使命遂行において、地球の価値観は時に邪魔である
地球の価値観になじめないと思ったことはありますか?
あなたは地球の価値観・文化になじめないと感じたことがあるだろうか。
そういう自分を異常だと思ったこともあるかもしれない。
だが、なじめないのは自分の本質から来る感覚に忠実だからであり、異常でも何でもないのかもしれない。
誰もが、使命を携えて、地球にやってくる。
社会的属性と使命がぶつかることがある
さて、家柄・家系の役割・家族・安定した職業・職場その他での地位・肩書・立派な経歴・収入の多さというのが、役割を果たす上で、邪魔になることがある。
これらがないことは確かに、地球の狭い価値観に照らすと「なんだあいつ」と言われるものだが、プラス面もあるかもしれない。
物事は多面的だからである。
また、これらの基準は表面的なものであり、人を見る物差しとしてはあまりに狭すぎる。
物事を広く深く、多面的に捉えようという人であれば、これらが狭すぎる基準であることはわかるはずだ。
これについては、こちらでも書いた。
ちょっと自問自答してみよう。
例えば、「あなたが立派な家柄ではないからこそ、わかること、気づけること、できることがあるのでは?」と問いかけると、見えてくるものがあるのではないか。
果たすべき役割と、家柄が求める期待がぶつかってしまうことがあり、しかも、後者を切り捨てるのは容易ではない。
あるいは、パートナーがいて、子どもがいると、家庭の切り盛りと仕事に、エネルギーの大部分を使ってしまって、使命の遂行がままならないということもあり得る。
また、使命としては、システムを壊していくことを求めているのに、安定した大企業のいいポストにいることは、その使命とぶつかってしまう可能性が高い。
使命を遂行すれば、ポストを失うだけでなく、生活の基盤も壊れかねない。
そういう場合、大抵の人は、安定した状況を、敢えて変えようとはしない。
社会洗脳が強すぎればなおさらだ。
家族が自分のすることなすことにとにかく無理解で、時に、家族から虐待的な扱いを受けている人も、理由があって、そうなっているのかもしれない。
このことについては、私自身noteに何度か書いてきたし、しばしば言及するゆたかさんもそうである。
友人にもこういう人がいる。
だが、だからなのか、大変な思いをしてきた人への理解が広く深い。
大抵の人が表面的に見るところを、深いところまで洞察できるのは、こういう家庭環境や成育過程でもがいたためなのかもしれない。
ロニさんのお師匠さんの話
そういえば、Twitterで相互フォローしているロニさんが、以前、御自分のお師匠さんについて、同様のことを書いていたのを思い出した。
お師匠さんの親は、一般社会的な目で見れば、どうしようもない親だけれど、お師匠さんの使命からすると、完璧という話である。
地上の狭い見方と、もっと広い視点では、いかに捉え方が違うかという証左だ。
これは繰り返し強調したいが、地球の多くの人が抱いている価値観・捉え方は絶対的なものではないし、先進的なものでもない。
むしろ、宇宙の先進文明や霊界からすると、あまりに異常である。
ともあれ、ロニさんのお師匠さん御本人が自分の境遇を受けいれているならば、外野がとやかく言う理由はない。
そして、2021年9月27日に、私はこんなコメントをしている。
マイナスに思えることに、プラスの意味はないかな?
