日々野いずる

現代詩を書きます。詩を主に置いてる場所は現代詩フォーラムです。ここは日記未満の何かを置…

日々野いずる

現代詩を書きます。詩を主に置いてる場所は現代詩フォーラムです。ここは日記未満の何かを置きます。 Twitter→@Izzlay 現代詩フォーラム→http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=10776

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2022.04.05 日記

2022.04.05  誰にも何にもなれない年月。  誰かに憧れていたおこがましさは捨てなければならない。  こんなに逃げたいと思っている肉体を伴って、留まって、我慢しながら、地に足つけて少しでも理想に近づいていく。  大幅に飛び越すことなど凡百な人間には無理な事で、ひとつひとつ積み重ねる大切さはアリとキリギリスで習ったでしょうが、それを実感として得る体験にするには長くかかってしまったようだ。  学びは尽きないが、実践と実感は別離している。  できることならダラダラと暮らす

    • 2022.04.01 日記

      2022.04.01  安住の地や財産、慣れた場所。  既にあるものを手放すのは難しい。  特に不満のない現状を、より良いものに取り替えるためには今を捨てなければいけない。  こう思えるということは、自分の人生を良くしようとしない自分に絶望していた頃からは、多少進んだと言える。  このままでもいいのではないか、飢えることもなく住む場所もあり、なんの不自由もしていない、と頭をよぎることもある。  現状維持が正解なのではないか、とぐるぐる頭をめぐる。  現状維持さえも不安定に

      • 2022.03.21

         食べても食べても足りない。  腹が減っているから食べるというより、食べたことを感じたいから食べている。  昨日食べた物は忘れ、明日も何か食べる。  春の陽射しがぼんやりと自分の心細さを照らす。  暖かくなってきたことで、虫のように動こうとしているのかもしれない。エネルギーの貯蓄。すでにある脂肪から捻出してくれはしないらしい。  他人の平均よりはるかに休んでいるが、寝ても寝ても寝たりない。  夢が楽しく思いもよらない景色を見れるため、手軽な気晴らしとして寝ている。手軽といっ

        • 2022.03.17 日記

          寂しいような気がする。 人恋しいというよりは寂寞。何も成しえなかったこれまでの道程をふりかえり悲しさを覚える。 何もかも与えられていながらのこの悩みは不道徳だ。私が何者になろうとも、なれなくても、すべてを許容されている。 元気でいてくれればいいらしい。 明るく笑っているだけで他に幸福を与えられた幼少期はとうに過ぎているのに。 病が寛解すれば何者かになれるのだろうか。なれるはずもない。目の抜けるような明るい未来などない。 将来がどこまでも日常の続きであるなら、病などなくはじめ

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          2022.02.23 日記

           この処、体調が悪化した。  悪化すると日記へ書くことが生まれる。  書かなければやってられない、書かなければならない、という急いた気持ちに追いやられて書く。  日々は変わりなくひたすらの寒さに震えているが、この震えが怯えに変わっていても見た目に変わりはなく、訴えなければ死んでいく。  弱い者から死んでいくのは普遍的であり、弱いのが悪い。弱いから言うが、弱いのが悪い。これが誰の責任でもないなら、弱く生まれた自分が悪いのだろう。  日々の苦難を訴えても薬の内容は変わりなく、ころ

          2022.02.23 日記

          2022.02.22 日記

           気がまぎれるので文章を書く。  君たちみたいにまともであれば良かったのだが、残念ながらそうではない。薬とサプリと生活習慣で生きながらえる。  夜遊びして騒いで遊んで、をしてみたい。  体力がない。  したいことをできないのに生きているのは何故なのか。  人は皆、したいことが100%出来る訳ではないのは知っている。自分の欲求を調節し酸っぱい葡萄を求めていると思い込む。  その暗示は普段はとけないがふと薄膜を破って欲求が表面化する。  一日中遊びたい。  徹夜でクラブで踊っ

          2022.02.22 日記

          2022.02.09 日記

          無為な日々だ。死んだような生活だ。 生きる意味を考える歳は過ぎ、見い出せないまま日々を送る。成すべきことを成さずに目をそらし、無為を無為なまま送ると、金が貯まる。 預金通帳を眺め、一般の幸せについて考える。一般の幸せには追いつかないくらいの差があり、健康になりたいという新年の抱負が3年目だ。 勢い良く死に飛び込んでいった君のことが羨ましくて、君のことを考える。 君は歌が上手だったから、私も歌が上手くなりたい。 君は明るくて、辛そうで、楽しくて、イライラするようなことばかりし

          2022.02.09 日記

          魚とサンショウウオ

          魚とサンショウウオ  わたくしは昔、静かな小川に住む魚でありました。同じ魚の仲間はいませんでしたが、カエルとサンショウウオが友達でした。  ある日カエルとサンショウウオを見かけなくなりましたが、わたくしはひなたぼっこして暮らしておりました。温かい水流がすいすい体の横を通りました。  上を見あげると青色の水の中をこぽこぽと泡がのぼっていくのが見えました。  ぼんやりしているのが幸せでありました。  暖かくなってきて、サンショウウオが戻ってきたので嬉しくなってはねました。  

