見出し画像

僕たちにとって一つの単純な答えは、「分断」かもしれない

もしよろしければ、まずこちらをご覧いただきたい。INFJの振る舞いが多いINFPのわたしにとって、ENTJじゃないかと思われる石丸市長は、プライベートでは全然仲良くできなさそうだが、それでも石丸市長の活躍には目を見張る物があり、真摯な姿を非常に尊敬する。痛烈な一言一句に、非常に強い爽快感さえ覚える。基本的に石丸市長の考え方には非常に同意できるし、私が知らない分野についても経歴と人格から、非常に信頼できる考え方だと思う。

私が石丸市長を応援している話はこれくらいにして、本題に入っていきたい。

※段落なしの3000文字超えになってしまったので、読みづらく申し訳有りません。。。

先出の動画の中では、日本や地方自治体の政治の上層部が、「昭和の考え方」を引きずっている、昭和を世襲している人ばかりである、という痛烈な風刺がでてきた。まさにその通りなんだろうなと思うのは、これまでの経済政策では、これといった目新しい政策はなく、ゆるゆるとみんなの生活が苦しくなり始めているな、という何となくの実感しか個人的には持ってない。
また、石丸市長の話に戻るが、高齢の安芸高田市議会議員が石丸市長の論を根拠もなく否定し、政治のスリム化に理解が示されない場面や、特に高齢の安芸高田市民の、「なんだかよくわからんけど、仲良くしてくれ」的な、仲良くやってくれさえ居ればそれでいい、といった趣旨の発言もよく目にする。私の周りのご年輩の方も、一部を除けばスマホやパソコンを全然使えないため、情報の出どころは基本テレビであり、石丸市長や、「高齢者集団自決」発言をした成田悠輔氏のような、強烈な意見を先導している人たちがどういう考えを持っているのか、とてもではないがテレビだけでは理解することはないだろう。そういった年配の人たちが日本には多数を占めており、地方に行けばそれは深刻なのだろうと思う。こうした方々の立場に立ってみると、現役を過ぎ、高齢者として残りの10年〜30年あまりを生きるだけなので、今のまま穏やかに生きていればそれでいい、あまり50年後のことは興味ない、そういう方が大半ではないかと思うので、正直心変わりしてくれることは期待できない。

こうした保守的な傾向の強い高齢者に対して、ネットでは御存知の通り若い世代を中心に、少子高齢社会、結婚、仕事、子育て、物価上昇や貯蓄、資産などについて真剣に考える話題が溢れている。また、近年は政治についても関心が高まっているように個人的に感じている。石丸市長がいい意味で炎上してくれたこともその原因の一端になっていると思う。そしてそうした将来を案じる人たちは、やはり時代が進み、若い世代がおおくあつまる東京に移住していく若者が異常なペースで増え、地方の若者は致命的に減っていく。(かくいう私も東京圏に進出してしまった1人…すみません…)正直なところ、30年後のことを考えられない首長しか当選しない地域では、若者はさっさと去ってしまったほうが「効率的で正解」であり、30年後のことを考えられない高齢者の方たちは、若者が減っていき、じわじわと衰退しながら昭和の雰囲気を続けてもらい、急に財政破綻する地方でのんびりと過ごしてもらうしかない。放って置いたほうが簡単なのである。(様々な事情でどうしても地方から出られなくなってしまった若者たちが気の毒で仕方ないが…)こうしていちばん簡単な動きとして「分断」へと進んでいる。
さらなる要因として、前出の動画の中でも、「地方Uターン、Iターン等があるが、男性は参加する可能性が高いが、女性がわざわざ地方に行くことは少ない」と言われる。これは本当にたしかにそうだと思った。正直なところ、わざわざ地方の地場産業をしている家に嫁いでくる事に関して、特に都会に憧れて東京に来た多数の若者から見れば、魅力はほとんどないイメージが付いてしまっているように感じる。