社会意識にとらわれて、否定的評価を下している属性・経歴・人生経験・人間関係等々は、実は、必要があってそうなっているのかもしれない。
もっと言えば、自分が選んで、そういう歩みをしてきたのかもしれない。
これは認めるのがなかなかむずかしいが、仮想的にそう考えることで、見えてくることがあるだろう。
「こういう家族関係で育ってきたプラス面は何だろうか。気づけたこと、培ったことは何だろうか?」
「恋愛への願望が著しく希薄であることのプラス面は何だろうか。逆に、もし自分に恋愛への強い願望があり、恋人を作る手管に通じていたら、今、私はどんな人生を歩んでいただろうか」
「こういう人生を歩むことで、気づけたこと、見えてきたことは何だろうか。マイナスばかりだと思っていたが、プラス面は何だろうか」
他にもあり得るだろうが、じっくり問いかけ、熟考してみると良いだろう。
家族は自分と波長の合う人はいてもいいけれど、波長が合わないなら、それはそれで、一つの学びであり、プロセスなのだと思う。
時に、認めるのがむずかしいレッスンだが。
Twitterで相互フォローしているホワイトさんが自身のブログで書いているのも、ある種、似たことだと思われる。
「どうして、この事柄に向き合うのに私一人しかいないのか。ここまでわかっている人がいないのか」、そんな思いにとらわれた人がいるかもしれない。
それもまた、必要があって、起きていることだったのだ。
人生における困難は何かのための準備
誰か(人に限らず、経験・出来事も)と出会うためには、タイミングと、その人と会うのにふさわしい自分の準備が必要である。
困難な人生体験は、その準備をさせるためのものだったのだ。
私の家族が、私に対して理解があり、私自身、人生で何の痛みも苦悩も経験しなかったら、多分、今頃、枠珍3回目を接種していただろうし、接種しない人々を奇異な目で見るか、狂った人々と見ていたかもしれない。
少なくとも、noteやTwitter・ブログなどなどで書いているようなことは、考えもしなかっただろう。
シルバー・バーチとルドルフ・シュタイナーと詩人のヘルダーリン、そして精神科医でナチスの強制収容所から生還したヴィクトール・フランクルが共通して言っていることが、苦悩を通して見えるものがある、ということだ。
全く立場の違う四者が同じことを言っていることと、自分自身の経験から、これは真理だと思う。
私がいろいろ苦悩し、もがいてこなかったら、Twitterで、Uさんやゆたかさん、ホワイトさんのtweetを見ても、何の共振もしなかっただろう。
確かに辛い経験を何度もしてきたが、これで良かったと思っている。
jacob自身のこと
私自身のことを少し述べよう。
私は女性と話すのは好きだが、地球人が求めるような意味での結婚願望は著しく希薄であるし、子どもが欲しいとも思わない。
子どもは未来であり、大切にしているが、自分で欲しいという願望は昔からない。
こちらで反出生主義について触れたが、シオランやテオフィル・ド・ジローの考えは、わからなくはない。
彼らがこういう考えなのは、この世界が子どもにとってあまりに過酷だからだ。
裏返して言えば、子どもへの情愛があまりに深いがゆえの想いとも言えなくもない。
また、立派な家柄・理解ある家族・安定した職業・職場その他での高い地位・肩書・立派な経歴、これらも全て、私にはない(笑)
だから、これらに重きを置いている、爬虫類脳多用者に、時々、マウントされる。
所属教会の聖歌隊で、隊長・副隊長をやったことがある。
が、爬虫類脳のボス的存在のマイルールに抗って潰され、また、全体のためを思って行動した私の行為をことごとく無にして、何の良心の呵責も感じない爬虫類脳隊員に嫌気がさして、やめてしまった(だから、歌声が揃わないのだと気づいた。「全体を考えて、そろえよう」という発想がないからだ)。
でも、それでいいと思っている。
そして、これらの目に見える価値観で人を見る人は、私の友達でも仲間でもない。
というか、心の通い合いができないから、仲良くなれないのだけど。
立派な家柄・理解ある家族・安定した職業・職場その他での高い地位・肩書・立派な経歴、これらがないこと、また結婚願望が著しく希薄であることは、定かならぬ私の使命において、必要なことだったのだと、今はプラスに考えている。
また、女性とすぐに仲良くなりたくて、2~3の恋愛商材やナンパ商材に手を出した。
だが、その商材において中核に位置する催眠・洗脳的手法と、詐欺的な商売の仕方に少しずつ、気づくようになって、今は完全に興味を失った。
それらの商材の学びを取り入れることで、良い方に変わった面があり、その点は感謝している。
