2022.02.09 日記

無為な日々だ。死んだような生活だ。
生きる意味を考える歳は過ぎ、見い出せないまま日々を送る。成すべきことを成さずに目をそらし、無為を無為なまま送ると、金が貯まる。
預金通帳を眺め、一般の幸せについて考える。一般の幸せには追いつかないくらいの差があり、健康になりたいという新年の抱負が3年目だ。

勢い良く死に飛び込んでいった君のことが羨ましくて、君のことを考える。
君は歌が上手だったから、私も歌が上手くなりたい。
君は明るくて、辛そうで、楽しくて、イライラするようなことばかりして、二度と会えないのが悲しい。
複雑な気持ちで発狂の縁にある。
会えなくて悲しい、私じゃだめだった、もっと何かしてあげられたかも、それは傲慢かも、辛そうだったからこれで幸せになったのかも、私があのとき声をかけていたらまだ一緒に下らない話をして笑っていたかも、そうなったならよかった、でも苦しくても生きろって私が言うはずがない、私も、置いていかれたのに

君たちは他人の不幸で自分の幸せを実感するような人間たちだが、私も例外ではない。人間に生まれてしまったからにはしょうがない。貝とかが良かった。
他人の不幸を眺めて自分の不幸を慰めたとしても、その分自分が幸せになるわけでもない。現状がストレスになり、ストレスが微熱を起こす。

そういう辛さを分かち合った友達と舐めあった傷が乾いて痛む。
でも、どこかで生まれ変わった友達を踏み潰していたとして、私と語り合った記憶がその子にないとして、それを大して気にしない程度には人でなしではある。

早く100年経ってすべてをなかったことにしたい。
無為な日々を生きた無為さが100年後には証明される。

すべての人間が等しく幸福になるか、すべての人間が等しく不幸になりますように。

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