【きみの色】を三幕構成で読み解く
結末まで語るので、本編を未見の方にはブラウザバックを推奨します。
まずは、物語を三幕8場構成に分解します。
一幕
1)その人の内面の魂のような物の色が見えるという、独特な色覚を持ち、幼少期からなんとなく浮いてる存在だった日暮トツ子は、高校に入学して綺麗な青を持つ作永きみに出会う。
2)突然学校を辞めたきみを探して市内の本屋を探し回るトツ子は、白猫に誘われるようにして見つけた隠れ家的な古本屋できみと再会する。そこに居合わせた優しい緑を持つルイに声を掛けられて、勢いでバンドを結成する。
「ごめんなさい!私ったら勝手に進めて!もし作永さんが嫌でしたら…」
「やりたい」
「はぁぁぁー!」
二幕
3)三人はルイの地元の離島の今は使われていない教会を練習場にしてバンド活動を始める。ほどなくして三人はオリジナルの作曲に挑戦する。トツ子は高校の授業(地学?)で習った太陽系にインスピレーションを受けて『水金地火木土天アーメン』を作曲する。きみは学校を辞めたことを祖母に言い出せず、どうしても悲しい曲を書いてしまう。
4)トツ子は修学旅行を仮病で休んできみは寮にかくまうが、見回りのシスターにあっさり見つかって一ヶ月の奉仕活動を命じられる。トツ子の母は、昔から変わり者だった娘にそんな暴挙を冒すほど大事な友達ができたことを喜ぶ。シスター日吉子はきみにバンドで学園祭への出演を提案する。
5)三人は一ヶ月ぶりに離島で練習する。ルイはきみの曲に旋律を付け足して曲に新しい色を加えていた。悲しみ成分が多めだった青に、緑が混ざって優しい色彩に変わる。創作を通して化学反応が起きていることをトツ子は感じる。その夜、街で二人でルイへのプレゼントを選んでいるときに、トツ子はきみがルイを好いていることに気づく。
6)離島で練習がてらクリスマス会を開いた日に雪が降ってフェリーが運行中止になり、トツ子ときみは帰れなくなる。シスター日吉子が機転を利かせてトツ子は「合宿」していることにする。ルイも加わって三人で教会に泊まり、将来のことなど色々と語る。ルイときみは現在の活動をそれぞれの保護者に話して、学園祭に誘うことを決心する。
三幕
7)三人は学園祭に出演する。全身全霊の演奏に体育館は盛り上がる。
8)春が訪れた寮の中庭でバレエを踊るトツ子は自分の色が赤であることに気づく。遠方の大学に進学するルイはフェリーに乗船する。少し離れた埠頭から見守るきみとトツ子。出港後に防波堤を走るきみをルイは見つける。きみは全力の大声でルイにエールを贈る。ルイは先ほど取っておいたテープを振るが、そのとき強く風が吹いて手から離れてしまった。色とりどりのテープが空に舞う。
FIN
▼解説・感想:
●構成
1-1:少し変わった少女トツ子が青のきみと出会う
1-2:トツ子がきみと再会、緑のルイとバンドを組む
2-3:練習!作曲!
2-4:修学旅行(に行かない二人)
2-5:二人で作曲すること、恋の気づき
2-6:クリスマス合宿、親に告白する決意
3-7:ライブ!
3-8:トツ子が自分は赤だと気づく、ルイの旅立ち
●物語・脚本・演出
大、大、大傑作ですよ、これは。
特殊な色覚を持つ主人公少女の苦悩を描く冒頭から、最後まで物語も演出も完璧です。
私自身も高校で初めてバンドを組んだ時のあれこれを思い出して胸がいっぱいになってしまいました。
山田尚子監督といえば代表作は『けいおん』ですが、本作はけいおんの令和アップデート版と呼ぶのに相応しいでしょう。
STORY社プロデュースだけあって、最近の新海誠監督作品とも似て、絵が綺麗です。
この映画は端的に言えば、ティーンエイジャーがバンド活動を通して自己実現しながら、でも最後にはきっぱり諦めてバンドを解散する物語です。この潔さと寂しさこそが本作にリアルさと余韻を与えています。
実家の医者を継ぐためにちゃんと勉強して都会の医大に進むルイも、次にやることさえ決めずに自主退学して「なんか色々順番が逆になっちゃった」と言いながらも生きていくしかないきみも、とてもリアルです。
『けいおん』のように高校を卒業してもバンドメンバーで集まるのを続けたりしません。終わるものは終わる。このリアルさを突きつけてくる点が、私が本作をけいおんの令和アップデート版だと評価する理由でもあります。
現在(令和6年9月)の日本にとって「令和」というのはコロナ禍で幕を開けた時期であり、壮絶な自粛と隔離を経験して、私達の多くは「ずっと続くと思っていたもの」が突然終わることや、特に10代の若者たちが一度きりの青春をとても不自由に送る理不尽を味わったり見たりしてきました。だからこそ、何かが強制終了される物語にシンパシーを持ちやすくなっています。そんな社会の機微をよく捉えた作品だと思いました。
