人生を道にたとえる。
誰もが歩いたので、踏み慣らされ、はっきりと形の見える道がある。
歩いた人が少ないか、一人だけなので、ほとんど形の見えない道がある。
多くの人が注目しない人の人生とは、後者のようなものかもしれない。
反出生主義のページに見つけた懐かしい名前
ふと思って、反出生主義について、ウィキペディアを見てみると、ショーペンハウアーと並んで、シオランという懐かしい名前を見つけた。
これがどういう概念かというのは、ウィキペディアを見てほしいのだが、簡単に記しておく。
一口に反出生主義といっても、複数の種類がある。
「子供は親・出生地・時代を選ぶ術がない点から、子供が同意なしに世界に生み出される」というザプフェの考えは、神秘学の観点から否定される。が、これらに無知であれば、ザプフェのような考えが3次元地球では、同意・支持を得られるのも理解できる。
「哲学者のテオフィル・ド・ジロー(英語版)は、世界中に何百万人もの孤児がいることに触れ、道徳的な問題を抱えた出産を行うよりも、愛情と保護を必要としている子供らを養子にする方が良いだろうと述べた」と、ウィキペディアにあり、この点は、もっともだと思った。
そして、この反出生主義を抱いている思想家の一人として、シオランの言葉が引用されていた。
シオラン
シオラン(1911-1995)はルーマニア人の作家・思想家。父はギリシャ正教会司祭。1937年からパリに行き、以後そこで暮らした。彼の文章はアフォリズムと短いエッセイという形式で表現された。日本語にも、多くの本が翻訳されている。
私は、20~30代の頃、彼の本を座右に置いていた。
一回手放したが、執行草舟が読んでいるのを知って、また一冊手に入れた。
それは最初に手にした『涙と聖者』だった。
一つだけ引用しよう。
彼がバッハ、そしてオルガン作品を深く愛していたことが窺える一節だ。
反出生主義のページには、『カイエ』の一節が引用されていた。
このように思わせた感覚というのは、地球人の価値観・文化に馴染んだ人のそれではない。
こう言って良ければ、スターシードの感覚に近いと思うが、彼がスターシードだったのかどうかはわからない。私の中では、「もしかしたら」という感じだが、確証はない。
この一節からは、彼が世界をどう見ていたかだけでなく、子どもにとって、この世界があまりに過酷であることへの怒りと悲しみが感じられる。そこに自分が加わることは大変な害悪に思えたのだろう。
しかし、彼が厭世主義者でなかったことは、彼の著作と、対談を読むとわかる。
彼は、自分を訪ねてきた人に、またその人の後ろにいる読者たちに対して、友好的に接している。
また、著書からは、この世界への苛烈な言葉を連ねながらも、懸命にもがいて生きようとしている姿が感じられる。
だが、彼の歩みも、著書で述べられていることも、万人受けはしないし、今後もしないだろう。
自分の道を歩くことが、誰かの道を照らす光になる
ただ、シオランのように、地球の価値観に馴染めないながらも、懸命に、自分の道を歩いた人がいたのを知ることで、自分が一歩前に進む力を得ることできる。そのように、私は感じるのだ。
また、多くの人が歩いていない道を、必死に切り拓いた人というのは、後に続く者にとって、一種の先駆者なのかもしれないと思った。
だから、私が歩いているこの道も、誰かが歩を進める力付けになるのかもしれない。
私が、万人受けしない人を読んできたのは、同じものが私の魂にあるからだ。
そこに共振するもの、あるいは憧れがあるからだ。
おそらく私は、地球の価値観では、名を残すことはないだろう。
だが、懸命に歩いて、自分の光を放ち続けることは、銀河の視点から見ると、大きな意味のあることなのかもしれない。
爬虫類脳で現世利益的志向の強い家族の中では、私の読んできた本や学んできた事柄は全く共有できない。
その意味では、家族に理解者はいないし、理解を求めもしないし、求めたことすらない。
そもそも、爬虫類脳に、自分の枠組みを一時的にカッコに入れて、異なる考えを理解しようという意志は絶無なので、望むべくもない。
だが、そういう環境・道を歩んできた人だからこそ、同質の道を歩んでいる人にかけられる言葉、表せる態度がある。
ゆたかさんやホワイトさんが御自身のブログでやっているように。
こういう人たちは、世界中にたくさんいると思う。
だから、もし読書したり、音楽を聞いたり、絵画や彫刻を見たりする余裕があるならば、自分の困難を背負っていける力を見出させてくれるような著者や作曲家、画家などを探してみるといい。
また、自分でも、自分の感じていること、人生経験、考え方などを、どういう形でもいいので、形にしておくといい。
あなたが自分の人生に大きな評価を与えていなくても、その歩みが誰かを勇気づけることはあるのだから。
惹かれてきた言葉の引用
最後に、何人かの人の言葉を引用する。