあげることで木々が完全に真っ黒いシルエットではなく、色味や遠近感を残せるので、真っ黒なカワウの形がより浮かび上がるように工夫した(したかった)のです。
 その他、秋の風景の中で「メタセコイアの木ってやっぱりデカいよなあ」とも感じていたので、木の全体を写して立木っぽくするのではなく、少し見上げるアングルにして高さを表現しました。

 その他、葉っぱ込みの木を撮るとどういうわけかヤロウは解像感ギッチギチの絵柄にしたくなるんですが、それは夕暮れ時にホッと木を見上げていた私の感情とは異なるので、私の肉眼でのイメージに近い形まで解像感は落として現像しました。
 このレンズとボディときたら、この距離感でも葉っぱが一枚一枚分解しちゃうので、そのままだと解像感が強すぎて緊張した絵柄になっちゃうんですよねえ。
 困ったもんです。

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