最近では『あんのこと』や『悪は存在しない』などコロナ禍を物語に効果的に取り込んで共感を集める映画が増えてきた印象が強いです。本作ではマスクや隔離など直接的な表現こそありませんが、本質的な部分では似通っているものが通底しているように感じました。
●けいおん!!!(R)
時々、絵のタッチがすごくデフォルメされる瞬間があって、たぶんトツ子だけだったと記憶していますが、目の形が急にAAチック(><)になったり、瞳の中に十字の光(✧✧)が描かれたりする瞬間があって、そこはすごく『けいおん』ぽいと感じました。
本作の主要キャラ三人には『けいおん』のキャラが振り分けられているように感じました。10年前に同作アニメを観ていた者からすると、それを感じずにはいられませんでした。
日暮トツ子=平沢唯+琴吹紬
作永きみ=秋山澪
影平ルイ=中野梓(+田井中律)
トツ子は平沢唯のような天才的なセンスと、ムギちゃんのような強い好奇心と金髪に近い明るい髪色を持ちます。
きみちゃんはクールな見た目と凛々しいボーカルと少し引っ込み思案なキャラが完全に澪ちゃんですね。部屋で一人で練習するシーンなど、楽器がベースからギターに変わっただけで、もう澪ちゃんでした。ギターがリッケンバッカーなのも澪ちゃん的な渋さを感じます。
ルイ君は知識が豊富で技術も高い特徴があずにゃんと一致します。
バンドメンバーにりっちゃんのようなドラム演奏者が存在しないのがとても今っぽい(令和っぽい)と感じます。劇中でルイ君はパソコンで打ち込んだリズムで対応していますが、その音楽の作り方が平成後期から令和にかけてのメインストリームだと思います。
そしてりっちゃんはどこか危ういくらい一本気で向こう見ずで大胆な性格でしたが、そういうある種のバカっぽい行動を取らなくなるくらい最近の中高生はインターネットのおかげで賢くなっているとも思います。だから『きみの色』にりっちゃんポジションが居ないのは、すごく今っぽいのです。
ただ、そんな中でもバンドの原動力となって前に進める役割はルイ君に宛てられていて、その点は少しりっちゃんぽいです。このバランス調整も上手いです。
『けいおん』で描いていたのは平成初期の空気感で、それが当時の視聴者のノスタルジーを刺激したのだと私は思います。だからこそりっちゃんのようなドラム奏者が居たのでしょう。しかし令和に制作する本作では、ちゃんと時代に合わせて登場人物をアップデートする山田尚子は凄いなァと感心するばかりです。
*ちなみにこの章のタイトルでけいおんの後に(R)をつけたのはReturn(回帰)とReiwa(令和)のダブルミーニングです。(笑)
●音楽
これはもう、劇中歌が非常に素晴らしいと言うほかにありません。私もまた他の作品を観るために訪れた映画館の幕間で、本作の予告を目にして、そこで「水金地火木土天アーメン」に心を奪われた一人です。
他の2曲も良かったですし、ルイ君が演奏するテルミンはちょっと上手すぎるやろと思いましたが、まあフィクションなので楽しく観れました。トツ子がバレエを踊るシーンは全て良かったです。
一つだけ不満なのは、これはすでに別記事にも詳しく書きましたが、エンディング曲がMr.Childrenだったことですね。
いや、私もデビュー時からの直撃世代だからミスチルは好きで、だからこんなことを書くのは心苦しいのですが、エンディング曲で力強いドラムのビートと30年以上かけて鍛え上げた桜井和寿の声が聴こえてきた時には、違和感が強くて興醒めしました。
大人ミュージシャンを起用するにしても他の選択肢があっただろ、と残念です。桜井和寿の声が悪い意味で強すぎました。ギターの音色は映画にマッチしてて良かったです。アレンジャーの苦労を察します。
なぜこれではダメなのか、どうしてこうなってしまったのか、どうすれば良かったのか、などなど詳しく書いたので、興味がある人は是非そちらも読んでいただけると嬉しいです。
●長崎
長崎って雪は降るんでしたっけ?(笑)
坂道や路面電車や離島や夜景などで、本作が長崎の実景をトレースして背景にしていることはすぐに判ったのですが、後半で雪が降ってきたときには「そんなことあるかいっ」と思ってしまいました。…まあ、これはフィクションですし、劇中で地域を明言もしてないし、誰も方言を使わないので、別に良いんですけど。(笑)
むしろ雪が降る演出があるから長崎ってあえて言わなかったのかも?
…と思って調べたんですけど、たまに降るようですね。
ただ15cmも積もるような大雪は最後に降ったのが1963年らしく、劇中の大雪はそれなりに深刻な異常気象だったと言えそうです。
この時は水族館のペンギンを散歩させたそうです。可愛いですね。
(了)
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