このような状況では、さらに地方と東京の分断≒若者と高齢者の世代間分断がさらに溝が深くなっていくだろう。それに対し、動画の中で、「東京の悲惨な人口の一極集中」に対して、大阪万博など、他の都市に盛り上がりが移動していくような動きが必要だという話がある。この話はまさにそのとおりだと思うし、今後東京の成熟しきった市場ではなく、地方の都市に行きたい、という人たちを中心に、他の地方都市を活性化してほしいと思う。また、そうした人達に限らず、「東京から出ていったほうがいい人」というのはある程度出てくるのではないかと思う。

ここ数年、私が仕事から退きながら感じるのは、東京の効率重視、成果重視、華やかさがより求められる空気自体が非常に息苦しいのではないかと感じている。私が山育ち、ということもあるかもしれないが、豊かな自然が心理や精神にもたらす効果は、心理学的に見ても非常に注目すべきものであるという。定期的に田舎に顔を出す用事があるのだが、そのたびに、山や海、壮大な自然がもつパワーを受けては、生き返ったような錯覚を得る。まだどうするかは決まって無いが、年々「山に帰りたい」という念願が募っていっているのである。
また特にnoteなどを見てみても、精神疾患を持つ人が増え、さらにMBTIやHSPなどの流行も相まって、空前の「生きづらさ」ブームが来ている。生きづらい人たちが環境と自分の人生の不適合に気づき始めていると思う。どうしても都会の空気が必要な人ももちろんいるかも知れないが、都会から時間的、空間的に距離を置き、いつでも壮大な自然からパワーを受け、必要最低限の人との交流でスローライフを送ることが最適な人もいるのではないか。また、都会の最新鋭の設備より、一昔前、特定の年代の暮らしが肌に合う人もいるかも知れない。土地がいくらあっても足りない都会ではなく、土地が余ることもある地方に住んだほうが、生きづらい人々にとって最適な生活環境を作りやすいだろう。こうした「生きづらい」人々にとっては、地方でモノカネ至上主義の華やかな東京生活を求める人々と「分断」するのが簡単な答えではないかと思う。

こうした「分断」が進めば、とにかく華やかさと活気、効率を求める「東京」、東京とは一味違った文化都市を求める「地方都市」、20年30年程度の寿命を前提とした、今までのゆるりとした生活を続ける「衰退地方自治体」、都市部の生活とは変わった生活を求める若者が集まった「特殊文化的地方自治体」のように、いくつかの地域に分かれて行くのではないかと思う。「衰退地方自治体」は、全然場所によってはもう10年ともたない自治体も多いかもしれないが、それを住民たちが気づいているとは限らない。また、「特殊文化的地方自治体」と一旦おいているが、現状そんな状況の自治体はないと思う。成田悠輔氏やひろゆき氏が言っていた気がするが、地方移住を希望する若者たちで結託して自治体をハックしてしまったような、そんな自治体をイメージしている(そんなことなかなかできないかもしれないが)。
とはいえ、実際に人口が少ないながらも、若者の転入が多く、人口が増加に転じている市町村もある程度目にする。そうした自治体が進化した姿ではないかと思っている。

こういった「分断」は、それぞれの生活のさらなる「快適さ」を上げていくと思われる。たとえ若者が多い東京圏であっても、ボール遊びが禁止されていく公園はどんどん増え、騒音迷惑だと言われる保育園・幼稚園・学校は後を絶たない。そうした、時間的・空間的な分断が、文化の分断、また対立を招き、一つの国とは思えない姿になるかもしれない。実際、現時点で、東京圏、地方中核都市、人口増加中の自治体、それ以外の衰退自治体ではその町並みの変化の仕方が天と地ほどにも分かれているように感じる。
また、若い人たちであれば、若い人たちだけで生活していく事ができるのであろうが、年配になり体力が衰えてきた人ばかりの集団が、難なく生活できるとは思えない。また、障害を抱えている方や私達のような精神疾患を抱えていたり、一般的な社会人生活に馴染めない方々は、どうしてもそうでない人々の助けを借りることになるだろう。明確すぎる「分断」が生まれないように、どうしていけばいいのか、考えなければ行けない気がする。
個人的には、そういうところぐらいには、たとえ後先20年くらいしかない方々にも、知恵や努力をいただけないかなーと思っている次第である。(あと20年で死ぬと思ったら30年40年生きちゃった、っていうのが今後の高齢社会、日本だと思います)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?