見出し画像

1分で分かる『社会契約論』

過去17回にわたって本ノートでご紹介してきた『社会契約論』の「1分」シリーズです。

言わずと知れたルソー主著。ぜひ本当は過去の連載記事すべてに目を通していただきたいところですが、まずはこの記事から理解していただけたら幸いです。

社会契約って何?

さて、『社会契約論』は何について書かれている本なのでしょうか。

読んで字のごとく、社会契約についてじている本です。

・・・とはいうけれど、これでは何の説明にもなっていません。

いったい「社会契約」とは何なのでしょうか?

ルソーは、社会契約を次のように定義します。
※ここから少し難しくなります、めげずに読んでください(切望)。

われわれのおのおのは、身体とすべての能力を共同のものとして、一般意志の最高の指揮のもとに置く。それに応じて、われわれは、団体のなかでの各構成員を、分割不可能な全体の部分として受け入れる。

『社会契約論』「第一篇第六章」(p.122)より

さっぱり意味不明な方も、とりあえず、今の時点では、「一般意志」という言葉が大事だ、ということだけは心に留めておいてください。

では、一般意志とは何でしょうか。

一般意志とは簡単に言えば、「みんなが欲していること」です。

どんな立場、境遇の人であっても、人間である限り、全員が欲すること。

これを一般意志とルソーは表現しています。

反対に、「自分(だけ)が欲すること」は「特殊意志」と呼ばれます。

この用語の定義を踏まえて、先ほど引用した文章をかみ砕いてみます。

特殊意志ではなく「一般意志」に基づいて社会を設立しよう。そうすれば、私たちは、自分の財産や権利を不当に害されることなく、安心して生きていくことができるようになるのだ。

法律が存在せず、社会も存在していない状態のことを、ルソーは自然状態と言っています。

この「自然状態」に関する議論は、ルソー以外の人物も行っていて、この議論を展開した人々を「社会契約論者」と言ったりします。

彼らの共通認識は、こんな感じです。

人間の社会は、ただ何となく誕生したのではなく、何らかの約束に基づいてはじめて成立したものだ。

ルソーは、人間には「自己保存」と「憐れみ」の二つの感情があって、自然状態ではこの両者のバランスが取れているため、平和が保たれる、と考えます。

ではなぜ社会を作らなければならないのでしょうか?

それは、「私有」の観念が誕生してからだ、と言います。

これは「私のものだ」と主張すると、その「私のもの」をめぐって争いが生まれます。

そして、いつも争いに勝つのは強い者です。

強い者は、人から奪ったもので、さらにどんどんと強くなります。

一方弱い者は、強い者から自分の財産を守ることができず、ただ黙って強い人のなすがままにするしかありません。

こんな状態じゃ困るよね、ということで、「社会」が誕生するのです。
(このあたりのことは『人間不平等起源論』をご覧ください)

でも、「社会」という以上、自分ではない人たちと共同で、協力し合って過ごさなければなりません。

ということは、自分勝手な行動ばかりしていては、「社会」が維持できません。

メンバー全員が守るべきルール(約束)が必要です。

では、どんなルールなら、人々が安心して暮らすことができるでしょうか?

そのルールが、先ほど引用したルソーの言葉だったのです。

もう一度引用します。

われわれのおのおのは、身体とすべての能力を共同のものとして、一般意志の最高の指揮のもとに置く。それに応じて、われわれは、団体のなかでの各構成員を、分割不可能な全体の部分として受け入れる。

『社会契約論』「第一篇第六章」(p.122)より

われわれのおのおのは(わたしたち全員が

身体とすべての能力を共同のものとして(自分の身体と能力を共同利用し

一般意志の最高の指揮のもとに置く(皆が欲することに従って

それに応じて、われわれは(それに応じてわたしたちは

団体のなかでの各構成員を、分割不可能な全体の部分として受け入れる
メンバー全員の力全体を受け取ることができる

つまり、

わたしたち全員が、自分たちの財産や身体の安全を守るために(みんなが欲すること)、自分の身体と能力を共同利用することで、私たちは、全員分の力の手助けを受けることができるようになる。

さらに言い換えます。

社会は、「財産や身体の安全」を守るという共通の目的(一般意志)のために、「自分の身体と能力を社会にささげる」という条件(ルール)のもとで設立される。

これが、社会契約なのです。


↓ 各連載記事はコチラから ↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?