          魚とサンショウウオ

          【ネタバレあり】うる星やつら2 ビューティフルドリーマー 鑑賞

          押井守監督作品の本作。 機会があったので鑑賞&感想。 ファンでもなく、アンチでもなく、ただのニワカです。ネタバレあり注意。 原作のキャラクターを再解釈し、「うる星やつら」を自分の映画にしている本作。 押井守色の演出が存分出ているため、観る人を選ぶかもしれない。 いつだったか押井守監督のオールナイトショーにて鑑賞した「御先祖様万々歳!」までいかないが似た演出をしているため、観ていて「押井守の作品だなあ」と強く思うことになる。 冒頭、舞台を正面から映したようなドタバタ劇は「

          【ネタバレあり】うる星やつら2 ビューティフルドリーマー 鑑賞

          2020.07.22 死んでしまった思い出

          人が死んだ思い出を標本のように並べ哀悼と言い換えればいいが愛でてさえいるかのように思い返す。 自己が死に惹かれがちな質であるから、一抹の羨ましさが混じるが大部分は悲しさを覚える。 君たちが死んでしまった世界を私はまだ生きている。 恨み言を言っている。 話すのが楽しかった。居なくなってしまって恨み言を言うのも仕方ないだろう。 昔友達が死ぬとどんな気持ちがするのだろう、と想像したことがある。 その時想像したものの、どんなものでもなかった。 ひたすらに悲しい訳でもなく、ひたすらに

          2020.07.22 死んでしまった思い出

          2020.04.21

          4月21日 古典を破って涙する 日記に書いた決意を忘れている 写真をガスコンロにくべる 私を新しい場に連れ出してって やること過激だねってあきれてる 自分の子守をするのに 本と音楽だけ与えてればいい? 時間と青春を失ったなら もう一回やり直せば?って 突き落とす先に大きな海を見た その柔らかな手に私を乗せた その笑い返す顔に私を映した 遠くまで旅する歌があると信じる 奇跡が光る日もあると信じる 目の中の星が増えて減って 波がよせては返す音がする 朝を迎

          2020年4月17日

          死ぬタイミングを逃した。 私はあのタイミングで死ぬべきだった。あれが最後のチャンスだった。 日々日々夜の具合悪さに怯えて薬で不安をごまかし、それで社会に迎合しきれない情けなさったらない。 生きている意味がない。見失ったのではなく、元からない。中途半端な子供人間として育った私は、どこにも参加できないまま、布団に埋もれている。 馬鹿か。 書いているのに、書いていても。 読まれたくて書いているのに、私の才能の少なさが読まれないわけならそうとはっきり引導を渡してついでに私を殺してくれ

          2020年4月17日

          2020.2.19 3:33 私には交通費を出すだけの価値がない

          私には交通費を出すだけの価値がないのかもしれない。価値がない。嫌だ。 人と触れ合うと嫌な考えばかり浮かび、自分が嫌になる。 街はうるさく、太陽は眩しく、蛍光灯は目を焼く。 すべてに眉を寄せて何も言うことができない。 この世がこのままでは到底向いておらず苦い気持ちのままだろう。世界は変わらない。自分がなんとかするしかない。 社会に適合するための教育の失敗例。教化をやめれば、自由な個性が伸ばせ人生が豊かになる、なんてものは幻想だ。自由な個性を伸ばしたあとの事はまるで考えてい

          2020.2.19 3:33 私には交通費を出すだけの価値がない

          2020.2.12 18:20

          ひどく疲れた気持ち、これは翌日には治る。 翌日だけがわたしを救い、他は慰めにならない。本を手にとってめくり目が滑ってやめるの繰り返しから、本を手に取ることもやめてしまった。 寝て起きて寝て起きて寝ることが生活の大半を占めており、わたしはもうどこにも行けないんだな、と、布団で思う。 慢性的に憂鬱がうっすらと心を漂い、楽しい瞬間を覆い隠す。自分の考えのせいか、性格のせいか、そのまた他の要因かわからなくなる。 わたしは、なんでここにいるんだろう。 ピザのチラシを見る。 このピザ

          毎日 2020.01.16

          生活はあまりにも変わりない。 今も昔も何の生産性もない私の生活を、誰に見せるわけもないで営む必要性に悩んでいる。 誰かに見せなければやってられない、と昔はあけすけにやっていたが、それも下品かと思うようになって、そして沈んだ。沈んだというしかない。まだ昔のほうが良かったかもしれない。そっちのほうがまだ。 この文はいう必要もないこと。 自分で再確認をする作業。 それだけのものが、さらに共感があるとより良い成果になる。 そう思う。そう思うしかない。 私の日々はやるべきことで失って

          毎日 2020.01.16

          現代詩の「現代」とはどんなものか?

          現代詩なら最先端を走っているべき、とファッション誌を眺めていて思った。 これらの写真とかショーの服などは、こんなものもいいんじゃないか?という提言であって、これがいい!という押し付けではない。現にショーに出た服は淘汰され要素だけ抜き取られて、磨かれ一般の服にニュアンスが下りてきている。 現代に生きている服は過去やり尽くしたパターンを踏襲しつつも新しいものを探しているように見える。デザイナーも写真家も業界全体が新しいものを探してもがいているような気がする。 それが「現代

          現代詩の「現代」とはどんなものか?