が、「どんなにいいことを言っても、これは結局、下半身の話だ。世の中がそう思わせようという洗脳にハマり込むことでしかない。愛は性欲とは違う。でも、この商材はそう思わせようとしている。これは、違う」という思いが日増しに強まっていった。
これらの手口や商材提供者の強欲については、こちらで触れている。
私に婚活・恋活は不要
さて、人が人を好きになって、同じ時間と場所を共有することはすばらしい体験だと思う。
だが、私が求めていたのは、心の通い合いであり、金や損得の絡まない、深い交流だった。
また、商材での出会い方に、何か人工物めいたものを感じていたのも、敬遠するようになった理由である。
もしかすると、ある人とある人が偶然出会うというのは、稀有なことかもしれないが、それでも、縁とは不思議なもので、自分がしかるべきあり方ができて、いるべきところにいれば、出会うものだと思っている。
それまでは、今、自分にできることを、力の及ぶ限りやっていくまでだ。
婚活・恋活は、私には必要ないものだ。
これらで人々を呼び込む手口が、LF8にヒットしたものである以上、実質的に「交尾活動」ではあっても、愛や心の通い合いとは程遠い。
年収の多寡でパートナーを測るところに、愛が入る余地はそもそもない。
3次元地球の価値観は絶対的なものではない
地球の文化・風習・価値観になじめないのは、地球の文化からすればマイナスかもしれないけれど、もっと大きな枠組みではプラスなのかもしれない。
物事にはいろんな面がある。常に、多面的に見ることを心がけよう。
地球の価値観・文化は絶対的なものではないし、最も進んだものでもない。
戦争をやめられない文化のどこが、先進的なものだろうか。
あなたが地球の文化・価値観になじめないのは、あなたがある意味、正常な感覚の持ち主だからである。
戦争をやめられず、同朋や他の存在を平気で傷つける人類に違和感を覚えるのは当然だ。
私の役割
私の役割の一つは、自分が真実だと思うことを言っていくことと、自分の在り方を通して自分の光を輝かせ、地球以外の価値観を体現していくことのように思われる。
何かの職業とか事業をやるというより、あり方で示していくのが、与えられた務めではないかと、最近では考えている。
「人生の目的・魂の目的」といった時、それが特定の職業・事業という形態を取る人もいれば、私のようにはっきりしない形を取る人もいるのだろう。
また、他人を説得するのは私の務めではない。自分が真実だと思うことを、正直に、率直に言い、示す。そして、その真実を自分で生きる。
さらに、できる範囲で、周りを助ける。今はこれなのかなと思い始めている。
日々、何ができるかを考える
・歴史に名を残す
・生きた証を残す
・恋愛or交尾
・大金持ちになる
これらへの関心が乏しいか、全くない人は、これらが使命に邪魔か、過去世でやりまくったからなのかもしれない。
あるいは、俯瞰力が高くて、あまりにばかばかしく思えるか。
そういう人は、隣人・動植物・地球・銀河のために、自分に何ができるかを考えてみてはどうか。
日々、自分の置かれた場で出来る限りの親切をし、愛の周波数を放射する。
それらをしながら、自分のケアもきちんとしていけば、自ずと、しかるべき方向へと導かれていくような気がしている。
シルバー・バーチの言葉を引用しよう。
奉仕の機会はどこにでも、数限りなくある。
あなたが、病気で、たとえ寝たきりの人であったとしても、だ。
一日を、健康な人への恨みつらみを抱いたり、犠牲者意識で生きるのか。
それとも、愛・感謝・喜びの周波数で生きるのか。
それ以前に、寝た切りであっても、一日を精一杯生きることが、ある意味、重労働だろう。
こんなことはどうだろうか。
最近、救急車のサイレンを聞かない日はないといっていい。
それが聞こえてくると、その時している作業の手を止め、目を閉じて、「間に合った」「助かった」と祈念するようにしている。
何でもいい、「救急隊員の働きの手が強められますように」でも、「必要な治療の手が与えられますように」でも、ふさわしいと思う思念で祈るがいい。
隣人のために、動植物のために、地球のためにできることは何だろう。
その時に自分にできることを精一杯やったなら、地球の価値観に照らしてどう見られようと、どう評価されようと、どうでもよいと、いずれは思える時が来るだろう。
宇宙と霊界は、あなたのしたことを、地球の価値観とは違った眼差しで見ている。
いろんな自給方法の紹介
こちらに、外側に依存せず、自給していくためのいろんな方法が述べられています。
御自分のできるところから、やってみてください。
こういう情報を、私利私欲なく拡散する、周りの人に知らせるのも、奉仕です。
( ´∀`)サポート本当にありがとうございます!!😭😭😭🥰🥰🥰 ( ・ ∀ ・)ご恩返しするためにも、今後も一生懸命頑張ります!!😊😊😊